暖簾について

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屋号を守り続ける厳選の和菓子

2月のある日、避暑ならぬ避寒のため温泉地に行くことにした。訪れたのは箱根湯本。いわゆる箱根温泉郷の玄関口である。鉄道だと、ここから「スイッチバック」で知られる箱根登山鉄道やその先のロープウェイに乗って宮ノ下、強羅といったところに向かうわけで、通過点と思われる向きも少なくないだろうが、奈良時代に開湯したとされる箱根温泉郷の中でも最も古いのが箱根湯本だそうだ。玄関口だからといって侮ってはいけない。冬晴れの箱根湯本駅に着いたのは15時頃。蕎麦屋で腹ごしらえをしたあと、「ユトリロ」という喫茶店に入った。店名が示すように、こちらはユトリロの絵画が複数点展示されている画廊喫茶であるが、飾ってあるのはユトリロだけではない。四谷シモンの球体関節人形、秋山祐徳太子のオブジェもある。店内奥の方の壁には平賀敬の大型ペインティングもあった。

 

平賀敬は1965年に渡仏し、1977年に帰国するまでパリを拠点に活動した画家だ。帰国後、80年代は大磯に暮らし、最晩年は箱根湯本にて過ごした。カラフルな色彩とユーモラスな表情のオブラートにじっとりとしたエロティシズムを包んだその作品は、国内はもとより海外での評価も高い。2000年に亡くなってから5年後、最後に住んだ箱根湯本の邸宅は「平賀敬美術館」として一般公開となった。邸宅ではあるが、もともとは旅館の別荘だった築100年以上を経過した日本家屋であり、2003年には国の登録有形文化財に指定されている。この美術館のユニークなところは、加温加水をしていない100%かけ流しの温泉がある点だ。予約をすれば40分貸し切りで温泉を楽しむことができるのである。今回私は訪れることができなかったが、機会があれば立ち寄りたいと思っている。

 

先にも記したように、箱根湯本はこの一帯では最古の温泉だが、1781年(天明元年)に浮世絵「箱根七湯名所」(鳥居清長)が出版されていることから、江戸時代には七湯がすでに人々の知られるところになっていたのがわかる。「箱根七湯名所」には「ゆもと(湯本)」「とうの澤(塔之沢)」「そこくら(底倉)」「どふが嶋(堂ヶ島)」「みやのした(宮ノ下)」「きが(木賀)」「あしのゆ(芦之湯)」が描かれており、これに姥子の湯を加えて、箱根八湯と呼ぶこともあった。現在では明治時代以降に開湯した小涌谷や強羅、仙石原など九つの温泉を加え、「箱根十七湯」あるいはさらに三つ加えて「箱根二十湯」と称されている。つまり当初は東海道に近いところから栄え、やがて鉄道や道路の整備に伴い開発が進んでいったということである。一昨年、箱根山の火山性地震の増加とそれによる噴火警戒レベルの引き上げが影響して、箱根の温泉街は大きな打撃を受けたが、現在は客足も復調し、賑わいを取り戻している。外国人観光客が思いのほか多かったのには驚いたが、よくよく考えてみれば、東京から1時間半ほどなので、例えば私たちがロンドンに宿泊して日帰りでブライトンに行ったりするようなものだと納得した。

 

箱根湯本の駅周辺はお土産物屋などが密集している。温泉まんじゅうやら干物、かまぼこ。寄木細工なんかもある。一般的な観光地の駅前といった風情である。何を買うともなくこうした店を冷やかしてまわるのは楽しい。と、歩いていたら大きな白い暖簾が下がった店があった。ごちゃごちゃしたお土産物屋とは明らかに雰囲気が違うこの店、暖簾には「ちもと」と書かれた紋が染め抜かれている。和菓子の店「湯もち本舗 ちもと」だ。箱根に店を出して60年以上だという。なるほど落ち着いた色合いの調度品や菓子ケースに風格があるのはそれゆえか。「ちもと」で有名なのは「湯もち」という名の菓子。国産もち米を使った白玉粉を練り上げた、ふんわりと柔らかいお餅に、細かく刻んだ本練羊羹を切り入れたものだ。この湯もちを買い求めようと、大勢の人が訪れるので店内は賑わってはいるのだが、お客さんの方もどこか落ち着きがあるような印象である。このことには、暖簾をくぐって入店するということが関係しているように思う。間口をフルオープンにした、誰でもウェルカム、冷やかしOKのお土産物屋とは賑やかさが違うのである。

 

ところで「ちもと」という店名は確かに聞き覚えがあると考えていたら、都立大学駅近くに同じ名前の和菓子店があることを思い出した。夏場のかき氷が有名な店だ。調べてみると、箱根の店も都立大学の店も、元を辿るとひとつの店に行き着いた。道灌山(東京・荒川区西日暮里あたり)の「ちもと」である。箱根湯本「ちもと」の三代目の方(現在の店主)のブログによれば、江戸時代から続いていたとある御菓子司が明治時代に入って経営難に陥った。ある人物がそれに救済の手を差し伸べ、職人や技術、道具まで一切を引き受け、屋号を「ちもと」と改めて道灌山に本店を構えた。この「ある人物」が「ちもと」の大旦那になるわけである。「ちもと」の屋号の由来は、歌舞伎や人形浄瑠璃の演目で知られる『義経千本桜』で、「千本」を「ちもと」と読み替え名付けた。作中、重要な位置を占める鼓はロゴマークとして、フィナーレの舞台となる吉野山の咲き誇る千本桜はロゴマークを装飾するモティーフとして採用され、箱根の「ちもと」の包装紙などに登場しているのである。

