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3ヶ月に渡り、浅草観音堂裏にある人気のマイクロビストロ『ペタンク』でレシピ本制作のために撮影に通っていた。観音堂裏は表の雷門から浅草寺にかけての喧噪が嘘のように静寂で、あまり観光客も来ない場所。しかし、この一体は実施堅固で地元の人々に愛される店が多く点在している。その日の撮影終了後に、歴史のある洋食屋、焼鳥、釜飯、居酒屋を束歩き、楽しませてもらった。
観音堂裏には老舗の和菓子店も多くあるが、『ペタンク』山田武志シェフが教えてくれたのは、和菓子ではなく洋菓子を扱う『菓子工房ルスルス』という店だ。同店はこの浅草店のほかに東麻布と松屋銀座にも支店があるそうだ。
店に入ってすぐ目についたのは「鳥のかたちクッキー」。星のかたちのクッキーが入った「夜空缶」にも引かれたが、この「鳥のかたちクッキー」を見た瞬間はるか遠くのカタルーニャを思った。1971年10月24日に国連本部で、チェロ奏者パブロ・カザルスが生まれ故郷のカタルーニャ民謡「鳥の歌」(El Cant dels Ocells)を演奏したのだ。これをNHKのニュース番組で偶然みて、この時にカザルスという名前を知り「鳥の歌」の曲と演奏に魅せられたのだ。
それ以降、カザルスのレコードを買いはじめ、カザルスが現代に蘇らせたバッハの「無伴奏チェロ組曲」をきっかけにバロック音楽にはまった。クラシック音楽全体に興味をもったのはこの「鳥の歌」からなのである。
「鳥のかたちクッキー」はまた、カタルーニャの青い空と海を連想し、まるで紅茶に浸したマドレーヌを食べるシーンからはじまるマルセル・プルーストの小説『失われた時をもとめて』のようだ。プルーストは匂いの記憶から小説をはじめるが、『菓子工房ルスルス』のクッキ—はまさに「かたち」なのだ。何とも、スペインよりもカタルーニャ的ではないか、同じカタルーニャ出身のジョアン(ホワン)・ミロの自由闊達な絵も連想させるのだ。
初めてのヨーロッパ旅行は、バルセロナだった。カザルスやミロの故郷でもあり、その当時ガウディに惹かれていて、ガウディの建築ばかりを観るためにバルセロナだけに滞在していたのだ。その後、何度もバルセロナを訪れるが、フランコ独裁政権に反対した芸樹家達の軌跡も知ることになる。グラナダ出身だが、やはり独裁政権に抵抗し39歳で殺された詩人ガルシア・ロルカの詩も好きだ。
こんなふうに本当にクッキーひとつから様々な記憶が呼び起こされたのだ。「鳥のかたちクッキー」は紅茶に浸すと溶けるので、紅茶には浸けずに、カザルスの「鳥の歌」(ホワイトハウスでケネディ大統領の前で演奏したものもある)を聴きながら、カザルスの語った「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は、ピース、ピース(英語の平和)と鳴くのです」を思いながら午後のお茶の時間を楽しんだ。クッキーに施された砂糖に抹茶のアイシングがサクサクして美味しく、そして同梱されていた何枚かの折り畳んだ敷き紙用の色紙との彩りが楽しい。今回はいささか個人的な思い出だが、菓子には過去の記憶を呼び起こせる力があるのだと納得したのだった。
※掲載情報は 2018/03/19 時点のものとなります。
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キュレーター情報
アートディレクター・食文化研究家
後藤晴彦(お手伝いハルコ)
後藤晴彦は、ある時に料理に目覚め、料理の修業をはじめたのである。妻のことを“オクサマ”とお呼びし、自身はお手伝いハルコと自称して、毎日料理作りに励んでいる。
本業は出版関連の雑誌・ムック・書籍の企画編集デザイン制作のアート・ディレクションから、企業のコンサルタントとして、商品開発からマーケティング、販促までプロデュースを手がける。お手伝いハルコのキャラクタ-で『料理王国』『日経おとなのOFF』で連載をし、『包丁の使い方とカッティング』、『街場の料理の鉄人』、『一流料理人に学ぶ懐かしごはん』などを著す。電子書籍『お手伝いハルコの料理修行』がBookLiveから配信。
調理器具から食品開発のアドバイザーや岩手県の産業創造アドバイザーに就任し、岩手県の食を中心とした復興支援のお手伝いもしている。