パンを食べることはイメージを受け渡されることである。

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天才職人が試行錯誤の末バゲットをついに完成

パンを食べることはイメージを受け渡されることである。

「やっとできました」

私が「天才」と呼ぶ杉窪章匡シェフが半年以上もかけて、試行錯誤をつづけてきたバゲットがやっと完成したというのだ。

昨年12月にオープンするや各媒体で取り上げられいまや人気店となった、代々木八幡「365日」のカウンターで。

スライスしてもらったそのバゲットを、私は口元に持っていった。

パンの香りを嗅いだ瞬間、杉窪シェフの抱いたイメージが頭の中に流れこんでくるような思いをした。

素材そのものの味がすること。

それを育む風景、丹精込めて育てる人、その思いが、パンを齧る都会の人に伝わるようにパンを作る。

それは必要条件であって、それだけでは充分ではない。

この天才職人にとっては、そうなのだ。

いままでだって、365日のバゲットはおいしかったし、私は満足していた。

杉窪さんの頭の中にはそれを超えるイメージがあったのだ。

強度とやさしさをあわせもった「楽園のパン」

パンを食べることはイメージを受け渡されることである。

このバゲットの風味は極めてゆっくりとやってくる。

ジャンクなものは、瞬間的に味がして、後味はどんどん悪くなってくる。

これはまったく逆である。

中身は穀物的な香りに満ちているのだけど、粗野ではなく、強度があるにもかかわらず、やさしく嗅覚を撫でるのだ。

麦畑をそよぐ風のような穀物感が過ぎ去ると、黄色い甘さの時間となる。

じわーっと強まって、食べるほうが予想したよりもっともっと強まって、驚きとなる。

声が出るほどに。

楽園のイメージ。

もし、大量生産・大量消費というシステムが、もっと自然や、生産者のことを尊重するような方向へと進んでいったとき、「やさしい時代」がやってくるだろう。

このバゲットの味わいは、そんなことさえイメージさせるのだ。

このバゲットは「コンベクションオーブン」で焼かれるということにも特徴がある。

対流を利用して焼くこのオーブンは電気効率がよくて環境にやさしい発明品なのだが、バゲットのようなフランスパンはおいしく焼けないというのがパン屋の常識(ハード系はデッキオーブンでないと焼けない)だった。

杉窪シェフはその常識に挑戦した。

聞かなければ、コンベクションで焼いたとはわからないほど、皮に充分な厚みと硬度があり、かりかりと小気味よい音をたてる←火が十分入っていなければありえないほど豊かな甘さがあった。

帰りの電車の中に、穀物の香りが漂っていた。

もしや、と思った。

私は、365日で食べたバゲットの残りの断面を嗅いだ。

やっぱり、この匂いだ。

香ばしい皮の香りであれば、ままあることなのだけれど、穀物的な香りというのは、中身からしか香らないものなので、バゲットの小さな断面に鼻を近づけなければ嗅ぐことはできない。

それが、電車の中に漂いだしている。

私は信じられない思いを抱きながら、手にしていたバゲットを、我慢できず齧った。

バゲット

365日

※掲載情報は 2014/10/31 時点のものとなります。

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キュレーター情報

池田浩明

パンラボ主宰・パンライター

池田浩明

パンの研究所「パンラボ」主宰。日本中のパン屋におもむき、パンを食べ、パン職人の話に耳を傾け、パンについて書く。パンラボblog(panlabo.jugem.jp)でパン情報発信中。1日4回5回とパンを食べる毎日。Twitter.com/ikedahiloaki、instagram.com/ikedahiloakiでは食べたパンを実況中継中。著書『パンラボ』(白夜書房刊)、『サッカロマイセスセレビシエ』(ガイドワークス刊。パンラボblogで連載「東京の200軒を巡る冒険」単行本)、『パン欲』(世界文化社刊。日本全国パンの聖地を旅する)。あらゆるパンを愛するというのがモットー。雑誌、トークショー・講演、ラジオとさまざまな媒体でパンのすばらしさを説く。

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