酸っぱいワインの話

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ワインの名産地・山梨の白ワイン・ビネガー

以前にもこちらで触れた、レーモン・オリヴェの『コクトーの食卓』は、パレ・ロワイヤルのレストラン「ル・グラン・ヴェフール」でジャン・コクトーが好んだ料理を、その作り方とエピソードを交えて紹介した一冊だが、この本の中で6ページ、3項目にわたって記述されているものがある。酢 Vinaigreである。曰く、「私などの子供時代には、『ブルジョア家庭』やよき食を心がけているレストランなら、どこでも自家製の酢を作っていたものである。まず樽からして入念に選ばれたが、とくにポルト・ワインが入っていたものや、ブランデーをねかせておいたものが好んで用いられた」。最初に目にしたときには、フランス人はよっぽどビネガー好きなんだな、と思ったが、よくよく考えてみれば、ワインの産地を有するフランスではごく当たり前のこと。なにしろ酢 Vinaigreの語源は”Vin”(ワイン)と”aigre”(酸っぱい)である。

 

酢の歴史は実に古い。「ミツカン」のホームページによれば、紀元前5000年頃のメソポタミア南部(古代バビロニア)でナツメヤシや干しぶどうを利用した酢が造られていたことが文献に残っている、とある。紀元前2000年頃には、野菜をスパイスと酢に漬けた今でいうピクルスを食す文化もあったというから驚きだ。このような食用の酢だけでなく、紀元前4世紀にはヒポクラテスが酢の抗菌作用に着目し、治療にも用いられるようになった。

 

酢の製法は、糖質のある食物をアルコール発酵させたのちに酢酸発酵させる、つまり「造り方の基本となるのは『酒を造る工程の後に、酢酸発酵を加えること』」(「ミツカン」ホームページ)。酢に様々なタイプが存在するのはこうした事情からで、国や地域によって酒の種類が異なるのと同様なのである。

 

多数種類がある中で、私がよく使うのは白ワインビネガーとバルサミコだ。とくに白ワインビネガーはかなりの頻度で使用している。もっぱら選ぶのはフランス産のもので、白ワインビネガー、塩、胡椒、フレンチマスタード、オイルで作るビネグレット・ソースや、市販のマヨネーズを少しあっさりさせたい場合に用いることが多い。バルサミコはイタリア産。こちらはソテーのソースとして火を入れて使用することもある。基本的にイタリア産であるバルサミコはさておき、白ワインビネガーの選定基準は実にざっくりしたもので、フランスはワインの産地だから、というだけであるのだが、ワインの産地ということでいえば、フランスに限らず、ドイツやスペイン、それから日本の山梨も立派な産地だ。そう思って買ってみたのが「ホリス・ワインビネガー」である。

 

「ホリス・ワインビネガー」は、日本のミネラルウォーターのパイオニア「富士ミネラルウォーター」が日本ではじめて商品化に成功したワインビネガー。1935年(昭和10年)に販売開始と、長い歴史を誇るものだ。のちに富士ミネラルウォーター株式会社となる堀内合名会社が、富士身延鉄道株式会社(現在のJR東海身延線)が所有する山梨県身延町下部で湧き出す天然の名水を活用し、ミネラルウォーターとして商品化した。これが1929年(昭和4年)のこと。当初のネーミングは「日本エビアン」で、これが日本初の販売用ミネラルウォーターだった(炭酸水=スパークリング・ミネラルウォーターは1880年代つまり明治時代には横浜、神戸の外国人居留地やホテルに向けて提供されていた。そのうちのひとつ「三ツ矢平野水」がのちの三ツ矢サイダーの大元)。ここから数年ののちに開発、発売されたのがホリス・ワインビネガーだ。

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私が買い求めたものは250ml入りのもので、調べてみるとこれは2014年に発売を開始した、家庭向けと呼ばれるもの。100%山梨県産のぶどうを使い、保存料は無添加、加えてアルコールフリーである。富士ミネラルウォーターのホームページによれば、「このたび、山梨県産葡萄果汁100%で造られたプレミアム白ワインビネガーを、ご家庭でもお気軽にご利用いただけるよう、アルコールフリーに改良し、レトロなデザインのボトルに詰めて新発売いたしました」とある。改良というからには、ベースとなるものが必要で、これは何を指すかといえば、業務用の1000ml入りのもの。元来はホテルのレストランやフレンチ・レストランに供給されていたものを、家庭用にするにあたりアルコールフリーにした、ということである。

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酸っぱさを示す酸度は6%と、普段私が使っているフランス産のものよりも1%低い数値。爽やかながら角のない酸味なのはこのためだ。これから気温が上昇するにつれてさらに活躍しそうな頼もしい存在といえるだろう。

