江戸時代のスイーツが現代で蘇る!ポルトガルと日本のコラボスイーツ「肥前ケシアド」

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日本に伝わっていたポルトガルのお菓子

江戸時代のスイーツが現代で蘇る!ポルトガルと日本のコラボスイーツ「肥前ケシアド」

文化的景観が世界遺産に指定されているリスボン郊外の「シントラ」。(イギリスの詩人バイロン卿は、その緑が織りなす景観を「この世のエデン」と称したとも言われます。

 

このシントラの銘菓が「ケイジャーダ」というチーズタルト)です。その昔、修道院ではミサの聖餅や洗濯物の糊付けなどで卵白を多く使用していました。残った卵黄を利用して各地の修道院ではお菓子が作られていましたが、ケイジャーダもそのうちの一つです。

江戸時代のスイーツが現代で蘇る!ポルトガルと日本のコラボスイーツ「肥前ケシアド」

ケイジャーダは、直径6センチほどの丸いスイーツで、塩抜きにしたフレッシュチーズが使われます。裏ごししたチーズに砂糖、卵黄、シナモンを加えてよく混ぜ、小麦粉を練って作った型の中に流し込みます。オーブンで15分程度焼けば出来上がりです。

400年以上の時を経て復活したスイーツ

日本が鎖国をしていた江戸時代には長崎の出島が唯一の異国の窓口でした。そのため、当時とても貴重だった海外から持ち込まれる砂糖を使用して、さまざまな菓子が九州で生まれました。佐賀で創業370年の歴史を持つ「鶴屋」には、江戸時代中期にポルトガルのチーズタルト「ケイジャーダ」が伝わったという文献が残されています。チーズが手に入らない事から、かぼちゃを餡の代わりとして「けし跡」と呼ばれる菓子が作られ、佐賀藩主鍋島家にも献上されていたそうです。

江戸時代のスイーツが現代で蘇る!ポルトガルと日本のコラボスイーツ「肥前ケシアド」

「鶴屋」で代々受け継がれる文献「鶴屋文書」から、現代の14代目の社長によって、その「けし跡」が「肥前ケシアド」という名前で復刻されました。当時のものをそのまま再現するのではなく、現代でも愛される味を追求し完成まで3年を要したそうです。

 

まさに、日本とポルトガルの歴史を語る上で欠かせないお菓子のひとつと言えるでしょう。ポルトガルから伝来したお菓子といえば、カステラというイメージが強いですが、ケイジャーダは日本に最初に伝来したチーズタルトの原型です。日本とポルトガルの歴史的な結びつきを証明してくれるお菓子なのです。

江戸時代のスイーツが現代で蘇る!ポルトガルと日本のコラボスイーツ「肥前ケシアド」
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佐賀 鶴屋

※掲載情報は 2016/02/24 時点のものとなります。

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ポルトガル大使館

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ユーラシア大陸の最西端に位置するポルトガルは、日本が初めて出会った西洋の国です。1543年の種子島到来をきっかけに日本に南蛮文化を伝えたポルトガルは、日本人の日常生活や食文化に深い影響を残しました。皆様も歴史の授業でポルトガル人到来は勉強されたのではないでしょうか。
鉄砲、西洋医学、絵画で使われる西洋技術、西洋音楽・洋楽器、天体観測機、パンや菓子等、この時代にポルトガル人が日本に伝えたものは数多くあります。カステラ、金平糖、ボーロなどは語源もレシピもポルトガルからもたらされました。パン、コップ、ボタン、てんぷら、おんぶ、かっぱ、ばってら、じょうろ、チャルメラ、オルガン、カルタ、シャボン、タバコ、ビロード、ビードロ等、日常語として定着している数多くの言葉がポルト ガル語由来なのです。
歴史的建造物、自然景観、多彩な食文化、温暖な地中海性気候、15箇所の世界遺産と、無形文化遺産に認定された民謡「ファド」などの多様な魅力に魅せられ、ポルトガルを訪れる観光客はリピート率が高いことで有名です。「初めて訪れるのに懐かしい国」と多くの日本の皆様に親しまれるのも、470年以上にわたるおつきあいがあるからかもしれません。

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