丹後の米・野菜からつくりあげる老舗『和久傳』の米味噌糀漬け

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何度も使える米味噌糀漬

京都の北の丹後の地に1870年(明治3年)に1軒の旅館が誕生する。丹後は江戸時代から丹後縮緬(ちりめん)で栄え、その旅館も京都などから訪れる商人たちの宿で、老舗旅館として百年以上も続いていたが、やがて、縮緬産業の衰退で町中の旅館から敷地3千坪の山の麓に客室七部屋という贅沢な旅館へと転換する。ここに1964年(昭和39年)に24歳の女性が嫁いだ。しかし、旅館は潰れかかって大変な時に女将として苦労したのだった。

 

そして時代は下り1982年(昭和57年)に若い女将は背水の陣で京都市内、秀吉の北の政所「於寧(おね)」ゆかりの高台寺近くに旅館として使われていた数寄屋建築の名建築があり、ここを懐石料理の店『和久傳』として開店した。苦労が実を結び『和久傳』は京都で確固たる評価を得て名店となった。

 

『和久傳』の大女将、桑村綾さんは長年支えてくれた丹後の地に恩返しすべく2007年より56種およそ3万本の植樹を行い自然環境も整備し、広大な「和久傳の森」を造った。同時に和久傳の森づくりとともに、米づくりに取り組み蟹殻を堆肥にした土づくりから、苗づくり、田植え、人力除草、稲刈り、脱穀、乾燥、籾摺りを行った。ここで作った米は「和久傳米」と銘々し、さらに糀を加えて素晴らしい甘糀や味噌も出来たのだ。甘糀と味噌に、炊いたご飯を合わせ出来上がった特製の「米味噌糀」に季節の夏野菜とクリームチーズを漬け込んだものが今回のippinでの紹介である。

丹後の米・野菜からつくりあげる老舗『和久傳』の米味噌糀漬け

京都『和久傳』の米味噌糀漬け 丹稲菹(たんとうしょ)。”菹”という字はあまり馴染みのある字ではないが菹は音読みで「ショ、シャ」で 訓読みでつけものと読む。白水社の中国語辞典によると、1水草の多い沼地.2白菜などの漬物.≦酸菜.3(肉・野菜を)切り刻むとある。野菜の種類は季節で替わり今回入っていたのが、胡瓜、大根、人参、茄子に山芋とクリームチーズだった。

 

余談だが、麹には2つあり、ひとつ「麹→麹菌(種麹)」のことを指し、もうひとつは「麹→穀物に麹菌を繁殖させたもの(米麹など)」を違いがあるのだ。 ちなみに、「麹」も「糀」も意味は同じなのだが、「糀」は穀物が米のもの「米糀」として使われる場合が多く、米糀は米の甘みが際立ち米味噌の味が柔らかくて、さすが京都の料亭の味になっているのである。しかし、この中で野菜ではないがクリームチーズのつけものが非常に旨く、酒のあてにピッタリだった。もうひとつ特筆すべきことは、この米味噌糀漬けの米味噌糀床が再度活用出来るということである。

丹後の米・野菜からつくりあげる老舗『和久傳』の米味噌糀漬け

野菜でも良いし、わが家は豚肉を漬け込んでソテーして食べているが、味噌漬けや粕漬けのような味の濃さはないが、米糀の甘みがうま味にかわりびっくりするほど旨くなるのだ。大女将の桑村綾さんには何度かお会いしたが、いつも背筋をピンと延ばしている様は美しく丹後愛溢れた素敵な女性だった。『和久傳』の味は桑村綾さんそのものであり、一度丹後の地を訪れたいと思うのだった。

丹後の米・野菜からつくりあげる老舗『和久傳』の米味噌糀漬け

※掲載情報は 2018/09/15 時点のものとなります。

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キュレーター情報

後藤晴彦(お手伝いハルコ)

アートディレクター・食文化研究家

後藤晴彦(お手伝いハルコ)

後藤晴彦は、ある時に料理に目覚め、料理の修業をはじめたのである。妻のことを“オクサマ”とお呼びし、自身はお手伝いハルコと自称して、毎日料理作りに励んでいる。
本業は出版関連の雑誌・ムック・書籍の企画編集デザイン制作のアート・ディレクションから、企業のコンサルタントとして、商品開発からマーケティング、販促までプロデュースを手がける。お手伝いハルコのキャラクタ-で『料理王国』『日経おとなのOFF』で連載をし、『包丁の使い方とカッティング』、『街場の料理の鉄人』、『一流料理人に学ぶ懐かしごはん』などを著す。電子書籍『お手伝いハルコの料理修行』がBookLiveから配信。
調理器具から食品開発のアドバイザーや岩手県の産業創造アドバイザーに就任し、岩手県の食を中心とした復興支援のお手伝いもしている。

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