ハロウィンに思うこと

ハロウィンに思うこと

記事詳細


紹介している商品


自然な甘みが嬉しい、浅草の銘菓

間もなくハロウィンである。近年の日本では、仮装して街をねり歩いたり、ハロウィンにかこつけてパーティーを開いたりといったことがすっかり定着している様子だが、わたしが10代の頃、すなわち70年代後半から80年代は、ハロウィンといえば何といっても映画だった。ジョン・カーペンター監督による『ハロウィン』である。

 

映画『ハロウィン』に触れる前に、少々当時の雰囲気を伝えておくと、様々な技術の進歩はあったものの、まだまだ未知のものがこの時代には世界中にたくさんあった。UFO、心霊現象、UMA、超能力、文明の手垢がついていない少数民族の風習などが、テレビや雑誌といったメディアで盛んに取り上げられた。闘争と革命の季節である60年代から70年代にかけて、アメリカを中心に台頭したヒッピー・ムーブメントは、”LOVE & PEACE”の思想とともに多くのカルト宗教を生んだが、そうした正統のキリスト教と相反する存在が顕在化してゆくのを遠景に、オカルト・ブームは広まっていったのである。日本においては、キリスト教との二項対立という図式よりは、高度経済成長を成し遂げ、安定成長期からバブル期へと推移してゆくなかで、刺激的なものを求める傾向があったように思う。1972年2月の「あさま山荘事件」はテレビ中継により各家庭のお茶の間に流れることとなったが(わたしもテレビで観た記憶がある)、この事件の結末(人質を無事救出、犯人全員逮捕)から、社会のムードが変わっていったのではなかっただろうか。イデオロギー闘争から「シラケた」世の中へ、とでもいうべきこうした時代にあって、人々の関心は、バーチャルなもの、不可視のもの、現実を超越したものへと移っていった。1973年に刊行された『ノストラダムスの大予言』がベストセラーとなったのは象徴的な出来事ではないだろうか。

 

そうした背景のなか、現在名作と称されるオカルト映画、ホラー映画が量産された。ウィリアム・フリードキンの『エクソシスト』が1973年、トビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』が1974年、『オーメン』と『キャリー』が1976年、ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』が1978年と、実に百花繚乱の様相を呈している。そんななかで1978年に公開されたのが『ハロウィン』だ。人の顔を模した白いマスクをつけた殺人鬼マイケル=ブギーマンの姿はインパクト大で、当時子供だったわたしの記憶にしっかりと刻み付けられることとなった。仮装している人がたくさんいるなかにブギーマンが紛れていてもわからないということを考えると、とても怖い。

 

映画『ハロウィン』は、文字通りハロウィン前後の話なので、オープニングクレジットやタイトルまわりにはカボチャが配されている。目、鼻、口をくり抜かれたカボチャのなかにゆらゆらと燃えるロウソクの炎も、この映画で観ると不気味な印象だ。この時期、どこに行ってもカボチャ、カボチャ、カボチャという感じなので、うっかり映画のことを思い出さないように気をつけたいところである。

 

そう、この時期はカボチャ、カボチャ、カボチャなのだ。とりわけ洋菓子、和菓子の店では目に付くところにカボチャ関連の商品が、ハロウィン気分を盛り立てるディスプレイとともに並んでいる。ところが、カボチャは餡やクリームに使われることが多いようで、思いのほかカボチャの原形を留めているものは少ない印象である。確かに皮がついたままのカボチャだと煮物感が強すぎるのかもしれない、などと思っていたら、あった。

 

安政元年(1854年)、浅草寺の別院である梅園院(ばいおんいん)の一角に茶屋を開いたところからその歴史が始まったという老舗甘味処「梅園(うめぞの)」は、あわぜんざいでよく知られている店。現在も浅草に本店を構えながら、いくつかの百貨店にも和菓子の売店を設けている。先日、渋谷の「東横のれん街」を訪れた際、この「梅園」の売店で「かぼちゃ羊かん」なるものを見つけたのだ。

ハロウィンに思うこと

黄金色の羊羹の上には、薄くスライスしたカボチャが一切れ。載っている、というよりは埋まっているといった方が正確だろうか。切り分けて食してみると、甘さはやや控えめで、カボチャの皮の苦味もそこはかとなく感じられるのがいい。梅園には、この「かぼちゃ羊かん」のほか、栗むし羊かん、芋むし羊かん、くるみ羊かん、また贈答用にこれらを詰め合わせにしたものもある。好みや用途によって選ぶことができるが、やはり今の季節の選択はカボチャではないだろうか。

ハロウィンに思うこと

ハロウィンでジョン・カーペンターの映画を思い出すのは先に述べた通りだが、ハロウィンにつきもののカボチャの話なら、倉橋由美子の「カボチャ奇譚」を挙げておきたい。この話を収録している『倉橋由美子の怪奇掌篇』(現在は『大人のための怪奇掌篇』と改題し文庫化されている)は、1983年から84年にかけて『婦人と暮らし』に連載された20作品をまとめたもの。掌篇とあるように一話一話はコンパクトであるが、どれも奇妙な味わいを残す。

 

「カボチャ奇譚」は、とある国の元宰相ボーブラ氏(いうまでもな「ボーブラ」はカボチャの異名)が現役時代から「カボチャ」と渾名されていたというところから始まる。渾名の由来はいくつかあるようだが、「一説によると、ボーブラ氏は短躯の割に頭が大きく、その形状が橙色のカボチャに似てゐると同時にその中身に問題がある、つまりは阿呆である、それでカボチャである、と言ふ」。このボーブラ氏がある日突然亡くなり、あの世で審判にかけられる。「判決。生前の愚行の罪により、あなたをカボチャ化する。以上」。納得のいかないボーブラ氏だが、過去にカボチャ化された者にローマ皇帝のクラウディウスがいたことを聞かされ、満更でもない気分になった。

 

その後、ボーブラ氏はなぜか自分の葬儀に立ち会う。どうも何かの手違いであの世から送り戻されたらしい。驚いた参列者たちは急遽記者会見をその場で開いた。ボーブラ氏があの世での出来事を説明すると、参列者たちはこの「復活」と「死からの生還」に興奮し、「奇跡の生還者」たるボーブラ氏も弁舌を奮った。ところがやがて氏に異変が起こり、顔は膨張して「カボチャに目鼻」の状態に、手足胴体はいつしかその膨張した頭部に飲み込まれ、ついにボーブラ氏はカボチャ化してしまった。

 

話の続きはまだほんの少しあるのだが、ここでは割愛する。ご興味ある方は、秋の夜長、ぜひ本を読んで奇妙な余韻を確かめてみてほしい。読書のお供には、渋めに淹れた緑茶と「かぼちゃ羊かん」を。

※掲載情報は 2015/10/24 時点のものとなります。

  • 7
ブックマーク
-
ブックマーク
-
この記事が気に入ったらチェック!
ハロウィンに思うこと
ippin情報をお届けします!
Twitterをフォローする
Instagramをフォローする
Instagram
Instagram

キュレーター情報

青野賢一

BEAMSクリエイティブディレクター

青野賢一

セレクトショップBEAMSの社長直轄部署「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターも務める。執筆、編集、選曲、展示やイベントの企画運営、大学講師など、個人のソフト力を主にクライアントワークに活かし、ファッション、音楽、アート、文学をつなぐ活動を行っている。『ミセス』(文化出版局)、『OCEANS』(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)、『IN THE CITY』(サンクチュアリ出版)、ウェブマガジン『TV & smile』、『Sound & Recording Magazine』ウェブなどでコラムやエッセイを連載中。

次へ

前へ