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「一千一秒物語」と通底する老舗の味
暖かい季節がやってくると読み返したくなるのは「一千一秒物語」だ。稲垣足穂(1900-1977)が17歳頃から書き綴った約200篇の中から68篇を自選し、1923年(大正12年)、金星堂より刊行したこの掌編集(後の改訂版では70篇に)は、「さあ皆さん どうぞこちらへ! いろんなタバコが取り揃えてあります どれからなりとおためし下さい」という口上から始まる実にファンタジックでモダンな作品群である。
その後の作品はすべて「一千一秒物語」の脚注に過ぎない、と足穂自身が述べているように、月、土星、ほうき星といった天体嗜好がすでに存分に見て取れるのだが、ではなぜ暖かくなると読みたくなるのか? それはおそらく春の霞がかったような陽気の中で見る星々、街並みが、どこか絵空事のような雰囲気を湛えているからではないだろうか。秋から冬の星が素敵に輝く夜空でも、夏の緩慢な熱帯夜でもいけないのである。
この「一千一秒物語」には、奇妙なノスタルジーもある。私たちが実際に見知っている過去とはまったく異なるはずであるのに、だ。言葉が引き起こすノスタルジーもあろう。しかし、それを差っ引いても、例えば「カラカラと滑車の音がして 東から赤い月が昇り出した」(「一千一秒物語」より「月をあげる人」)という一節から湧き起こるイメージと不思議な懐かしさがあるのである。そういう点では、松岡正剛いうところの「未知の記憶」という概念がとてもしっくりくるような小説といえるだろう。
ところで、私の家での飲み物といえば、水かコーヒーなのだが、ごくたまに、例外的に飲むものがある。サイダーである。今頃の時期になると気まぐれに恋しくなるのだ。サイダーといっても、コンビニエンス・ストアで売っているようなペットボトルのものではなく、瓶のものに限る。最近は地ビールならぬ地サイダーというのも多いようでイベントなども組まれていると聞くが、わざわざそうしたところに出向かずとも入手出来る瓶入りサイダーというと、「スワンサイダー」となる。スワンサイダーは、1902年(明治35年)創業という長い歴史を誇る佐賀県の「友桝飲料」が昭和初期から作っていたもので、2005年に復刻され、現在に至っている。青山の「紀ノ国屋インターナショナル」などで購入可能だ。
上質のグラニュー糖を丁寧に溶かし込むという昔ながらの製法で作られるスワンサイダーは、強めの炭酸と爽やかな飲み口が特長だが、瓶の蓋が王冠なのもスワンサイダーを特別なものにしているといえる。栓抜きがないと開けられないので、ペットボトル飲料のような利便性がないのがいい。栓抜きでもワインオープナーでもいいが、道具を使わないと開けられないというのは、そこに一手間必要だということ。「さて、飲もう」という意志が働くだけに、その味わいにも自然と敏感になるのではないだろうか。
突然サイダーの話になったが、実は「一千一秒物語」にもサイダーが出てくる。「A MOONSHINE」という話である。
「さあ取れた取れたと云いながら Aは三日月をつまみかけたが 熱ッッと床の上へ落としてしまった すまないがそこのコップを取ってくれって云うから 渡すと その中へサイダーを入れたのさ どうするつもりだって問うと ここへ入れるんだって そんなことをしたらお月様は死んでしまうよと云ったが なあに構うものかと鉛筆で三日月を挟んで コップの中へほうりこんだ」。
三日月をサイダーの入ったコップに放り込んだ途端、紫色の煙が立ち昇り、二人ともくしゃみを連発。やがて気が遠くなってしまう。気がつくと三日月は空に、コップの中のサイダーは少し黄色くなっていた。毒だからよせといったのも聞かず、Aはそれを一気に飲み干して「あんなぐあいになっちまった」。
古くから月の光は、人に狂気をもたらすと信じられてきた。とりわけラテン語の”Luna”から派生した語については、その傾向が色濃く残っているが、この話のタイトルに使われている”Moonshine”も「戯言」「馬鹿話」のような意味がある。その一方で”Moonshine”は「密輸品」「密造酒」といった意味も持つが、これは”Moonraker”という伝承とも関連している。密輸業者が池に密輸品の入った樽(一説には密造酒とも)を落としてしまい、熊手(=Rake)で必死に引き上げようとしていたところを尋問され、咄嗟にアホ面をして「池の月を捕まえようと思って」といった。尋問した人は「ああ、馬鹿が月を捕まえようとしているのか」と笑ってその場を去り、密輸業者は首尾よく樽を引き上げたという。つまりヤバいときには月の光にやられた狂気を装えということである(ただし月夜の晩に限る)。
そう考えると、足穂の「A MOONSHINE」でサイダーに放り込まれたのは、強いアルコールの類かも、などと想像を巡らせるのもなかなか楽しいが、スワンサイダーは、アルコールを入れずともそのままで充分美味しい。ラベルのデザインに昭和初期頃から使われていたというスワンのロゴを配しているせいもあるだろうけれど、初めて飲む人でも、どこか懐かしい味と感じるかもしれない。これこそまさに「未知の記憶」であり、どこか「一千一秒物語」と通底するものがあるのではないだろうか。季節が進んだらミントの葉を浮かべて飲み干すのも爽やかでいい。さて、好みのグラスに注いで、春のぼんやりした月にProsit!
※掲載情報は 2015/04/20 時点のものとなります。
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キュレーター情報
BEAMSクリエイティブディレクター
青野賢一
セレクトショップBEAMSの社長直轄部署「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターも務める。執筆、編集、選曲、展示やイベントの企画運営、大学講師など、個人のソフト力を主にクライアントワークに活かし、ファッション、音楽、アート、文学をつなぐ活動を行っている。『ミセス』(文化出版局)、『OCEANS』(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)、『IN THE CITY』(サンクチュアリ出版)、ウェブマガジン『TV & smile』、『Sound & Recording Magazine』ウェブなどでコラムやエッセイを連載中。