 

その後、戦前に本店は銀座二丁目に移転するのだが、この時にもうひとつロゴマークが加わる。銀座二丁目は江戸時代に銀座役所が置かれていたことから、分銅のマーク、すなわち現在の銀行のマークが採用されたのである。鼓と分銅はどちらも正式なロゴマークで、見たところ文字との組み合わせの際には鼓が、単体で使う場合には分銅が用いられることが多いようだ。現在の箱根湯本「ちもと」の三代目店主の祖父は、銀座本店で小僧として働いていたそうで、そこから暖簾分けをして箱根湯本に店を構えた。暖簾分けというと修行を積んだ職人に、というイメージが強いが「ちもと」に関していえばそうばかりでもない。先に参照したブログによれば、当時は店頭での販売よりも、料亭で出される手土産や富裕層の御使い物といった需要が高く、そうしたお得意様に御用聞きとして出向く小僧が重要視されたのだという。つまりお得意様からの信頼を得た小僧に、職人をつけて暖簾分けをするということである。これはなかなかユニークな発想だが、「ちもと」の出発点を思い起こせば合点がいくのではないだろうか。

 

都立大学駅近くの「御菓子所 ちもと」の初代は、銀座の「ちもと」で修行をした後、軽井沢店に移って3年は職人として、9年は販売として働き、1965年目黒区八雲にて「御菓子所 ちもと」を始めた。現在は二代目が菓子作りだけでなく、営業、経理なども行っているそうだ。職人ひとすじではない人が暖簾を分けてもらい創業するというところは箱根湯本と同様である。こちらの名物菓子は「八雲もち」なのだが、売り切れるのが早く、先日訪れた際にも完売御礼だったので、焼き菓子2種類と最中をいただいてきた。

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焼き菓子は「千本饅頭」と「三冬饅頭」の2種類のみ。このふたつと「八雲もち」や最中など数種類を常設とし、それ以外は季節の上生菓子と同じく季節ごとの桜餅やおはぎなどだけという実に潔い品揃えである。「千本饅頭」は箱根湯本でも取り扱っているが「三冬饅頭」は箱根にはない。最中もこの形状は八雲の店だけ。なお、後述するが「ちもと」は、箱根湯本、八雲のほか、軽井沢、市川、大阪にあって、それぞれ菓子の種類が異なる。私が実際に訪れた箱根湯本と八雲以外の店舗の品揃えは定かでないことをあらかじめお断りしておく。

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「千本饅頭」はこしあん入りの黒砂糖焼き饅頭、「三冬饅頭」は粒あん黒ごま入り焼き饅頭、最中にはこしあんが入っている。ご覧のようにどれも概ね同じサイズである。半分に切ってみると、あんが隙間なく詰まっているのがわかる。やや小ぶりな印象の菓子だが、食べてみると思いがけず満足感があるのは、このぎっしり詰まったあんのおかげだろう。

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食してみると、3種とも華やかな甘みが感じられる。抑制の効いた控えめな甘さでなく、上品さがありつつも華やか。饅頭はそれぞれ皮の風味もしっかりあっていい。最中の皮の軽快さとあんの濃厚さのコンビネーションも見事である。近年、夏のかき氷ばかりが取り沙汰されている感もある都立大学の「ちもと」。かき氷しか食べたことがないという方は、足を運んでみてはいかがだろう。和菓子ならば並ばずに入手可能なはずだ。

 

さて、先ほど触れたように、「ちもと」という屋号でやっている和菓子店は箱根湯本、八雲、軽井沢、市川、大阪にあり、昨年は阿佐ヶ谷にもできた。もともとは道灌山~銀座が本店だったが、現在は総本店は軽井沢へ移り、阿佐ヶ谷店は「総本店の東京店」という位置付けのようだ。都内にいくつかの直営店を持っていた時代もあった様子だが、現在は暖簾分けしていったそれぞれの「ちもと」が、共通の意匠と志を持ちながら、独自の菓子作りを行っている(軽井沢は総本店というだけあり暖簾分けでなく本流なのだろうか)。コンビニや外食チェーンのようなフランチャイズ経営でなく、かといって直営の支店でもないというこのスタイルは独特であり実に興味深い。互いに独立した店が、共通の屋号と暖簾を守り発展させてゆくためには、下手は打てない。短期的な視点で日和った商品を出そうものなら、たちまち同じ屋号の別の店にも影響が及んでしまうからである。「ちもと」に関しては、細かい事情は部外者の知るところではないが、地域と屋号と歴史がいい具合に混ざり合った上でしか成り立たないこの暖簾分けのひとつの成功例といえるのではないだろうか。なお、最近ではフランチャイズのことも「暖簾分け」と称することがあるようだが、根本的に別物なのでお間違えなく。

千本饅頭、三冬饅頭、最中

御菓子所 ちもと 住所:東京都目黒区八雲1-4-6 電話:03-3718-4643

※掲載情報は 2017/03/09 時点のものとなります。

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青野賢一

BEAMSクリエイティブディレクター

青野賢一

セレクトショップBEAMSの社長直轄部署「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターも務める。執筆、編集、選曲、展示やイベントの企画運営、大学講師など、個人のソフト力を主にクライアントワークに活かし、ファッション、音楽、アート、文学をつなぐ活動を行っている。『ミセス』(文化出版局)、『OCEANS』(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)、『IN THE CITY』(サンクチュアリ出版)、ウェブマガジン『TV & smile』、『Sound & Recording Magazine』ウェブなどでコラムやエッセイを連載中。

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