池波正太郎も愛した名店の「揚げまんじゅう」

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サクッと香ばしい皮に、やさしい味のこしあんがたっぷり

池波正太郎も愛した名店の「揚げまんじゅう」

東京・秋葉原からほど近い神田須田町は、かつて「連雀町」と呼ばれた地域です。名前の由来は、「連尺」から。連尺とは、物を背負うときに用いるカゴ、背負い子(しょいこ)に付けられた荷縄のこと。このカゴを作る職人が数多く暮らしていたことから、「連尺町」となり、やがて「連雀」の字があてられるようになりました。明治時代には万世橋駅が開業し、多くの市電が発着するなど、交通の要衝で、周囲には寄席や旅館が建ち並ぶ繁華街だったといいます。

 

この界隈には、現在も、あんこう鍋の「いせ源」、そばの「かんだ やぶそば」、「神田まつや」など、創業100年を超える老舗が多く、空襲の被害を免れたため、昔ながらの建造物が残っています。創業1930年(昭和5年)の甘味処、「竹むら」もそのひとつ。関東大震災のあと、神田周辺に本格的な汁粉屋がなかったことから開業しました。風情ある一軒家は、東京都選定歴史的建造物の指定を受けています。「竹むら」の名物は、注文を受けてから揚げる「揚げまんじゅう」です。北海道産の小豆から作る自家製のこしあんが詰まったまんじゅうに、小麦粉を水で溶いた衣をつけ、白絞油とごま油を調合した油でカラリと揚げたもの。揚げたてアツアツを頬張れば、外はサクッと香ばしく、あんはなめらかで甘さ控えめのやさしい味。

 

食通として知られる作家の池波正太郎も、この「揚げまんじゅう」が好物で、「神田まつや」でそばを食べてから「竹むら」に寄り、粟ぜんざいを食べ、手土産に「揚げまんじゅう」というのが定番だったそうです。歴史ある名店、しかも甘味処ですから、どちらかというと女性客が多かったのですが、近頃は若い男性客が増えていることに驚きました。聞けば、とあるアニメに、主人公の女子高校生の実家として登場する店のモデルになったのが「竹むら」なのだとか。きっかけは何にせよ、若い方が老舗の味を知り、応援してくれるのは嬉しいことですね。

池波正太郎も愛した名店の「揚げまんじゅう」

※掲載情報は 2015/09/09 時点のものとなります。

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キュレーター情報

岸朝子

食生活ジャーナリスト

岸朝子

大正12年、関東大震災の年に東京で生まれ、女子栄養学園(現:女子栄養大学)を卒業後、結婚を経て主婦の友社に入社して料理記者歴をスタート。その後、女子栄養大学出版部に移って『栄養と料理』の編集長を10年間務める。昭和54年、編集プロダクション(株)エディターズを設立し、料理・栄養に関する雑誌や書籍を多数企画、編集する。一方では、東京国税局より東京地方酒類審議会委員、国土庁より食アメニティコンテスト審議員などを委託される。
平成5年、フジTV系『料理の鉄人』に審査員として出演し、的確な批評と「おいしゅうございます」の言葉が評判になる。
また、(財)日本食文化財団より、わが国の食文化進展に寄与したとして食生活文化金賞、沖縄県大宜味村より、日本の食文化の進展に貢献したとして文化功労賞、オーストリア政府より、オーストリアワインに関係した行動を認められてバッカス賞、フランス政府より、フランスの食文化普及に努めた功績を認められて農事功労賞シュバリエをそれぞれ受賞。
著書は『東京五つ星の手みやげ』(東京書籍)、『おいしいお取り寄せ』(文化出版局)他多数。

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