理想の弁当

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江戸時代からの濃い味つけを楽しむ

神田神保町の三省堂書店神保町本店の4階に、「三省堂古書館」というのがある。いくつかの古書店が棚を持っており、雑誌類はほとんどないが、オールジャンルの品揃えで、神保町を訪れた際には必ず立ち寄ることにしている。この界隈の古書店よりも遅くまでやっているのがありがたいのである。先日、本年初の神保町詣でを行ったのだが、そのときにももちろん足を運んだ。

 

先に記した通り、品揃えはオールジャンルなので、立ち寄る側も構えなくていい。さーっと流し見る中で気になったものを手に取り、中身をパラパラと読んで気に入ったら買う。もともと本でもレコードでも、「これ」と決め打ちをしてそれを探しに店に行くのでなく、面白そうなものを適当に買うというスタイルなのだが、ここに来るとその傾向に拍車が掛かるようだ。この日はレーモン・クノー『はまむぎ』と、関山和夫『落語食物談義』を落手。前者は、鹿島茂、高山宏、吉本隆明、豊崎由美、瀧井朝世らが書いた書評を集積したサイト「ALL REVIEWS」にて、SF研究家で文芸評論家の牧眞司による書評をたまたま少し前に読んでいたので目に止まった。書評されていたのは水声社版だったが、こちらは白水社版。野中ユリによるデカルコマニーが外箱と表紙に配されていたのもあって、迷わず購入と相成った。

 

『落語食物談義』は初めてお目にかかった。題名通り、落語に出てくる食べ物や飲み物などを、その噺を引きながら記したエッセイ集で、ひとつひとつが4ページにテンポよくまとめられている。取り上げている料理、食べ物をいくつか挙げてみると、米、蕎麦、うどんといった主食類、田楽、漬物、おでん、天麩羅などの副食物、刺身、鰻、鮨、牛肉、饅頭、汁粉などなど。「その他」の章に八百屋や大飯食いまであるのが面白い。というわけで、こちらも買い求めることにした。こうした思わぬ収穫があるから古書店巡りはやめられない。

 

 

『はまむぎ』は長編小説(クノーの処女作だ)ということもあり、帰りの地下鉄の中では『落語食物談義』に目を通すことにした。乗車時間が大して長いわけではないときには、エッセイ集に限る。どこからでも読むことができるが、始めからページを追ってゆくことにした。最初の章は「主食類」で、まずは米。米を食べる話かと思いきや、米屋についてで、引いているのは「ざこ八」という上方落語の大作である。続いては赤飯。これは、以前

私も取り上げた「明烏」から始まっている。

「お前の帰りがおそいんで心配していました。どうした? 藤兵衛ンとこのお稲荷様のお盛物を持ってッたって? ああ、そうか。それァいいことをした。お膳が出てますから御飯をお食べ」
「へえ、あちらでお赤飯を頂戴いたしてまいりました」
(『落語食物談義』白水社 所収「赤飯」より)

 

この「明烏」の引用のあとに著者が記している一文を読んで驚いた。曰く、「赤飯はいうまでもなく民間で吉事と凶事の両方に用いるものである」。そうなのか! 赤飯というとお祝い事のイメージがあったが、凶事にも用いられるとは知らなんだ。読み進めていくと、こうある。「赤飯を葬式に出すことは、江戸時代に盛んに行われたものである」。その証左として著者は落語「子別れ」を挙げている。「子別れ」は、上・中・下からなる長篇人情噺で、この「上」は別名「強飯(こわめし)の女郎買い」ともいうのだそうだ。強飯とはおこわのことである。熊五郎という腕のいい大工が、町内の御隠居の葬儀に出かけた。葬儀で酒をいただき、吉原の近くだったので、帰り道で出会った幼馴染で紙屑屋の長公とふたりで遊郭へと操り込むことに。葬儀に参列した人には、そのお礼として葬式饅頭や塩煎餅、おこわなどが配られるのだが、熊五郎が行った葬儀では黒豆入りのおこわと出汁をたっぷりと含んだがんもどきの折が出た。普通はお一人様ひとつが常識だが、余っていたので熊五郎は七つばかりを背中に入れて持ち帰ってきた。
「今日は仏の遺言だよ、折りはどうでもいいから、中味はなるッたけ銭をかけて、いいものを出しつくれというんでねェ、弁松ィ別誂えで、竹の皮包みだが中味は吟味してある、どうも、がんもどきなんざあ汁を含んで、いい強飯が出たよ、おらあねェ、台所に大分残っていたから背中ィその強飯を七つ背負ったんだ」

