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インドスパイス料理研究家として、インドのお母さんたちが作るさまざまな家庭料理を、自身が主宰する料理教室で教え続けている香取さん。これまで30回以上もインドに渡り、一般家庭にホームステイしては料理を学んだと言います。そのバイタリティ溢れる行動力の源とは? 知れば知るほど奥の深いアーユルヴェーダってどういうもの? 香取さんの“現在(いま)”がどのような経験の上に成り立っているのか、教えていただきました。
すべての始まりは、インドとの強烈すぎる出会い
Q:香取さんが初めてインドへ行ったのはいつ頃ですか?
1985年、23歳の頃です。国際青年年のボランティアキャンプに申し込んで、バックパッカーとして単身インドへ渡りました。それまで私はテレビ番組の制作会社で報道デスクとして働いていたのですが、退社した8月には日航機墜落事故があり、最後の数週間はとても濃厚な日々を過ごしたのを覚えています。数ヶ月前にインドでのボランティアに応募したことをすっかり忘れていたのですが、その年の11月、あと1日遅ければビザが間に合わなかったという切羽詰まった状況で、初めてインドの土を踏みました。海外に1人で行ったのも初めて。英語もうまく話せない。そんな私がインドに着いた当日、今でも「あの日のことを思えば怖いものは何もない」と思えるほど強烈な経験をすることになりました。
私のインド入りは、成田空港からタイのバンコク経由でインドのカルカッタ(現:コルカタ)に入るというルート。当時、カルカッタは「初めてインドに行く人は行かないように」とガイドブックに書かれているような街です。初めてなのに1人。空港から鉄道の駅へ向かい、夜行列車に乗らなければ翌日のキャンプ開会式に間に合わないというスケジュールでした。空港を出た途端タクシーの客引きにもみくちゃにされたところを、タクシーをシェアしようと持ちかけてくれたカナダ人に助けられ、目的地のハウラー駅に到着。でもここからが大変でした。夜行の寝台車のチケットが売り切れていたんです。駅長に泣きついてキャンセル待ちにさせてもらいましたが、1時間おきに行っても「チケットはない」の一点張り。後でわかったことなのですが、あの時私は駅長にワイロを渡さなければいけなかったのだとか。そんな知識を持ち合わせておらず、号泣する私。そんな私を見て、周囲の外国人旅行者たちも心配そうに声をかけてくれました。そんな中、駅長が勘のニブい私に根負けしたのでしょうか、ついにチケットが取れたんです。
出発ギリギリにもらったチケットの車両と席を示す文字は殴り書き。30両ほどもある列車には細かく等級が分かれていて、どこへ乗ってよいのやら。しかも駅は暗くて、またしても途方に暮れる私を、今度はスイス人カップルが私の手を引いて車両の中に押し込んでくれました。私の寝台席は定員4名のコンパートメント。そのうち女性は私だけ。通常は男女別になるはずが、無理矢理席を用意してくれたのでしょう。男性3名は突然入ってきた女性、しかも外国人の若い女の子に恐縮してした様子で、服を着始める始末。こうして私はエアコンの効いた寝台車で一晩を明かし、無事キャンプの集合場所へ辿り着くことができました。
そこで私は現地の人たちが食べている、まかない料理に出会いました。それは、日本人の考えるインド料理とは全く別物で、カレーも日本のものとは全然違いました。インド料理はあらゆる食材を使いながら、スパイスを駆使して薬膳に仕立てられています。インド料理の真髄がレストランの特別な料理ではなく家庭料理にこそあるものだと気づき、どんどんハマっていきました。実は私、子どもの頃から料理が好きで、もともと凝り性というかオタクな一面もあるんです。それ以来、働いてお金を貯めてはインドで料理修行をするという生活が始まりました。やがてインド料理を私から習いたいと言ってくれる人が徐々に増えて、プロとして活動することに決めたのが33歳頃のことです。
Q.インドでの料理修行について、もう少し教えていただけますか?
