ポルトガルから伝来したビスケットが日本で愛され続ける理由

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日本で定番菓子となったポルトガル菓子

1543年、種子島に漂着したポルトガル人は鉄砲とともにビスケットを日本に伝えました。ビスケットの語源はラテン語のBiscotum Panemで、2度焼きしたパンという意味があります。もともとは、大航海時代に長い航海に欠かせない保存食として作られていました。小麦粉の生地を焼き、乾燥させて水分を減らしたもので、16世紀に日本に伝来した際には、「ビスカウト」として紹介されました。ポルトガル出身の探検家マゼランが世界一周する際にも、船に大量のビスケットを持参したという記録が残っています。

ポルトガルから伝来したビスケットが日本で愛され続ける理由

日本では江戸時代、長崎で南蛮人向けに作られていましたが、水戸藩から長崎での外国情報の入手を依頼されていた柴田方庵という人が、ビスケットが長期の保存ができることに目をつけ、その作り方を学び、1855年2月28日に水戸藩に手紙を送ったという記録が残されています。そこで、日本のビスケット協会が2月28日を「ビスケットの日」として、ビスケットの普及に取り組んでいます。

ポルトガルから伝来したビスケットが日本で愛され続ける理由

江戸時代には、あまり人気が出なかったビスケットですが、明治維新の頃に再び注目されるようになります。当時、日本は「富国強兵」を掲げ西洋の食文化を取り入れるようになりました。そこで注目されたのが、炊飯や調理に手間がかからない「ビスケット」を軍隊の携行食として支給するというものでした。今でも、非常食として食べられる「乾パン」はビスケットの製法にアイデアを得て作られたものだと言われています。

 

意外な理由から、日本に定着したビスケットですが、現在でも日本で最も愛される洋菓子のひとつとして定着しています。それは、手軽に食べやすく、長持ちする、そして素朴な味わいの中においしさが詰まっている、大航海時代の知恵が詰め込まれたお菓子だからかもしれません。

ポルトガルから伝来したビスケットが日本で愛され続ける理由

長崎県美術館ミュージアムが販売する、ビスケット「BISCUI10」は、長崎にゆかりのあるものを形どったビスケットが10種類入っています。デザインは南蛮船、南蛮人をはじめ、ポルトガルから伝来したボタンや教会などポルトガルにゆかりが深いものが詰まったビスケットです。BISCUI10 は長崎市出身の川路あずさ氏(シュガーロード部)がデザインし、長崎県平戸市にある小さなお菓子アトリエ・petit a petit(プティタプティ)によって製造されました。

※掲載情報は 2016/02/28 時点のものとなります。

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ポルトガル大使館

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ユーラシア大陸の最西端に位置するポルトガルは、日本が初めて出会った西洋の国です。1543年の種子島到来をきっかけに日本に南蛮文化を伝えたポルトガルは、日本人の日常生活や食文化に深い影響を残しました。皆様も歴史の授業でポルトガル人到来は勉強されたのではないでしょうか。
鉄砲、西洋医学、絵画で使われる西洋技術、西洋音楽・洋楽器、天体観測機、パンや菓子等、この時代にポルトガル人が日本に伝えたものは数多くあります。カステラ、金平糖、ボーロなどは語源もレシピもポルトガルからもたらされました。パン、コップ、ボタン、てんぷら、おんぶ、かっぱ、ばってら、じょうろ、チャルメラ、オルガン、カルタ、シャボン、タバコ、ビロード、ビードロ等、日常語として定着している数多くの言葉がポルト ガル語由来なのです。
歴史的建造物、自然景観、多彩な食文化、温暖な地中海性気候、15箇所の世界遺産と、無形文化遺産に認定された民謡「ファド」などの多様な魅力に魅せられ、ポルトガルを訪れる観光客はリピート率が高いことで有名です。「初めて訪れるのに懐かしい国」と多くの日本の皆様に親しまれるのも、470年以上にわたるおつきあいがあるからかもしれません。

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