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戦後の東京で産声をあげたサイダー
東京の下町・墨田区育ちのグラノーラ研究家、梶原はるきです。
今回は我が地元、墨田区限定販売の懐かしい味わいの「トーキョーサイダー」をご紹介致します。
とてもレトロなビジュアルのサイダー!
生まれたのは、戦後間もない1947年。
東京大空襲により甚大な被害を受け焦土と化した墨田区で、丸源飲料阿部商店(現、丸源飲料工業株式会社)によって作られました。社屋や工場を失いながらも、戦後2年で発売したのは、2代目社長の阿部栄次郎氏の地元東京の復興に向けた熱い思いがあったからです。
1989年に一度製造が終了しましたが、スカイツリー開業にあわせて2011年に完全復刻されました。東京ソラマチ7階には「トーキョーサイダー」のコンセプトショップ『AZUMACHO CAFE トーキョーサイダー倶楽部』もあり、「トーキョーサイダー」を使ったドリンクメニューが楽しめます。
ラベルの建物は力強い復興シンボル
ラベルの中心に配されているイラストは、両国の回向院の境内にあった旧両国国技館。火災や関東大震災、第二次世界大戦で被害を受けながらも耐え抜いた戦後復興のシンボルです。
強く耐え抜いた建物をデザインし、いち早くカタカナでの表記を取り入れていることから、
特別な日にこのサイダーを飲む子供たちに笑顔と勇気を与えようと、その先の日本の未来を夢見て作ったのではないでしょうか。
そして王冠には、「トーキョーブランド」、底には丸源マーク。
このレトロさ、現代においてはなんだか可愛くオシャレにも感じます。人々を長年元気にしてきて、愛されてきた存在。
東京オリンピックに向けて、これからの東京を応援しているように思えますね!
冷えひえサイダーで乾杯!
瓶のままキンキンに冷やして乾杯すると、丸くてとてもきめ細やかな炭酸の泡が口の中に広がり、なんとも優しさを感じる味がします。喉越しもとがっていない爽快さ。まるで下町人情のよう。終戦直後から変わらぬ味は新鮮にも感じます。
今わたしたちが平和に、便利に生活できるのは戦後に生きた人々の必死な想いがあったからこそ。東京大空襲で、私の曽祖父と祖父の幼い妹たちも被害を受けました。
国技館、東京スカイツリー、北斎美術館、隅田川の花火など墨田区に訪れる方に、そんな歴史と人々の想いも少しでも感じてもらえたら、とてもうれしいこと。
すみだ北斎美術館も開館したということで、北斎ラベルのサイダーもあります!
お土産に、これからの季節の乾杯に、
生きる力をもらえる「トーキョーサイダー」を墨田から連れて帰ってくださいね♪
※掲載情報は 2018/05/18 時点のものとなります。
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キュレーター情報
グラノーラ研究家
梶原はるき
法政大学人間環境学部卒業。
新卒でメガバンクの法人課で働く。趣味で取得したパン教室講師資格を活かして障がいを持つ子どもたちのパン教室を開催。専門学校に通いパン製造を学ぶ。
銀行退職後、専門学校の友人がオープンした横浜のカフェの立ち上げに関わり、接客や調理、パン製造を担当。
平成27年4月17日~
地元両国の祖父の診療所だった場所に
FUTABA BAKERYをオープン。
グラノーラによってバランスの良い食事に改善、体重減少した経験と代々町医者の娘ということもあり「食で健康を届けたい」とグラノーラ製造と研究をスタート。
プロの料理人も認める美味しさの高品質グラノーラを通じて、障がい者のパワーを活かした仕事創出すべく、祖父の診療所跡地のラボにて朝ごはんだけではない無限の可能性を秘めたグラノーラの商品開発・メニュー開発を行っている。