これまで何度もインドで料理修行をしてきたわけですが、インドの中流家庭のお母さんに料理を習うのが一番ですね。差別的な意味ではなく、お金持ちすぎるとお手伝いさんがいるので、お母さんは料理ができない。貧しい家庭ではスパイスを何種類も揃えられず、衛生面に不安があります。だから、3食きっちり作っている普通の家庭にホームステイするのがベストなんです。お子さんが大学生くらいだと尚良し。お母さんが英語を話せなくても、お子さんが英語で通訳してくれますから。
インドのお母さんたちは、料理を作る時に一切味見をしないんですよ。一番最初に神様に食べてもらうべきという考えなんです。だからインドの女性たちは、子どもの頃から味見をしなくてもきっちり作り上げるよう訓練されています。しかも、家族の体調や気候に合わせて日々スパイスの量を変化させて。とてもカッコいいですよ!
文化がいちじるしく違う国ほど面白い!日本人の舌に合うスパイス料理の普及を目指して
Q:日本アーユルヴェーダ学会の評議員という肩書きもお持ちですが、どのような活動をなさっているのですか?
インド料理が薬膳であることを、もっとたくさんの人に知って欲しいと思ったのがきっかけで、日本アーユルヴェーダ学会に入会しました。アーユルヴェーダとは、インドに古くから伝わる医学で、世界で一番古い文献の一つと言われています。この学会は、アーユルヴェーダに書かれていることを科学的に検証するというのが主な活動です。学会員のほとんどは医学関係者やセラピストなどが中心で、私のような料理を作る立場の人はほとんどいません。勉強するにしても何のことやらさっぱりわからなくて、最初は苦労しましたね。でも、ヨガや瞑想など医学に比べると入りやすい単元もあり、そこから勉強を始めていきました。いざ勉強を始めると「あのお母さんが言っていたことはこれだったんだ」など、知識がどんどん繋がっていくのが面白くて、それらの知識を自分の料理教室で生徒さんたちに還元していきました。やはり、家庭での食生活に生かせるのが一番ですから。
アーユルヴェーダ学会に入って12年になりますが、その間、料理研究家で入ってきたのは私だけ。そんなこともあって、研究発表の機会を与えていただくようになり、投票によって決まる評議員に選出されて現在に至ります。今は、アーユルヴェーダには書かれていない、梅干しや納豆など日本にしかない食べ物の検証も始めています。
Q.香取さんはスリランカ料理にも造詣が深いと聞いておりますが、インド料理とスリランカ料理はどのように違いますか?
似ているようで大きく違います。例えば、スリランカ料理は鰹節で出汁を取るなど、日本人の味覚にぐっとくるものがあります。私はインドよりも先に、初めての海外旅行でスリランカに行っているので、思い入れが強い国でもあるんです。ただ、私が訪れた当時から26年に及ぶ内戦が続き、終息したのは4年前のことです。治安が不安定でなかなか足を運ぶことができずにいましたが、日本においても徐々にスリランカ料理のニーズが高まっています。それを証拠に、以前はどんなに企画を持ち込んでもダメだったスリランカ料理の本が出せて、まずは1冊目という悲願が達成しました。
Q.香取さんがインドやスリランカ料理を教える上で、大切にしているのはどんなことですか?
みなさんはインドやスリランカ料理は「辛い」という印象を持っていると思います。確かに辛いのは事実ですが、いくら本格的といっても、現地の辛さをそのまま日本で再現するのは違うというのが私の考えです。辛いということは、辛いことが必要な気温や食文化があればこそ美味しく感じられるもの。だから私が教える料理は、日本人の舌に美味しいことを大切にしています。そして、食べて健康になれるよう、アーユルヴェーダの理念をもとに日々の食生活で健康管理をするところまで引っ張ってあげること。それが私の立ち位置だと考えています。
日本人の主婦は世界で一番優秀だと私は思うんです。和食を作る一方で、油だけでもサラダオイル、オリーブオイル、ゴマ油などを使い分けているし、普通の家庭で餃子も作ればパスタも作る。ここまでいろんな国の料理を家庭料理として作れる主婦は、世界のどこを探してもいませんよ。それに、インド料理だって決して難しいものではないんです。和食が味噌やお醤油、みりんなど、同じ調味料を使っていても違う味の料理になるのと同じ。インドの代表的な家庭料理「サブジ」も、5〜6種類のスパイスで違うものに仕上げることができます。和食の献立の中に一品のスパイス料理が入ることで、その食事は薬膳になります。それができる主婦をもっと増やしたいというのが私の願いですね。いつか、家庭科の教科書にスパイス料理が載るようになったら、どんな素晴らしいかと思います。
Q.これまで様々な著書を執筆されていますが、一番思い出に残っている本は?