亡くなった御隠居の遺言で、参列のお礼は外側はどうでもいいが中味にできる限りお金をかけてくれ、ということで、「弁松」に特注して作ってもらった。「弁松」は日本橋にある日本で初めての折詰料理専門店。同店のホームページによれば、越後生まれの樋口与一なる人物が日本橋の魚河岸に「樋口屋」という食事処を開いたのが「弁松」の大元だそうだ。文化7年(1810年)のことである。樋口屋は盛りのよさで繁盛していたが、魚河岸で働く人々は忙しく、食事の時間を十分に取ることはできなかったので、せっかくの盛りのいい料理を食べきる前に席を立たねばならない人も多かったという。そこで樋口屋は考えた。食べきれなかった料理を経木や竹の皮に包んでお持ち帰りいただいたらどうか。するとこのアイディアが大当たり、大好評を博し、持ち帰り用を希望する人が増加。こうして折詰弁当が始まった。二代目の竹次郎の時代には竹皮で包んだ弁当を販売しはじめ、三代目の松次郎のときに店名を「弁松」に改め、食事処から折詰料理専門店となった。これが嘉永3年(1850年)。新たな店名である弁松は「弁当屋の松次郎」から採られたそうだ。

 

というわけで、弁松である。現在の弁松は、日本橋本店では予約販売のみで、直営店舗および取り扱い店舗では予約をせずとも店頭にて買い求めることができる。ひとり分を予約するのも何なので、直営店のある新宿伊勢丹に足を運んだ。直営店といってもデパ地下なのでちょっとしたコーナーといった面持ちである。選んだのは料理の折「並かし七」と赤飯の折詰である。

 

料理も赤飯も優しい色調の包み紙(写真は「並かし七」)。これを解くと、経木の折箱が出てくる。木材なので仄かに木の香りがする。北海道のエゾ松と黒松の間伐材だそうだ。ここからして昨今の手軽な弁当とはひと味違う。

 

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蓋を開けると、ご覧の通り。料理の折に入っているものをざっと挙げると、めかじきの照り焼き、玉子焼き、蒲鉾、豆きんとん、えび旨煮、生姜辛煮に、つと麩、蓮根、里芋、筍、絹さや、椎茸、牛蒡、蒟蒻、ひょうたん揚の甘煮(うまに)となる。

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弁松に特徴的なのは甘煮の味つけだろう。「甘煮」と書くことからも想像がつくように、甘みの勝った味つけである。この味つけがそれぞれの具材の奥まで浸透し、素材の味と絶妙に混ざり合って、ひとつひとつにきちんと個性を与えている。蒟蒻はしっかり包丁で切れ目が入っていて、仕事の細やかさが感じ取れる。そして、この甘煮の味をうまい具合に引き立てているのが生姜辛煮である。生姜のきりりとした辛味が、甘煮を食べている途中にいいアクセントとなるのだ。めかじきの照り焼きは肉厚かつ引き締まった身で水っぽさがないのがいい。甘煮と同じく甘めの味つけの玉子焼きは、ひと切れでは物足りないと感じるほどであった。普段ではほとんど食べることのない豆きんとんは、食事の締めの甘味としていただくのもいいだろう。

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「強飯の女郎買い」にも出てくる赤飯(あちらは弔事なので黒豆のおこわだが)は、大変オーソドックスな味わい。妙な粘り気がなく、かといってパサパサでもないこの「普通さ」がかえって手間暇を感じさせるのである。

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異論もあるだろうが、弁当は冷たくてこそ弁当だと思う。温かい食事を望むなら、自分で作るか外食すればよろしい。私にいわせれば弁当を温めるなど愚の骨頂。見せかけだけの温かさに騙されてはいけない。弁当は、冷めても旨い手間暇を楽しむのが正調なのである。その点において弁松の弁当は理想的なのだ。

