壺最中
壺屋總本店 住所:東京都文京区本郷3丁目42−8
本郷の春日通り沿いにひっそりとたたずむ「壺屋」は、江戸寛永年間(1624~1644年)の創業。18代続く、まさに老舗の和菓子店です。こぢんまりとした店構えの引き戸を開けて中に入ると、勝海舟の書や明治天皇、昭憲皇后からの感謝状、江戸時代の古書などが目に飛び込んできて、否応なく、この店の長い歴史を感じます。また壺屋は、高級和菓子の中心が京都や金沢であった時代に、江戸の町家として初めて開くことを許された菓子司であったとか。その自負を込めて今も、「江戸根元」の菓子店とうたっています。永く徳川方藩邸をお得意様にしていたことから、明治維新の際には、「徳川の敵方だった官軍に菓子は売れない」といったんは店を閉めたそうですが、贔屓客だった勝海舟の「市民が壺屋の菓子を食べたいと言っているから続けるように」との言葉に励まされて店を再開。以来今日にいたるまで、多くの甘党に愛されながらさらに歴史を重ね、田山花袋、永井荷風などの著作にも登場しています。
壺屋という屋号は、菓子作りに使う砂糖のいれものに壺を使っていたことに由来するとか。看板商品は、その壺をかたどった「壺最中」です。白い皮のこしあんと薄茶色の皮の粒あんの2種類があり、どちらも手に持つとずっしり。「口に入れたとき、皮とあんが同時に溶けるのがよい最中」という代々の教えを守り、ひとつひとつ丁寧に手作りされています。皮は、パリパリッとした歯応えともっちりした味わいが絶妙。そこにすき間なく詰められたあんは、選りすぐりの北海道産小豆とザラメで作られ、しっかりと甘いのにくどさを感じさせない上質の甘みに伝統の技を感じます。ちょっとボリュームが……という方には、皮もあんも壺最中と同じものを用い、やや小ぶりに仕上げた「壺々最中」でその味を体験してみるのもおすすめです。
壺屋總本店 住所:東京都文京区本郷3丁目42−8
※掲載情報は 2015/08/15 時点のものとなります。
食生活ジャーナリスト
岸朝子
大正12年、関東大震災の年に東京で生まれ、女子栄養学園(現:女子栄養大学)を卒業後、結婚を経て主婦の友社に入社して料理記者歴をスタート。その後、女子栄養大学出版部に移って『栄養と料理』の編集長を10年間務める。昭和54年、編集プロダクション(株)エディターズを設立し、料理・栄養に関する雑誌や書籍を多数企画、編集する。一方では、東京国税局より東京地方酒類審議会委員、国土庁より食アメニティコンテスト審議員などを委託される。
平成5年、フジTV系『料理の鉄人』に審査員として出演し、的確な批評と「おいしゅうございます」の言葉が評判になる。
また、(財)日本食文化財団より、わが国の食文化進展に寄与したとして食生活文化金賞、沖縄県大宜味村より、日本の食文化の進展に貢献したとして文化功労賞、オーストリア政府より、オーストリアワインに関係した行動を認められてバッカス賞、フランス政府より、フランスの食文化普及に努めた功績を認められて農事功労賞シュバリエをそれぞれ受賞。
著書は『東京五つ星の手みやげ』(東京書籍)、『おいしいお取り寄せ』(文化出版局)他多数。