50年ぶりに復活した幻の伝統野菜 広甘藍(ひろかんらん)

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広甘藍(ひろかんらん)は広島県呉市広町に住む数名の農家が品種改良したもので、大正に入り総勢450名が参加する組合が設立されました。大正後期には呉や広島市以外に、東京・大阪をはじめ全国に、遠くは中国東北部にまで出荷されるようになりました。

 

しかし、戦争によって軍事施設拡張のため耕作面積が激減しました。戦後の一時期に復活しましたが、高度経済成長とともに、味よりも重量が優先され、重たくて作りやすい他品種に押され、昭和30年代後半から姿を消していきました。農家が栽培しなくなってからも、呉市農業振興センターは復活を夢見て、原種を保存しようと地道に栽培を続けてきました。

 

そして2010年、ついに熱意が実り、幻の野菜 広甘藍のブランド化が発祥の地、呉市でスタートしました。 夏播きの品種としては1.5〜2kgと小型ですが、その糖度は高く、通常のキャベツに比べ水分を多く含むため、葉はもちろんのこと、芯まで柔らかです。広甘藍はおおむね、11月から1月までの3ヶ月の期間限定出荷です。

広甘藍の生い立ち

50年ぶりに復活した幻の伝統野菜 広甘藍(ひろかんらん)

呉市広町が発祥と言われるキャベツの仲間「広甘藍」。ヨーロッパでは野菜より薬草として用いられ、古代ギリシャやローマでは胃腸の調子を整える健康食として食べられていました。現在日本で普及しているものは、12世紀から13世紀のイタリアで品種改良されたものが起源とみなされ、18世紀にアメリカへ渡り肉厚で柔らかく改良が進みました。

 

日本には幕末の1850年代に伝わり、明治にかけて外国人居留地用として栽培されていましたが、一般の日本人が口にすることはありませんでした。1874年(明治7年)、内務省勧業寮がのちの三田育種場で欧米から取り寄せた種子で栽培試験を行ったのが、本格的な生産の始まりとされています。その後、試験地は北海道に移され、北海道開拓使が発行した「西洋蔬菜栽培法」に、キャベイジの名で記載されています。 1893年(明治26年)には外国人避暑客のために、長野県軽井沢町で栽培が始まり、1945年(昭和20年)頃まで、「甘藍(カンラン)」と呼ばれてました。

 

日本の風土気候に合うよう、大正時代に品種改良が進められ、栽培は北海道のほか、東北地方や長野県で拡大しましたが、洋食需要が限られていた戦前にはそれほど普及しませんでした。戦後、食糧増産と食の洋風化が相まって生産量は急激に増加していきました。それに伴って病気に強く生産性の高いものに改良されていきました。

また害虫(モンシロチョウの幼虫アオムシ)に弱いために大量の農薬を使い、より大きく手がかからないものが市場に出回るようになりました。
古くから呉市広町一体で作られていた「甘藍」は品種改良された「強くて農薬を使うキャベツ」に変わり、作られなくなっていったのです。

1玉400円の高級野菜「広甘藍」の復活!

50年ぶりに復活した幻の伝統野菜 広甘藍(ひろかんらん)

明治末期から呉市広地区で育成され、大正後期に市場において高い評価を得ました。これ以降、栽培農家は増加の一途をたどり、最盛期には約200ヘクタールで栽培されていたといわれるキャベツ「広甘藍」。
しかし、50年ほど前からその姿を見なくなり、絶滅したとも言われていました。
永く呉市農業振興センターは広甘藍の種子を保存し、家庭用に苗を配布するなど地道に広甘藍を守ってきました。

農業者の高齢化の進む呉市では、農業者の収益アップを図り、高齢化の進む地域に担い手を育てようと、広甘藍のブランド化に取り組むことになりプロモーションにも力を入れました。さらに、呉市農業振興センターの呼び掛けで、まずは生産者と広甘藍の歴史や生産方法などを学ぶ勉強会を開催し、2010年6月に広カンラン生産組合を組織しました。こうして広甘藍の生産に市を上げて取り組むことになったのです。

絶滅寸前だった高級野菜、今ではファンも急増

トマト以上の糖度が計測される広甘藍。柔らかい葉と甘味が特長ですが、そのぶん虫が付きやすいのが難点です。
農業振興センターでは実際に育てながら、より良い広甘藍を作るべく、丁寧にデータを取り続け、生産者とともに強い土作りも行っています。また一つ一つの畝に防虫ネットを張り、手間がかかっても減農薬栽培に努めています。
生産者と農業振興センターがともに地域の活性化につながる広甘藍の生産を行っています。
現在は20軒の生産者で約2.4トンの生産量になりました。

 

今回は、広甘藍のおいしさを引き出すレシピ「広甘藍の信田巻」をご紹介します。

50年ぶりに復活した幻の伝統野菜 広甘藍(ひろかんらん)

広甘藍の信田巻
【材料/4人分】
広甘藍の葉2〜3枚、油揚げ2枚、水で戻したかんぴょうか爪楊枝・ A(昆布水50mlにつき醤油小さじ1)
【作り方】
1.広甘藍の葉をレンジで30秒、もしくは5分ほど蒸す。折っても破れないくらいに少しやわらかく、が目安。
2.葉の芯の部分は切って4等分する。葉は油揚げの大きさに合わせて四角く切る。
3.油揚げは油抜きし、三方を切って一枚に広げる。
4.油揚げに葉を敷き、芯と切った油揚げを置いて巻く。
爪楊枝で止めるか、かんぴょうで結ぶ。
5.鍋に結び目を下にして置き、Aを信田巻の半分くらいが隠れるように入れて落し蓋、着せ蓋をし、10分ほど煮て器に盛る。
昆布水:水1リットルを瓶に入れ、10~20グラムの昆布を入れて一晩おいて出来上がり。出汁に使うとぐっと味が引き立ちます。
※広甘藍は、巻きやすいように蒸すかレンジで柔らかくして使います。あまり煮過ぎるとかんぴょうが切れてしまうので注意。

 

お問い合わせ先

0823-25-1200

JA呉 まで

※掲載情報は 2019/01/02 時点のものとなります。

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キュレーター情報

納島正弘

(株)地域デザイン研究所代表

納島正弘

株式会社地域デザイン研究所代表取締役 
1960年9月15日、尼崎市生まれ。広島市在住。
有限会社 ROCKETS 代表取締役を経て 株式会社地域デザイン研究所を設立。企業のブランディング、広告企画デザイン、パッケージデザインなど、地域活性に関わるデザインを多く手がける。
広島アートディレクターズクラブ(“H”ADC) 会長、 ひろしまデザインネットワーク会長、安田女子大学文学部非常勤講師、穴吹デザイン専門学校非常勤講師、 広島広告協会会員、 広島市産業振興センター 工業支援アドバイザー、「雁木タクシー」NPO法人雁木組 理などを勤め、活動の幅は多岐にわたる。2016年 渋谷ヒカリエD&D「NIPPONの47人/グラフィックデザイン」2014年〜2018年鹿児島県「食とデザイン」アドバザー他、講演やパネリストや2017年グッドデザイン賞など受賞歴も多数
2009年「GURAJIKU」展(ピカソ画房ギャラリー「パブロ」) 2013年“H”ADC展(光村印刷ギャラリー)
2018年4月から2019年3月まで広島県安芸高田市立「八千代の丘美術館」にて常設展

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