下町の甘味処・みつばちで生まれた、100年前の小倉アイスと100年後の黒糖アイス

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下町が生んだ脂肪分ゼロの和風アイスクリーム

先日、湯島を歩いていたら、甘味処「みつばち」の前で足が止まりました。子供の頃によく母と行った記憶が蘇り、夏の暑さを和らげるために冷んやりしたものを口にしたいという衝動にかられました。

下町の甘味処・みつばちで生まれた、100年前の小倉アイスと100年後の黒糖アイス

「みつばち」と言えば、なんと言っても有名なのが小倉アイスです。小倉アイスが生まれたのは、今からなんと100年前の大正4年(1915年)のある夏の日曜日。「みつばちの創業者の嶋田当与さんが、氷あずきの種が残ったので、もったいないと思いアイスクリームを作る桶に貯蔵してみた。明朝、桶の蓋を開けてみるとあずきの周囲が凍っており食べてみたら、とても美味しかったのが小倉アイスの始まり」と子供の頃に聞いた地元では有名な話です。

 

「みつばち」は、小倉アイスが誕生する6年前の明治42年(1909年)に、不忍池のすぐ近くの湯島で創業しました。

下町の甘味処・みつばちで生まれた、100年前の小倉アイスと100年後の黒糖アイス

「みつばち」が誕生する2年前、明治40年(1907年)には、近くの上野公園と不忍池では、当時の東京府の主催した東京勧業博覧会が約4ヶ月に渡り開催され、日本中から多くの人々が押し寄せました。外国館、三菱館、台湾館、瓦斯(ガス)館などが建ち並び、日本各地の名産を販売するお土産屋も多くありました。都市部を中心に親しまれて来た国産ビールの売店は、とても賑わったそうです。中には遊園地のような乗り物もあり、第一会場の上野公園には当時では珍しい観覧車、第二会場の不忍池では池の上に作った大きな滑り台の上から、木の船で下るというウォーターシュート(船滑り)が人気を集めました。夜になると、外国館を中心に当時の最大規模であったイルミネーションがとても綺麗だと話題になりました。

 

ちょうどその年に夏目漱石が、東京帝大講師を辞めて朝日新聞に入社しました。その初めて手がけた仕事が、朝日新聞の連載「虞美人草」でした。その「虞美人草」の中で、東京勧業博覧会の様子が描かれています。

 

東京勧業博覧会については、「蟻は甘きに集まり、人は新しきに集まる。」と漱石は書いています。また外国館の夜のイルミネーションについては、「夜の世界は昼の世界より美しい事」や「これは奇観だ。ざっと竜宮だね。」と登場人物を通してイルミネーションの美しさを語っています。「虞美人草」からは、東京勧業博覧会がどんなものだったかを垣間見ることが出来ます。京都から東京に向かう汽車の中で混み合う室内を見渡し、「京都の人間はこの汽車でみんな博覧会見物に行くんだろう。….」と表現していることからも、東京勧業博覧会の人気がうかがえます。また、別の場面からは、「行ってみい、面白いぜ。昨日行っての、アイスクリームを食うて来た」と話していることからも、当時のアイスクリームは今よりも特別感があったと推測出来ます。

 

「みつばち」の小倉アイスが誕生したのは、東京勧業博覧会から8年後のことでした。その小倉アイスも誕生から100年が経過し、創業から100年を記念して作られたのが黒糖アイスです。黒糖アイスも小倉アイスと同様に乳脂肪ゼロで作られています。小倉アイスが北海道産の小豆を使用しているのに対し、黒糖アイスは沖縄産の黒糖を使用しています。黒糖の固まりが口の中でサクサクとし、気持ちの良い食感がします。

下町の甘味処・みつばちで生まれた、100年前の小倉アイスと100年後の黒糖アイス

100年前の小倉アイス、100年後の黒糖アイス、どちらも素朴な自然な甘みのある美味しさがあります。アイスクリームはその場で食べることも出来ますが、専用の箱でお土産にも出来ます。

下町の甘味処・みつばちで生まれた、100年前の小倉アイスと100年後の黒糖アイス

漱石は、「蟻は甘きに集まり」と言いましたが、人間も甘きに集まりがちです。

 

「みつばち」のすぐ近くの不忍池まで足を運び、100年以上の前の東京勧業博覧会の軌跡をたどりつつ、100年前もしくは100年後のアイスクリームを食べ比べてみてはいかがでしょうか?

 

参考文献 夏目漱石「虞美人草」新潮文庫

下町の甘味処・みつばちで生まれた、100年前の小倉アイスと100年後の黒糖アイス

※掲載情報は 2016/09/07 時点のものとなります。

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キュレーター情報

荒岡俊行

荒岡眼鏡の三代目 眼鏡店ブリンク店主

荒岡俊行

1971年生まれ。東京・御徒町出身。1940年から続く「荒岡眼鏡」の三代目。
父方も母方も代々眼鏡屋という奇遇な環境に生まれ育ち、自身も眼鏡の道へ。

ニューヨークでの修業を経て、2001年に外苑前にアイウエアショップ「blinc(ブリンク)」、2008年には表参道に「blinc vase(ブリンク・ベース」をオープンさせる。
「眼鏡の未来を熱くする。」をミッションに掲げ、眼鏡をカルチャーの1つとして多くの方々に親しんでいただけるよう、眼鏡の面白さや楽しさを日々探求しています。

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