銀座四丁目今昔

銀座四丁目今昔

記事詳細


お茶請けにぴったりの手作り焼き菓子

12月から1月にかけての銀座は、特別なムードがあっていい。この時期は、ほかの街も年末年始仕様になるわけだが、銀座のそれは華やかでありつつも上品な印象で、歩いていても気分がいいのである。

 

昨今は、中国人を中心とするアジア系観光客の団体が大型観光バスで乗り付けるという光景もよく見かける銀座。2013年に閉店した「松坂屋銀座店」跡地を含む大規模再開発プロジェクト、来年3月オープンの数寄屋橋交差点の「東急プラザ銀座」など、インバウンド消費を正面から受け止めるような大型商業施設も続々と登場するこの街だが、昔からの景色が失われてしまったわけではない。歴史のレイヤーは、街並やここで商われている商品からも感じられ、そのことが銀座という街を特別な存在にしているのである。

 

学術的な資料にあたらなくとも、かつての銀座の様子は映画や文献から知ることができる。例えば映画なら小津安二郎の『お茶漬の味』(1952年)。冒頭、妙子(木暮実千代)と節子(津島恵子)がタクシーで銀座に向かうシーンでは、路面電車が走る光景に続き、ブラインド越しに見える「和光」の映像がインサートされ、そこが銀座であることが象徴的に表現されている(その後のブティックのシーンはセット撮影だが、実にエレガントな佇まいだ)。もう少し時代が下って、石原裕次郎と浅丘ルリ子の『銀座の恋の物語』では、裕次郎が人力車を引いて(!)銀座の街を走り抜ける。もちろん、これ以外にもたくさんあるだろう。

 

映画だと、現代劇以外はセット撮影されるが(現代劇でもセットというケースもある)、エッセイの類なら、書かれた時代の空気がそのまま封じ込められている。三島由紀夫は「わが銀座」というエッセイで、子どもの頃に数寄屋橋上から見た「邦楽座」(のちの「ピカデリー劇場」)の壁面に輝くパラマウントのイルミネーションのことを書いているし、堺利彦は、現在の銀座四丁目交差点が尾張町交差点と呼ばれていた時代のことをこう記している。「さてこの四辻に、有名な服部時計店と、有名な山崎洋服店と、有名なカフェ・ライオンと、有名な(しかし実は誰も滅多に知らない、大庭柯公君にさえ記憶されていない)第八十四銀行京橋支店とが陣取っている」(「銀座は汚ない処」)。現在に照らしてゆくと、服部時計店は和光、山崎洋服店は三越、カフェ・ライオンは日産ギャラリー(現在はビル工事のため一時閉館)、第八十四銀行京橋支店はリコーイメージングスクエア銀座のある三愛ドリームセンター、ということになる。

 

三島由紀夫は1925年(大正14年)生まれだから、子どもの頃というと1930年代前半になろうか。堺利彦の「銀座は汚ない処」を含む『桜の国・地震の国:堺利彦集』が1928年(昭和3年)に出ているので、三島と堺の見た銀座は、同じような時期であることがわかる。1923年(大正12年)の関東大震災から数年のうちに急速に復興を遂げ、都内有数の歓楽街となった銀座がここにある。

 

「四つ角の四天王さながら三越、和光、鳩居堂、日産ギャラリーが控えていて、三愛の広告塔からたえまなく、けたたましい音量つきの映像があらわれる。最新モード、最新グッズ、最新のクルマ、最新情報……。」これは池内紀が『中央公論』に2007年から2008年まで連載していたエッセイのなかの「聖と俗ーー晴海通り」という回における銀座四丁目の描写だ(中公新書刊『東京ひとり散歩』所収)。ここまでくるとさすがに最近という感じだが、先に述べた通り日産ギャラリーは現在ビルごと改修中のためクローズしており、今はこのときの光景ともやや異なっている。

 

このように、銀座四丁目界隈だけとってみても、ちょっと目を離すと様子が変わってしまうわけだが、四丁目あたりに現存する店のなかで古いところはどこだろうと調べてみると、銀座三越が1930年(昭和5年)、和光の前身である服部時計店が1895年(明治28年)、鳩居堂が1880年(明治13年)といったところだ。それぞれ創業年はもっと昔というところが多いのだが、店が銀座四丁目にできた年ということになると、前述の通りである。こうした歴史ある店と並んで古くからこの界隈を見守っているのが銀座木村屋總本店。1869年(明治2年)、芝日陰町に日本初のパン屋「文英堂」を開店した木村安兵衛は、翌年尾張町に店を移し、このときから「木村屋」を屋号とするようになった。1874年(明治7年)、完成したばかりの銀座煉瓦街、銀座四丁目に店を設けるも関東大震災により焼失。現在地に開店したのは1927年(昭和2年)ということである。

 

