誰でもない人の物語を読む

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厳選されたカカオが香る上質チョコレート

寒い季節が近づいてくると、夜の時間のお供として探偵小説が恋しくなる。「探偵小説」なんて古めかしい言い回しにしているのは、最近のものでなく昔に書かれた作品に惹かれるからだ。その理由について考えてみるに、まず第一に夜の時間が長くなるからであろう。賊にとって夜は格好の活動時間。つまり夜が長くなる冬は、彼、彼女たちにとっては「仕事がしやすい」季節であって、読者はあたかも共犯者のようにその仕事ぶりを追うことが可能になる。時間的なリアリティである。では、夜なら場所はどこでもいいかというと、そうではない。夜になれば常に暗闇という田舎ではいけないし、明るすぎてハレーション気味な現代の都会も話にならない。光と闇が文字通り表裏一体であったかつての都市――昔の東京で起こる恐ろしい、あるいは奇妙な事件というのがいいのである。こちらは時間的リアリティとは逆の空間的反リアリティであって、その二つの組み合わせが現実と虚構の境界線を曖昧にしてくれる。こうした理由から、古い探偵小説を読むのが私の冬の夜の楽しみなのだ。

 

前段落で「探偵小説が恋しくなる」などと書いたが、私にとって謎解きはさして重要ではない。謎解きを主たる目的として読むならば、だいたい一度ないしは数回読めば結末や犯人が誰かは覚えてしまうわけだから、繰り返し読むには値しないだろう。その点において、私は探偵小説=推理小説愛好家などとは口が裂けてもいえない。「推理小説を推理小説たらしめる要素を否定したところで成立する推理小説こそ、真に推理小説をエンターテインメントから文学に高める媒介となるような、独創的な作品とはいえないだろうか」とは澁澤龍彦の言葉だが(『推理小説月旦 ミステリー全論考』所収「推理小説月旦 1960年――61年3月」内「新しい次元に向かって 1960年10月」)、私もこうした「独創的な作品」の方――いわゆる変格物――に魅力を感じてしまうのである。そんなわけで、冬の夜に手にする探偵小説は、自ずとそうした傾向の作品に帰着してしまう。

 

では、それらが具体的にどんな作品かといえば、プロバビリティの犯罪を描いた谷崎潤一郎の「途上」、雪の銀座を舞台にしたロマンティックな渡辺温の「嘘」、若き医師が医学知識を織り交ぜながら自らの復讐を独白する山田風太郎の「眼中の悪魔」(これらは新潮文庫の『昭和ミステリー大全集』上巻に収められていて、まとめて読むのに都合がいい)、そして江戸川乱歩のいくつかの作品などだろうか。夢野久作も好みだが、夢野作品はその土俗性と強烈なエキゾティシズムに魅力を感じるので、自分にとっては冬の夜向きではない。

 

江戸川乱歩の作品には、東京を舞台にしたものが少なくないばかりか、かなり具体的な町名や場所が記されている作品もあって、当時の様子を想像しながら読むのも楽しい。先にも述べた通り、謎解きが主眼というわけではないので、私のもっぱらの関心は東京のどこでどんな犯罪がどのように遂行されたかというところになるのだが、平凡社のコロナ・ブックス・シリーズの『江戸川乱歩』には、「乱歩事件図」として都内40あまりの地名が作品名および簡潔に記した事件内容とともに掲載されているので、ざっと引いてみると、「麹町区丸の内二丁目(現・千代田区)『目羅博士』(昭6)眼科医目羅博士殺人事件」「小石川区関口町大滝(現・文京区関口二丁目)『猟奇の果』(昭5)水上に女の手首浮く」「杉並区西荻窪付近『人間豹』(昭9)恩田青年、ウェートレス弘子を食う」といった具合である。

 