どの本にも思い入れがあってなかなか1冊には絞れないのですが、私の初めての著作『インドごはん』(出帆新社)でしょうか。本を作るならまずは紹介したいと思っていた料理を載せることができて、私自身のインドでの体験記を綴ったエッセイも盛り込んだ一冊です。2005年に初版が出て、今も絶版せずにいてくれて。まだ料理本の書き方というものが自分の中で出来上がっていなかった頃の本ですが、思い入れのある1冊ですね。
Q.香取さんが日頃大切にしているポリシーはどのようなことですか?
迷ったらやる!やってみてから「どうしよう」って思えばいい! 迷っていたらいつまでもそこから動けないけれど、「思い切ってやってみたら、なんとかなる」というのが持論です。それと、食に関して言えば「食のバカの壁を作らないこと」ですね。何でも食べてみればいいじゃないかと。それが意外と美味しかったりする。食のバカの壁を作ってしまうと、その先にある楽しい文化に出会えなくなってしまいます。食って、生活するために食べるだけではなくて、人生そのものを楽しくできるものですから。
Q.これまでの経験で、とても嬉しかった思い出を1つ教えてください。
ものすごく会いたいと思っていたインド人の料理家にラブレター(メール)を出し続けたところ、自宅に招いていただき、心ゆくまで料理を教え込んでもらえたという経験があります。ぜひ会いに行かせて欲しいと、3〜4通のメールを送りました。もちろん、自分が素人ではなく、日本での実績を伝えた上で「あなたの料理の本のここが素晴らしい」と伝えました。いざ会ってみると、同じ料理を仕事にしているオタク同士わかりあえることが多々あって、一生のお付き合いになっています。
Q.これからの夢や目標は?
アーユルヴェーダの食事を病院食に活かすということですね。現在主流となっている近代栄養学が生まれてまだ180年くらい。アーユルヴェーダに比べるとまだまだ歴史が浅いんです。何より驚くことに、アーユルヴェーダが一番大切にしている「消化」という概念が近代栄養学にはありません。だから、それぞれの患者さんの症状や体力、消化能力に合わせたアーユルヴェーダの病院食が実現するよう取り組んでいきたいと思っています。
Q.最後に、ippinユーザーの方たちへ、ホームパーティを成功させるための極意を教えていただけませんか?
季節別にウエルカムドリンクを用意するといいかも。外から家の中に入ってきたばかりのゲストには、お酒よりも先にデミタスカップくらいのサイズで、冬なら体が温まる生姜チャイ、夏ならスイカのジュースなど。今これが欲しかった!という飲み物が飲めると、すっとリラックスできると思いますよ。それと、ホームパーティは絶対にゲスト参加型がおすすめです。ホストが何でもするのではなくて、「ここから先はみんなで作ろう!」と、鉄板焼きでもいいし、手巻き寿司もいいですよね。鍋料理なんかは、みんなで一緒に楽しむという点でも優れた料理だと思いますよ。
【プロフィール】
有限会社 食スタイルスタジオ 代表取締役。キッチンスタジオ ペイズリー 主宰。1985年、ボランティアで訪れたインドでスパイス料理に魅せられ、本格的に研究を始める。1992年に「キッチンスタジオ ペイズリー」を創業して以来、数多くのインド料理店主、講師を輩出。教室にはスリランカ料理とアーユルヴェーダ料理コースも併設。著書に『5つのスパイスで作れるはじめてのインド家庭料理』(講談社)、『家庭で作れるスリランカのカレーとスパイス料理』(河出書房新社)、『アーユルヴェーダ食事法 理論とレシピ──食事で変わる心と体』(佐藤真紀子共著、径書房)、『ひとりカレー かんたんレシピ45』(幹書房)、『家庭で作る本格インド料理』(マーブルトロン)、『アーユルヴェーダ・カフェ』(著・上馬塲和夫、料理・香取薫/地球丸)、『うまい、カレー。』(ナツメ社)、『チャラカの食卓 二千年前のインド料理』(伊藤武共著
※掲載情報は 2016/02/19 時点のものとなります。
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