荒俣宏の同名伝奇ノベルを原作とした映画『帝都物語』(1988年)では、昭和2年の銀座四丁目周辺を観ることができる。細かな時代考証を経て緻密に再現されたセット(昭島市に作られた)は、当時のモダン東京の姿をしっかりと描く見事な出来栄えである。余談になるが、原作となった小説版『帝都物語』は、1985年より単行本の刊行が開始された。その頃、高校生だったわたしは、荒俣宏と丸尾末広(表紙絵と挿画)という組み合わせに一も二もなく飛びついたものである。折しも若者を中心としたレトロブームがあり、大正から戦前あたりまでの風俗、文化に注目が集まっていた。そんな背景もあって『帝都物語』に描かれていた世界(この小説の興味深いところは、実在した人物が多数登場する点である)は、実に魅力的だったし、「知らない過去」を新しいものとして受け止めるような面白さがあった。当時のレトロブームでは、浅草に代表されるいわゆる下町ももちろんもてはやされたのだが、わたしはそういった観光地化されたところよりも、現役の消費都市である銀座に昔の匂いを探すのが好きだった。

 

 モダン東京と書いたが、連綿と続いてきた(いうまでもなく鎖国が大きな影響を及ぼしている)日本的な伝統が、開国、文明開化によって刷新され、新たに西洋文化を規範としたものに置き換わってゆくという点においては間違いなく「モダン」である。しかしながらモダン東京は、表面上はポストモダン的な折衷主義をとるものが多いところが面白い。国家、社会の全体性(明治維新の文明開化、殖産興業、富国強兵がこれにあたる)は担保されているので、確かにモダニティではあるのだが、この頃の東京が先鋭的なアヴァンギャルドよりもキッチュ(=後衛的)な印象が強いのは、こうした折衷主義によるところが大きい。新しいものに伝統的な解釈を加えるという、加工型とでもいうべき日本の性向は、すでにこの段階で明らかなのである。

 

先に少し触れた銀座木村屋にも、そうした折衷主義が見て取れる。明治天皇に献上された「酒種桜あんぱん」などはその代表的なものだろう。イースト菌でなく酒種酵母菌を使用し、パンという西洋由来のものと小倉あんを組み合わせた銀座木村屋のあんぱんは、そう考えるとモダン東京を象徴する食べ物ではないだろうか。銀座木村屋のホームページによれば、明治初期の流行語に「文明開化の七つ道具」というのがあって、新聞社、郵便、瓦斯灯、蒸気船、写真絵、展覧会、軽気球、陸蒸気、あんぱんがその内訳だったという(九つあるのはご愛嬌か)。

 

銀座木村屋でのあんぱん人気は、店を訪れたことがある方ならよくご存知だろう。我先にという感じで老若男女がカウンター越しに注文する様子は、きっと昔から変わらないのではないだろうか。そうした人気ぶりを横目で見つつ、わたしは「切あん」を買ってきた(あんぱんは買わなかった)。

銀座四丁目今昔

成人男性の親指の先ほどの大きさの焼き菓子である切あんは、こしあんの玉を半生の饅頭生地で巻き、転がしながら棒状に伸ばしてカットして焼いたもの。昔ながらの手作り焼き菓子だそうである。一袋に12個の切あんが入った状態で売られているのだが、持ってみると結構ずっしりとした重みを感じる。

銀座四丁目今昔

一口サイズなのでちょっとしたお茶請けにはうってつけ。気軽な手土産としても重宝しそうである。小倉あん、抹茶あん、桜あんの「三色あん」や、季節限定のあんを入れたものもあるのが嬉しい。店頭販売のみであるから、年末年始の華やかな銀座のムードを味わうついでにでも立ち寄ってみてはいかがだろう。

銀座四丁目今昔

この日は有楽町方面に用事があったので、銀座木村屋から西銀座デパートの方に抜けたのだが、宝くじを買い求める人の列がすごかった。西銀座の売り場はよく当たるのだ。街路樹やビルに施されたイルミネーションなどよりも、この行列の方が年末感がある。松坂屋前の社会鍋も暮れの風物詩だが、再開発工事中の今年はどうだったろうか。

※掲載情報は 2015/12/30 時点のものとなります。

  • 12
ブックマーク
-
ブックマーク
-
この記事が気に入ったらチェック!
銀座四丁目今昔
ippin情報をお届けします!
Twitterをフォローする
Instagramをフォローする
Instagram
Instagram

キュレーター情報

青野賢一

BEAMSクリエイティブディレクター

青野賢一

セレクトショップBEAMSの社長直轄部署「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターも務める。執筆、編集、選曲、展示やイベントの企画運営、大学講師など、個人のソフト力を主にクライアントワークに活かし、ファッション、音楽、アート、文学をつなぐ活動を行っている。『ミセス』(文化出版局)、『OCEANS』(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)、『IN THE CITY』(サンクチュアリ出版)、ウェブマガジン『TV & smile』、『Sound & Recording Magazine』ウェブなどでコラムやエッセイを連載中。

次へ

前へ