 

ところで、紀元前5000年頃のメソポタミア南部(古代バビロニア)で酢が造られていた記録が残っていると先に述べたが、この地域はご存知の通り現在はイスラム教信者が大部分を占めている。よって、飲酒は基本的にはご法度。酒を造ったのちに酢酸発酵を加える酢については、その残留アルコールにかんして国や地域、あるいは人によって「ハラル」(イスラム法において「合法な物事」を指す)か「ハラム」(同じく「禁止されている物事」)かの判断は若干の揺らぎはあるものの(添加物でなく発酵などの過程で自然に生じるアルコールについては「ハラル」であると捉える傾向が世界的にも増えているという)、できることならアルコールフリーが好ましいのは間違いのないところだ。日本でも近年のイスラム圏からの訪日人口の増加を鑑み、ハラルを意識した製品開発、メニュー開発が行われており、寿司酢やみりん、醤油など日本食に欠かせない調味料にもそうした流れは及んでいる。そうした観点からも、このホリス・ワインビネガーは安心して使えるのではないだろうか。

 

冒頭で『コクトーの食卓』の酢の項目は3つあると書いた。ひとつは酢そのものについて。もうひとつは「薔薇酢」で、これは「薔薇を摘んで、ホワイト・ワイン・ヴィネガーに漬け、十年間陽にさらしておくと、舌にも目にも快い酢ができ上る」というもの。そして残るひとつは「四盗賊の酢」である。本作中の説明は「この呼び名は、そもそもそういう職業に従事している人たちが、特赦を得るためにこの酢の製法を教えたところから来ている」というフランスらしい勿体つけた言い回しでなされているだけなので、若干補足すると、中世の南フランスでペストが流行した際、亡くなってしまった人や感染を恐れて街を出て行った人々の家に空き巣に入ったりして物品を盗む輩がいた。ある時、彼らは運悪く捕まってしまい、裁判にかけられることとなるのだが、そもそもなぜ彼らはペストに感染しないのかが大きな疑問点である。もし彼らだけが知るペスト回避策が人々の知るところとなれば、感染による多数の犠牲者を出さずに済むようになるだろう。そこで、その秘術を白状することと特赦との取引と相成った。

 

盗賊たちがペスト除けに用いていたのは、ほかならぬ酢だった。やや長くなるが、その成分を引いてみよう。「白酢4パント(3.72リットル)について、大小のアプサント(にがよもぎ)、ローズマリー、セージ、はっか、ルー(芸香)、それぞれ半乾きのものを1オンス半(46グラム)、乾燥したラヴェンダーの花2オンス(61グラム)、にんにく、アコリュス、シナモン、丁字、ナツメグ、各2グロス(7グラム)を用意する」。然るべきサイズに砕いたり切り分けたりしたそれらを密閉容器に入れて一ヶ月間陽にさらし、リキュールを足したうえでしっかりと絞って濾し、少しのエチル・アルコールで溶いた樟脳半オンス(15グラム)を加えると、ペスト除けの秘薬が完成する。このペスト除けを、盗賊たちは身体に塗って盗みを働いていたのだった。

 

この話にはいくつかヴァリアントが存在するのだが、いずれにも共通しているのはペストと酢である。猛威をふるい、恐れられていたペストの感染予防策として酢が出てくるということからは、当時の人々の酢へ寄せる信頼感が見て取れるのではないだろうか。ところで、同じ酢を使うでも、日本では唐雲貝というサザエに似た小ぶりの巻貝の蓋を、アールのついた面を下にして酢に浸して遊ぶというのがあるそうだ。酢が貝蓋の石灰質を溶かし、二酸化炭素の気泡を出しながらクルクルと回るのだという。このことから、唐雲貝の蓋部分は「酢貝」と呼ばれているのである。身は食用で旬は春とのことなので、見つけたら入手して、身に舌鼓を打ちながら(塩茹で、炊き込みごはんなどがポピュラーなようだ)、回転する蓋を眺めるなんていう楽しみ方はいかがだろう。

※掲載情報は 2018/04/02 時点のものとなります。

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青野賢一

BEAMSクリエイティブディレクター

青野賢一

セレクトショップBEAMSの社長直轄部署「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターも務める。執筆、編集、選曲、展示やイベントの企画運営、大学講師など、個人のソフト力を主にクライアントワークに活かし、ファッション、音楽、アート、文学をつなぐ活動を行っている。『ミセス』(文化出版局)、『OCEANS』(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)、『IN THE CITY』(サンクチュアリ出版)、ウェブマガジン『TV & smile』、『Sound & Recording Magazine』ウェブなどでコラムやエッセイを連載中。

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