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酒造りの神様と食の匠のコラボレーション。そこから見える酒の楽しみ方
今回紹介する酒「JUNMAI DAIGINJO 無濾過生原酒 2018vintage」を生み出した杜氏の農口尚彦(のぐち なおひこ)さんは、「吟醸酒」をいち早く広めた火付け役であり、また戦後失われつつあった「山廃仕込み」の復活の立役者でもありました。全国新酒鑑評会では連続12回を含む通算27回の金賞を受賞。70年に及ぶ酒造り人生の中で数々の銘酒を生み出してきました。その功績から、酒造りの神様と呼ばれましたが、一度酒造りから離れ、日本酒の世界では落胆の声が広がりました。しばらくのブランクを経て、2017年11月、「農口尚彦研究所」の設立とともに第一線に復帰。「農口尚彦研究所」は、「この地の水を求めて」と農口さんが言う、石川県・小松市、市街から車で20分ほど離れた山里にあって、王道の酒蔵であり、一方で農口さんの匠の技術・精神・生き様を研究し、次世代に継承する場でもあります。
プロフィールだけを見れば近寄りがたいレジェンド、鬼才というイメージがわくでしょうか。以前の私もそうでしたし、業界でも巨匠という「農口像」がありました。でも、実際は…。
「(酒造りの)神様と呼ばれるお気持ちはいかがですか?」
と聞くと
「いやぁ…そういうのはいいです。ただ、杜氏と呼んでいただきたいです」。
照れ笑いというよりも、もっと遠慮深い、謙遜から出る微笑と、朴訥だけど温かみのある能登弁のイントネーション。この会話だけでも人柄が伝わってきました。
農口さんの酒造りは自己主張ではなく、「時代と共に酒は変わり、酒造りは変わっていく。そこにどうあわせて行くか」ということがテーマ。ベースとなるのは「労働の酒」で、誰もが仕事の後につかれた心と体を癒し、笑顔になり、翌日もがんばろうと思える酒。でも、昔の日本酒の世界から、今は、冷暖房の効いた家で飲む酒、世界のレストランで好まれる酒と時代と共に酒に求められるものは変わっています。そのことを農口さんは理解し、「労働の酒」という変わらぬ思いを込めながら、今にあわせた酒を造るために、変えていかなければいけないことがあると考えています。はじめて農口さんにお会いした時に印象的だったのは、「いいことばかりではなく、悪いことも言ってください」、「このお酒は世界で受け入れられますか?」と実に素直に聞いてくれたこと。その素直さと貪欲さもまた、「神様」の凄さだと感じました。
▲農口さん。米寿を迎えても「学び」を忘れない、いやむしろ積極的というのは素晴らしい。
では、農口さんのお酒をどのように楽しむか。その素敵な試みが研究所では行われています。併設されたテイスティングルーム「杜庵」で行われる、農口さんの酒と国内外の一流シェフのコラボによる「Saketronomy(サケトロノミー)」です。「Sake」と「Gastoronomy(ガストロノミー)」の融合をコンセプトとしたペアリングイベントで、地元の農産物や食に関わるクリエイターの発信拠点を創造し、小松市を「美食のまち」として世界中の美食家達の「旅の目的地」とすることが目標のプロジェクトから生まれました。1回目は、2019年に開催され、フランス料理世界大会ボキューズドール 2019 の日本代表である髙山英紀シェフ(メゾン・ド・タカ芦屋)が参加。以降、「台湾 祥雲龍吟(台湾)」稗田良平シェフ、「レストランA.T(パリ)」田中淳シェフ、「西麻布 山﨑」山崎志朗シェフを招聘し、このイベントでしか味わえないオリジナリティの高いペアリングコースを提供してきました。そして、最新回である第5回は、京料理の匠、高木一雄シェフを迎えて開催。各国でのレストラン監修を務める傍ら、F1シンガポールグランプリのゲストシェフなど、これまで11カ国、30回以上の海外イベントを通じて日本料理の魅力を世界に発信している、世界を知る料理人です。
▲「農口尚彦研究所」のテイスティングルームは加賀の茶室をイメージした空間。イベント以外でも訪問可能。農口さんの酒を静謐の時間とともに味わえます。
(予約制:詳細は研究所の公式サイトにて確認ください https://noguchi-naohiko.co.jp/user_data/experience)
今回提供されたのは10酒11杯のバリエーションと11皿のペアリング。高木シェフと杜庵のスタッフはこのペアリングで、テイストやテクスチャーというペアリングの基本要件だけではなく、温度、酒器という、さまざまな組み合わせの妙や楽しさを見せてくれました。
