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会津地方には、大塩、塩坪、塩沢、小塩、熱塩、塩川など、「塩」のつく地名が数多く存在します。今回ご紹介する「会津山塩」が生産される大塩地区は、その地名からもわかる通り、古くから塩が生産されてきた土地です。「新編会津風土記」によれば、月山に向かう途中にこの地に停泊した弘法大師により開湯した塩水が湧いてくる井戸が2基あったそうで、そこから塩を作りだして、江戸時代には会津藩へ納め、明治時代には葵の紋の形に固められた塩が皇室にも献上された歴史を持ちます。
復活までの厳しい道のり
交通網の発達によりほかのエリアからの塩の流入が盛んになり、また、専売制度の実施もあって一旦は終焉を迎えた会津での塩づくりは、今から10年ほど前、「地元の特産品を作りたい」という村と商工会の呼びかけから復活の道を辿り始めます。地元の有志12名が集まり出資を行い、かつてこの地を支えた「会津山塩」復活に向けて動き始めました。とはいえ、温泉を原料にしての塩づくりは、苦難の連続でした。
まず、海水に比べて塩分濃度が1/3程度と非常に薄く、同じだけの量の塩水を煮詰めても、収穫できる塩の量は海水の1/3にしかなりません。さらに、冬には大雪が降るため外気は氷点下。温度40度に満たない源泉を沸騰させるためには、非常に多くの時間と燃料がかかります。その上、源泉にはカルシウムと鉄が多く含まれるため、釜の傷みも早くなりますし、もっと言うと、雪が積もりすぎて製塩所に入れないので、冬の塩づくりはまずは雪かきからという、塩づくりには本当に厳しい環境なのです。
このような環境の中でも、かつては盛んに塩が生産されていたということからも、この塩がどれだけこの地で大事にされてきたものかがわかります。
地元民に愛されるということ
中規模の施設を構え、大量の降雪にも負けず年間を通じて塩づくりを行っていますが、上記のような理由から、「会津山塩」の生産量は年間2tと非常に少量。そして、30gで500円(税抜)と、一時期は「日本で一番高い塩」と言われたほどの価格です。
それにも関わらず、地元の飲食店や加工食品メーカーで幅広く愛用されているのは、この塩を地元の人たちが高く評価し、とても大切に考えているということ。地元のラーメン屋さんでは「会津山塩ラーメン」が提供され、観光客だけでなく地元民からも愛されています。また、ホテルリゾートでは「会津山塩バームクーヘン」が、地元お菓子屋さんでは会津山塩を使ったガトーショコラ「塩ッコラ」や「ごま塩棒」など、数多くの商品が開発され、人気を博しています。
濃厚な味わいが癖になる
「会津山塩」の特徴は、味わいが複雑で厚みがあるということ。ほどよいしょっぱさと強めの酸味を感じたあと、濃厚な甘さが舌の上に広がり、最後に癖になるおいしい苦味がふっと現れて消えていきます。赤身の肉や魚との相性が良く、そのほかにも、身に歯ごたえがあるもの、たとえば地元名産の会津地鶏や、焼いて少し水分を飛ばした川魚との相性は抜群です。この塩で少し甘口の日本酒を飲むのも乙ですね。
ただし、生産量が少なく、人気があるため、現在も予約を待たせている状態だとか。もし見かけたら、すぐ手に入れてくださいね。
住所:福島県耶麻郡北塩原村大字大塩字立岩6106
TEL:0241-33-2340 FAX:0241-33-2350
※掲載情報は 2017/01/23 時点のものとなります。
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キュレーター情報
ソルトコーディネーター
青山志穂
東京都出身、沖縄県在住。
大手食品メーカー勤務から一転、塩に魅せられて塩の道へ。塩の専門店で社内資格制度の立ち上げなどを行ったのち、2012年に(社)日本ソルトコーディネーター協会を立ち上げて独立。現在は、塩のプロフェッショナルであるソルトコーディネーターの育成のほか、全国を飛び回りながら、塩の基礎知識や使い方などに関する講座や講演、テレビやラジオ、雑誌などへの出演、塩売場のコーディネートなどを行いながら、塩の啓蒙活動に努めている。有名シェフとの塩をテーマにしたコラボレーションイベントや食品メーカーの商品企画も手掛ける。著書に「塩図鑑」(東京書籍)「琉球塩手帖」(ボーダーインク)「日本と世界の塩の図鑑」(あさ出版)など。