 

さて、「子別れ」に戻ると、上、すなわち「強飯の女郎買い」で吉原に行った熊五郎は、そこで品川遊郭で馴染みだった遊女に出会い、その後数日居続けをして、女房と子どものいる家へと帰る。女房に問い詰められ、言い訳をしたり開き直ったりする熊五郎。そんな様子を見て、愛想を尽かした女房は子どもを連れて家を出ていってしまった。だったらいいよ、とばかりに熊五郎は吉原で再会した遊女を引っ張り込むのだが、これがなにもやらずに酒ばかり飲んでいるという始末。熊五郎は、こりゃあ参ったと別れ話を切り出す決心をしたが、そうするまでもなく、女の方から、こんな貧乏くさいところは御免だと出ていかれてしまった。ここにきて、ようやく目が覚めた熊五郎。できた女房とかわいい子どもを思い出し、酒をやめて仕事に精を出す決心をする。

 

それから3年。懸命に働いていた熊五郎は、偶然息子と再会する。出ていってからの暮らしや現状を息子から聞き、胸が痛む熊五郎。息子に小遣いを渡し、明日のこの時間にまた会って鰻を食べにいこうと約束をする。女房に合わせる顔がない熊五郎は、息子に自分と会ったことは内緒にしておいてくれ、と頼んだ。家に帰った息子は父のいいつけを守るが、手に握りしめた小遣いを母親に見つかり、それを人様のお金を盗んで得たものと勘違いされる。違うよ、と言い張っても誰からもらったかは言えない息子。母は業を煮やして「言わないんだったら、おとっつぁんが置いていった玄能で叩くよ!」さすがの剣幕に息子も折れて、偶然父親に会ってもらったこと、明日は一緒に鰻屋へ行く約束をしたことを白状してしまう。いまはお酒も飲んでいないし、女もとうの昔に出ていって、ひとりで仕事に打ち込んでいる熊五郎の様子を息子から聞いて、母は嬉しく思った。翌日、息子を送り出した母は、そのあとを追って鰻屋の前まで行く。と、店内にいる息子に見つかり、鰻屋に引き入れられることに。久しぶりの対面に微妙な時間が流れるが、息子がまた三人で暮らそうと口火を切ると、熊五郎も頭を下げ、復縁を懇願する。女房はすっかりしゃんとした熊五郎を信じて、親子三人元の鞘に収まることとなった。「あなた、子どもは夫婦の鎹(かすがい)ですね」。

 

鎹とはふたつの木片をつなぎとめるためのコの字型の金具のこと。熊五郎の職業が大工という設定がここで効いてくるし、母親が「玄能で叩くよ!」というのも、玄能が鎹を打ち込むための工具(金槌のようなもの)であるから意味がある。そして、最後に子どもが母の「子は鎹」というのを受けて、「だからおっかさんは昨日おいらのことを玄能で叩くといったんだ!」というサゲがついているのである。このことから「子別れ」の下は「子は鎹」とも称されている。

 

ところで、この「子別れ」で感心なのは、「強飯の女郎買い」に出てくる御隠居の遺言である。生前世話になった人、忙しい中葬儀に参列してくれた人に、感謝の気持ちを込め、できる限りのもてなしをする。これを亡くなる前に決め、弁松で折を手配した。こういう心意気を持っていたいものである。さて、自分ならなにがいいのだろうか。

※掲載情報は 2018/02/04 時点のものとなります。

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青野賢一

BEAMSクリエイティブディレクター

青野賢一

セレクトショップBEAMSの社長直轄部署「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターも務める。執筆、編集、選曲、展示やイベントの企画運営、大学講師など、個人のソフト力を主にクライアントワークに活かし、ファッション、音楽、アート、文学をつなぐ活動を行っている。『ミセス』(文化出版局)、『OCEANS』(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)、『IN THE CITY』(サンクチュアリ出版)、ウェブマガジン『TV & smile』、『Sound & Recording Magazine』ウェブなどでコラムやエッセイを連載中。

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