例えば2皿目、「YAMAHAI MIYAMANISHIKI 無濾過生原酒 2018vintage」と「金時草とガス海老」。地元能登産のガス海老に隠されたねっとりと濃厚な舌触りとうま味を、ぬる燗で引き出し、絡めあい、豊かな余韻へと導いてくれます。どうしても「いい酒は冷やして」というイメージがあり、燗にするという発想は勇気がいるところですが、そこを超えていくと、なんとも豊かな世界が広がっていくのです。もちろん温度だけで合わせたわけではなく、ガス海老の甘味、金時草のほろ苦さに、この酒が持つボダニカルでハーバル、しっとりしながらもさわやかさがあってこその楽しさ。酒自体、ヴィンテージというイメージからくる深みのようなものは生かされながら、瑞々しいきらめきと優しさの両面があり、多彩な温度で楽しめる良さがありました。
▲「YAMAHAI MIYAMANISHIKI 無濾過生原酒 2018vintage」×「金時草とガス海老」。繊細な九谷焼がエレガンスさを引き出すという酒器との組み合わせも楽しい。
このイベントでは、レギュラーとして販売されているお酒ではなく、希少な限定アイテムが次々と登場し、それはとても幸せなものですが、家でも(料理はここまでは無理でも)、農口さんのお酒を味わい、ペアリングを試したい。ということで、イベントに登場した中では、比較的入手しやすい「JUNMAI DAIGINJO 無濾過生原酒 2018vintage」。イベントでは「能登牛炭火焼き」とのペアリングで登場。肉の旨味とトマト麴の酸味、山椒のさわやかさが、この酒の特徴と手を取り合います。うま味とうま味が重なっているのに味わいは不思議に楽しくポップ。農口さんの酒は、風味も飲み口もどこまでも優しくすっと溶け込んでくれるのですが、それは静寂だけではなく、きらきらとした瑞々しさもあって。「巨匠」、「神様」という肩書はいつのまにか、飲む側の頭から消えていき、癒し、のち、生き生きした明るさが現れて、そこではじめて、そのバランスの凄みに震えるという…。この料理にはもちろん高木さんの巧みな技やペアリングの知見があって、家でできるものではないのですが、そういった難しい理屈も、飲んで、食していると次第に忘れてしまい、改めて食した後に、「あ、特別な酒と料理を楽しんでいるんだったっけ」と気づく。そう、いい酒は押しつけてこない。なるほど「ベースとなるのは「労働の酒」で、誰もが仕事の後につかれた心と体を癒し、笑顔になり、翌日もがんばろうと思える酒」。至高の料理だけではなく、きっと我が家の日常を少し特別なものにしてくれる。けれど、その特別はいつもの毎日があってこそ。特別なイベントなのに、そんな幸せを思いださせてくれました。
冷やしてうまい酒、少し温度を上げて楽しい酒。食とのバランス、器へのこだわり。農口さんの酒たちはスペシャルで、一生懸命難しく考えたくなるかもしれないけれど、それはプロのイベントやレストランにまかせて。星付きレストランや、この小松の特別な空間で向き合う農口さんの酒も、少しうまくいった仕事帰り、ちょっと早めに帰れた夕方、近くの八百屋で見つけた故郷の旬の野菜をシンプルに焼いて、塩をふってという日常での農口さんの酒も。私たちはその日の気持ちに素直になって味わう。それでもきっと、それがきっと、いいんです。
▲野趣と緻密な工夫の「能登牛炭火焼き」。でも家でなら、シンプルな焼き方、味付けでも農口さんの酒は「それもまたいいんですよ」とほほ笑んでくれそう。「Saketronomy(サケトロノミー)」は不定期開催。開催情報は公式サイトにてご確認ください。
※掲載情報は 2021/07/05 時点のものとなります。
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キュレーター情報
ワインナビゲーター
岩瀬大二
MC/ライター/コンサルタントなど様々な視点・役割から、ワイン、シャンパーニュ、ハードリカーなどの魅力を伝え、広げる「ワインナビゲーター」。ワインに限らず、日本酒、焼酎、ビールなども含めた「お酒をめぐるストーリーづくり」「お酒を楽しむ場づくり」が得意分野。
フランス・シャンパーニュ騎士団 オフィシエ。
シャンパーニュ専門WEBマガジン『シュワリスタ・ラウンジ』編集長。
日本ワイン専門WEBマガジン「vinetree MAGAZINE」企画・執筆
(https://magazine.vinetree.jp/)ワイン専門誌「WINE WHAT!?」特集企画・ワインセレクト・執筆。
飲食店向けワインセレクト、コンサルティング、個人向けワイン・セレクトサービス。
ワイン学校『アカデミー・デュ・ヴァン』講師。
プライベートサロン『Verde(ヴェルデ)』でのユニークなワイン会運営。
anan×本格焼酎・泡盛NIGHT/シュワリスタ・ラウンジ読者交流パーティなど各種ワインイベント/ /豊洲パエリア/フィエスタ・デ・エスパーニャなどお酒と笑顔をつなげるイベントの企画・MC実績多数。