キング・オブ・油揚げ

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たかが油揚げ、されどやっぱり油揚げが決める味

私は、油揚げフェチであります。
そのため、豆腐以上に油揚げのハードルはおのずと高く、その中でも今回は私が愛して止まない三之助豆腐の油揚げを紹介します。

 

日本橋で産声を揚げ、昭和25年埼玉県本庄市宮戸に移転しました。1986年、当時、初めての自然食の展示会が横浜で開催され、そこに出店されていたのが「もぎ豆腐店」であり、豆腐や油揚げの試食商品を故・茂木稔会長が配られていました。
今でこそ、豆腐を塩とオリーブ油で食べることができますが、当時は大量生産の形ばっかりの豆腐が流通し、AF--2という添加物も使われるような時代でした。そんな時に食べた豆腐は、大豆の風味と甘味がしっかりしていて、「どうやって作るんですか」、「なぜこんなに美味しいのですか?」と茂木さんに迫ると、「じゃあ、うちの工場に来て自分で見ればいいよ」と、当時20代半ばの店も仕事も中途半端な小娘の私を、快く工場に招待してくださいました。豆腐もさることながら、私は作り立ての油揚げの美味しさにのけぞってしまいました。国産の菜種油を使用し、温度を変えて二度揚げした油揚げは、揚げパンのようにふっくらとして、熱々は醬油も何もいらない美味しさです。上質のシュークリームの皮?最高級バターで折りこんだパイ生地?いや、三之助の油揚げを的確に表現する言葉がどうしても見つかりません。

 

茂木会長に「私、仕事がなくなったら、油揚げ屋になって揚げたてを売っていいですか」と恥ずかしげもなく答えたことが、ついこの間のようです。
その訪問をご縁に、山口県から一人出てきた何の後立てもない無名の私に、沢山のチャンスを与えてくださったのが茂木会長でした。
1999年には、横浜のみなとみらいで、もぎ豆腐店としては初の豆腐のイートイン「Moggy’s」をプロでユースさせて頂いたり、豆腐のスムージーを高島屋の催事で担当させて頂いたり、新しい豆腐の食べ方のチャレンジの場を私にくださいました。(いずれも百貨店催事に金字塔を立てた内容となったことも付け加えておきましょう。)
そのなかでの主役は、いつも忘れられない「油揚げ」でした。
三之助の油揚げの特色は、契約栽培の国産大豆を使用し菜種油の美味しさだけではなく、2度揚げした後に、手で針を1枚ずつ指して空気を入れているところ。
こうすることにより、揚げを切ったときに、自然に空洞ができます。

キング・オブ・油揚げ

油揚げは、日本のパンのような存在ではないかと思っています。とりあえず、余った総菜、ごはん、麺類、なんでも詰め込んでしまえば大変身する優秀な食材。
大阪名物「きつねうどん」も三之助の油揚げを使えば「汁なしきつねうどん」に変身!
油揚げは、使用する前に「50度洗い」をお忘れなく。
こうすることで出汁が浸み込みやすくなります。油揚げを半分に切り、茹でた乾うどんを詰める。中のうどんが飛び出ない様に、止めるのは、乾うどんで止めるのもお忘れなく。そして、ひたひたのうどん出汁で汁がなくなるまで煮るだけ。

キング・オブ・油揚げ

熱々でも、冷めても、お弁当にしても、とにかく美味しいのです。
夏の暑いときに汗もかかないきつねうどん!
その条件は、たった一つ!美味しい油揚げを使うこと。
油揚げは、見た目では判断しにくい食材ですが、原材料、製法をチェックして・・・
いや、そんな手間より、
信頼できる生産者、御用達店を見つけることが早いでしょう。
三之助豆腐の油揚げを越えるものには、未だ、出会ったことなし。

キング・オブ・油揚げ

※掲載情報は 2017/09/07 時点のものとなります。

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キュレーター情報

タカコナカムラ

料理家/フードディレクター

タカコナカムラ

山口県の割烹料理屋に生まれる。
アメリカ遊学中にWhole Food(ホールフード)に目覚める。
日本の伝統食・発酵食、乾物料理の第一人者として、数多くの商品開発や、オーガニックカフェのプロデュースに関わる。
現在、食と暮らしと環境をまるごと学ぶ「タカコ・ナカムラWhole Foodスクール」を主宰。

通信講座(がくぶん)では、
「野菜コーディネーター」「発酵食スペシャリスト」
「AGEフード・コーディネーター」など食と美や健康に関する講座を多数監修。

一般社団法人ホールフード協会 代表理事

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