古代・万葉の藻塩焼き製法が生んだ 「海人の藻塩」

古代・万葉の藻塩焼き製法が生んだ 「海人の藻塩」

記事詳細


海藻の成分を含んだ塩「藻塩」

古代・万葉の藻塩焼き製法が生んだ 「海人の藻塩」

どんな料理でも欠かせない調味料と聞かれたら、「絶対に塩!」とほとんどの方は答えると思います。私もぐるなびippinで過去2回、塩を紹介していました。また、塩かと思われるかもしれませんが、今回ご紹介するのは「藻塩」という種類の塩なのです。

 

日本の代表的な製塩の地域と言えば、温暖な気候に恵まれた瀬戸内です。この地は古く平安時代から塩田を使った製塩が盛んな土地ですが、日本の塩づくりの原点とも呼ばれる製塩法「藻塩焼き」があったそうなのです。あったそうなのというのは微妙な言い方ですが、ご存知のように日本は長い間、塩は国家統制による専売が続いていたのです。これは、1905(明治38)年から97年間も続いていたのです。国家の重要な税収という面などもありますが、長い間食文化として大切な「塩」が人々の手の届かない所にあったのです。そして塩の自由化も国内の製塩業を守るという立場から、厳しい規制が敷かれていたのです。

 

私は長い間に料理関係の仕事をしていますが、レシピの中の「塩」というのは「精製塩」のことで「塩化ナトリウム」純度100%に近い単に塩辛いものでした。その頃も「塩、食塩」って(現在も表記的には塩ですが)だけで良いのかと思っていました。しかし、時代の趨勢により、塩自体の製造方法の規制が解かれ、塩も海外から自由に輸入される事になり、塩の役割と幅が大きく変わったのです。現在国内で作られている塩のブランドは約1500種類にのぼるそうです。

 

さて、冒頭の「藻塩」に話を戻します。1984年、広島県安芸郡蒲刈町(現・呉市蒲刈町)の県民の浜造成工事中に発見された古墳時代の製塩土器が発見されたのです。これが契機となり藻塩研究の「藻塩の会」が製塩土器の発見者である同町の文化財保護委員長で、30年にわたり考古学の研究を続けてきた故松浦宣秀さんを中心に、その製塩法の研究がはじまりました。しかし、藻塩の製造法の解明には困難を極めたそうです。製塩土器が見つかったものの、製塩法を伝える古文書すらなかったのです。やがて、万葉集の中に藻塩を作るヒントがあるのを発見したそうです。「名寸隅の 船瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝凪に 玉藻刈りつつ 夕なぎに “藻塩”焼きつつ 海人娘子 ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ 丈夫の 心はなしに 手弱女の 思ひたわみて 俳徊り 我れはぞ恋ふる 舟楫をなみ」松浦さんは”朝凪に玉藻かりつつ夕凪に藻塩焼きつつ”など、「藻塩」という言葉が万葉集に詠まれている海や塩の歌にいくつか登場することに着目し、「玉藻」という言葉から玉の付いた藻、「ホンダワラ」に辿り着いたのです。(「玉藻刈りつつ」は藻塩の原料のホンダワラなどの海藻のことで、「藻塩焼きつつ」は製造過程の藻塩焼きのこと。)

古代・万葉の藻塩焼き製法が生んだ 「海人の藻塩」

製造方法の解明確立には約10年もかかりました。まず、海水に浸したホンダワラを乾燥させるという工程を繰り返して塩分濃度を高めた「かん水」をつくり、土器で煮詰めて塩を採るというものでした。 この古代土器製塩法は、全国の考古学関係者や塩づくりの碩学者を招いて開催された「古代の塩づくりシンポジウム」によって考古学会からも認められたそうです。 この製法を基に海の恵みを結晶させた古くて新しい塩、『海人あまびと)の藻塩』が誕生したのです。

 

アマビトやアマと発音される「海人」は、古代、海で魚や貝を取り、「藻を焼いて製塩すること」を生業とした者の呼び名で、古く万葉集などの文献に多く見受けられます。製塩土器が発掘された上蒲刈島の浜辺では、古代、海人たちが藻塩を作っていた様が現在に蘇ったのです。

 

古代・万葉の藻塩焼き製法が生んだ 「海人の藻塩」

ミネラル分たっぷりの藻塩は、つけ塩としても、調理塩としてもうま味がたっぷりでストレートな塩使いにはお薦めなのですが、この藻塩にはもうひとつの秘密があるのです。「海人の藻塩」は昔から、有名なブランドで長年ロングセラーを続けている商品です。その中で一番のお薦めは素焼きの「土器入り」なのです。3年ほど前に、「塩壷」の開発研究を行っていたのですが、特にこの塩壷じゃないという意味が見いだせなかったのです。その塩壷の開発は「分とく山」の野崎洋光さんに相談しながら行っていたのですが、途中で断念していました。先日野崎さんから素焼きの「塩壷」は塩を美味しくする効果がある……と、思い出したように電話がありました。そして、この「海人の藻塩」自体が、野崎さんが昔レシピ開発にも協力していたのです。あまりの偶然性にびっくりしました。ところで塩壷がどうして、塩がうま味を増すのかって?それは、当分秘密です。

※掲載情報は 2016/11/04 時点のものとなります。

  • 6
ブックマーク
-
ブックマーク
-
この記事が気に入ったらチェック!
古代・万葉の藻塩焼き製法が生んだ 「海人の藻塩」
ippin情報をお届けします!
Twitterをフォローする
Instagramをフォローする
Instagram
Instagram

キュレーター情報

後藤晴彦(お手伝いハルコ)

アートディレクター・食文化研究家

後藤晴彦(お手伝いハルコ)

後藤晴彦は、ある時に料理に目覚め、料理の修業をはじめたのである。妻のことを“オクサマ”とお呼びし、自身はお手伝いハルコと自称して、毎日料理作りに励んでいる。
本業は出版関連の雑誌・ムック・書籍の企画編集デザイン制作のアート・ディレクションから、企業のコンサルタントとして、商品開発からマーケティング、販促までプロデュースを手がける。お手伝いハルコのキャラクタ-で『料理王国』『日経おとなのOFF』で連載をし、『包丁の使い方とカッティング』、『街場の料理の鉄人』、『一流料理人に学ぶ懐かしごはん』などを著す。電子書籍『お手伝いハルコの料理修行』がBookLiveから配信。
調理器具から食品開発のアドバイザーや岩手県の産業創造アドバイザーに就任し、岩手県の食を中心とした復興支援のお手伝いもしている。

次へ

前へ