伝統がモダンに変身した祇園「鍵善良房」の落雁

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落雁をもう一度見直してみよう。

京都には長い歴史を持った老舗が多く、和菓子店も例外ではない。『亀屋陸奥』『本家尾張屋』『とらや』など500年を超える店も多くある。中には『一文字屋 和助』のように平安時代から1000年も続く店もあり、100年200年はまだ若い店で、京都の奥深さを感じるのだ。今回ご紹介する『鍵善良房』は八坂神社に向かう祇園の四条通りに本店があり、くずきりが人気の京菓子店である。創業は享保年間(1716〜1736年)あるいは少し遡り元禄8年(1695年)ともいわれており300年を越す老舗である。『たべもの語源辞典(清水圭一編・東京堂出版)』の「落雁」の項を牽くと、落雁が普及したのは享保年間とある。そうすると『鍵善良房』の落雁作りは店の創業と同じくして享保(あるいは元禄)年間の流行の菓子だったと想像に難くはない。

伝統がモダンに変身した祇園「鍵善良房」の落雁

八坂神社は「祇園社」ともよばれ、江戸初期の頃から参拝する人々のために多くの茶屋が出現し、さらに集客をするために美しい女性を働かせるようになった。これが京都有数の歓楽街として発展しお茶屋(舞子)も誕生したのである。そんな中で必然的に仕出し料理店や和菓子店も祇園に多く出現するのである。前出の本によると「落雁」の語源は諸説が六もあり全部の紹介は出来ないが、そのうちの一つは、『喜遊笑覧』に「中国菓子に軟落甘(なんらくかん)というものが明朝にあったと『朱子談綺』にあり、軟を略して落甘といったものがやがて落雁と書くことになった」と書かれているというものだ。じゃ、落雁の”雁”は何だということになるが、これもいく通りもあるが、個人的には面白と思うのは、米粉を固めた白の上に黒胡麻が点々とし、雁が雪の上に落ちている様を表しているという説か。落雁の製法は炒種(いりだね)※1に砂糖・水飴などを加え、各種の形を彫りつけた木型を水で濡らして、木べらで型に詰め込み、木型で型の一端をたたいてゆるめ、竹簀の上に型を裏がえして移しあけ、ほいろ(乾燥炉のこと)にのせて徐々に乾かす。当然、固く乾かしているので日持ちがするわけで、米粉の他に大麦を加熱して挽いた粉で作る「麦落雁」、粗挽き大豆の「豆落雁」や葛、栗などを使った落雁が全国に広がっていったのである。

伝統がモダンに変身した祇園「鍵善良房」の落雁

子どもの頃には結婚式や葬式での引き出物に落雁が多く用いられて、お盆の仏壇にも夏場でも日持ちのする落雁が飾られていたものだ。そんな事を考えながら、『鍵善良房』の落雁を食する。季節によって落雁の種類は変わり、うつろう日本の豊な四季や、日本の美の情景を表現しており、さらに伝統的な製法とモダンなデザインが楽しいのである。落雁という伝統的な和菓子を現代にもマッチングさせて若い層にも『鍵善良房』は味わってもらいたいと。

伝統がモダンに変身した祇園「鍵善良房」の落雁

よく考えると若い世代は、洋菓子が中心で育ち、和菓子といってもあまり、干菓子や主菓子という区分をご存知無い方も多いのでは。個人的に子ども心にも落雁という菓子はあまり美味しいと思った記憶はないが、今回素朴だが、今的なアレンジもされている「うつろひ」と「餡雲」を日本茶ではなく紅茶で楽しんでみると悪くはなく、子どもの頃の落雁とはまったく別世界なのである。今度は素人だが抹茶も立てて、気分はお茶人を気取りたいと思った。

 

※1 米などを粉にして一度加熱(炒って)からまとめて種(たね)にしたもの

※掲載情報は 2018/05/23 時点のものとなります。

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キュレーター情報

後藤晴彦(お手伝いハルコ)

アートディレクター・食文化研究家

後藤晴彦(お手伝いハルコ)

後藤晴彦は、ある時に料理に目覚め、料理の修業をはじめたのである。妻のことを“オクサマ”とお呼びし、自身はお手伝いハルコと自称して、毎日料理作りに励んでいる。
本業は出版関連の雑誌・ムック・書籍の企画編集デザイン制作のアート・ディレクションから、企業のコンサルタントとして、商品開発からマーケティング、販促までプロデュースを手がける。お手伝いハルコのキャラクタ-で『料理王国』『日経おとなのOFF』で連載をし、『包丁の使い方とカッティング』、『街場の料理の鉄人』、『一流料理人に学ぶ懐かしごはん』などを著す。電子書籍『お手伝いハルコの料理修行』がBookLiveから配信。
調理器具から食品開発のアドバイザーや岩手県の産業創造アドバイザーに就任し、岩手県の食を中心とした復興支援のお手伝いもしている。

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