天津甘栗
くりや
上野駅の前を通るときは、甘栗をよく買って帰ります。上野駅の駅構内は今ではすっかりと様変わりしていますが、不忍口を出るとすぐに高架下になり、今でも昔と変わらない景色が広がります。不忍口を背にした正面には、天津甘栗の「くりや」の看板が目に入ってきます。バッグ屋の片隅の小さなスペースを使い甘栗を販売しています。前を通るけど、実際に買ったことがなく通り過ぎてしまう方も多いと思います。「くりや」は、僕が物心付いた頃から上野不忍口の風景の一部となっていました。
この甘栗屋の「くりや」が誕生したのは、戦前だと聞いたことがあります。
上野駅と言えば、かつては「北の玄関口」と呼ばれていました。JRではなく、国有鉄道の「国鉄」という呼び名に、今となっては懐かしさを感じる方も多いと思います。1960年代には、東北から集団就職列車が上野駅に多く到着しました。お盆と正月は、東北に帰省する多くの人々で上野駅は賑わったそうです。また、明治時代の歌人の石川啄木は、「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく(故郷の方言が懐かしくて、駅の人混みに混じり同郷の人の言葉を聞きに行く)」と歌っています。この停車場というのは上野駅のことです。
また1977年にヒットした石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」の歌は、「上野発の夜行列車降りた時から、青森駅は雪の中……」とはじまります。1982年に上越東北新幹線が開通するまでは、歌詞に夜行列車とあるように70年代には青い客車の寝台特急のブルートレインが大ブームでした。当時は、東北から人を乗せた電車が到着しドアが開くと、東北の香りが上野駅のホームに広がったらしいのです。東京で働く東北出身者が、その香りから故郷を懐かしんだという話を聞いたことがあります。
上野駅は、交通手段として北国への発着駅だけではなく、人々の心の駅でもあったのかもしれません。
そんな上野駅に行き交う人々を不忍口前の高架下から、何十年にも渡って見続けているのが、甘栗屋の「くりや」です。昔は電車に乗っている時間が長かったので、窓の外を見つつ駅弁やおやつを食べるもの車内での楽しみの1つでした。おそらく、「くりや」の甘栗を買って、上野発の電車に乗って行く方も昔から多かったのではないかと思います。
僕は高校生の頃に地元の友達から聞いて甘栗を買ったのがきっかけで、もう30年近く「くりや」で甘栗を買っています。「くりや」のおじさんは、「うちは栗だけは、自信があるよ。」と言います。お店の脇で自家焙煎し、出来た甘栗はレトロな保温されたケースの中に並んでいます。焙煎の加減が上手なのか、栗の皮にもきれいなツヤ感があり、ホクホクとして栗の甘さを感じます。
もう新栗の季節になります。秋の行楽シーズンに向けて、上野発の電車に乗り車内で「くりや」の甘栗を堪能しつつ、小旅行に出かけてはいかがでしょうか?
くりや
※掲載情報は 2016/09/22 時点のものとなります。
荒岡眼鏡の三代目 眼鏡店ブリンク店主
荒岡俊行
1971年生まれ。東京・御徒町出身。1940年から続く「荒岡眼鏡」の三代目。
父方も母方も代々眼鏡屋という奇遇な環境に生まれ育ち、自身も眼鏡の道へ。
ニューヨークでの修業を経て、2001年に外苑前にアイウエアショップ「blinc(ブリンク)」、2008年には表参道に「blinc vase(ブリンク・ベース」をオープンさせる。
「眼鏡の未来を熱くする。」をミッションに掲げ、眼鏡をカルチャーの1つとして多くの方々に親しんでいただけるよう、眼鏡の面白さや楽しさを日々探求しています。
Shop
ブリンク
〒107-0062東京都港区南青山2-27-20 植村ビル 1F
Tel 03-5775-7525
ブリンク・ベース
〒107-0061東京都港区北青山3-5-16 1F
Tel 03-3401-2835