ところで、江戸川乱歩の小説に登場する人物は「学校を出てからこれといった職につくわけではなく、ひがな一日部屋で過ごし、気がむけば遊歩する」(コロナ・ブックス『江戸川乱歩』所収、柏木博「群衆」)といった者が多い。いわゆる高等遊民と呼ばれる人種だ。なぁんだ、フリーターのことかと思うなかれ。「『ランティエ』(rentier)というフランス語がある。直訳すれば『利子生活者』。意訳すると『高等遊民』」(川本三郎『東京残影』所収「ランティエの余裕と孤独 澁澤龍彦」)。ようは、家系もしくは親が経済的に豊かであって、そのおかげで働く必要がないのが高等遊民ということになる。乱歩の小説に出てくる高等遊民は必ずしも前述のような裕福な家系の出ばかりでなく、お金はないが時間はたっぷりあるというタイプの人物も多いのだが(「D坂の殺人事件」の頃の明智小五郎などはまさに後者に属する)、いずれのタイプにせよこれらの高等遊民は都市部に特有の存在といえるだろう。顔見知りばかりの田舎ではこうはいかない。共同体の鼻つまみ者となり、親族やその土地の有力者に諌められるであろうからだ。その意味でも乱歩の小説の一定数は都市型の作品なのであり、読者たる我々はそうした高等遊民の気ままな暮らしぶりに憧れてしまったりもするのである。「一億総中産階級の社会とは、実は『ランティエ』を許さない悪平等の社会でもある」(「ランティエの余裕と孤独 澁澤龍彦」)。

 

さて、冬の夜のお供が探偵小説ならば、探偵小説のお供は何かといえば、私の場合はコーヒーとチョコレートである。とはいえ、チョコレートなら何でもいいかといえばさにあらず。本のページをめくることを考えると板チョコの類は避けたいところだ。そこで今回買い求めたのが「オリジンヌ・カカオ」の「オランジェット」である。「オリジンヌ・カカオ」は、2003年、自由が丘に開店したチョコレート専門店で、2017年4月にはGINZA SIXに銀座店をオープンしている。熟練職人の丁寧な仕事ぶりが窺えるチョコレートにファンも多い。オランジェットとは、オレンジピールをチョコレートでコーティングしたもの。「オリジンヌ・カカオ」では、チョコレート専門店らしいブラウンのパッケージに80グラムを収めて販売している。

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紙のパッケージを開けると、オランジェットがひとまとめに入っている。量産品なら同じ形状に揃えることができるだろうが、一つ一つ個体差があるので個別包装は採用されていない。そんなところも手仕事ゆえのことではないかと思う。

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開封して立ち上る香りは、甘さよりもほろ苦いカカオのムードが強い。まわりのチョコレートはビター。口に含むと実に滑らかだ。チョコレートに包まれたオレンジピールは柔らかで、甘さはありながらオレンジピール特有の苦味もしっかりと感じられるのがいい。オレンジのほのかな酸味が残って、洗練された余韻である。

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実に安直な連想でかたじけないのだが、こうしてチョコレートについて書いていると思い出すのは、稲垣足穂の「チョコレット」という短篇のことだ。明け方、それも朝日が昇る前に、毎日何の目的もなく散歩をしている少年ポンピイが、ある朝、散歩の途中で赤い三角帽子を被った人物に出会った。その人物は「黄いろと真紅色と半々になったズボンをつけて、どうやらガラス製だと受取れる靴をはいているではありませんか? その上、背からはうすい緑色の羽根がはえて、からだは五ツか六ツぐらいの子供の大きさなのです。それはおとぎばなしの中に出てくるロビン・グッドフェロウとそっくりそのままなのです」(稲垣足穂「チョコレット」)。このロビン・グッドフェロウにそっくりな人物、今はほうき星をやっているのだそうで、地球の近くを通りかかった時に懐かしさからちょっと立ち寄って昔の姿で歩いていたところにポンピイと出くわしたのだった。ロビン・グッドフェロウは何にでもかたちを変えられるというので、ポンピイは「この中へはいっておくれ」と、錫紙に包まれたチョコレットを差し出した。

 

ロビン・グッドフェロウは言われた通りチョコレットの中に入り込んだが、チョコレットは突然小石のように硬くなってしまう。それからどうにかしてロビン・グッドフェロウを出そうと、ポンピイは色々と策を練って、最終的に街の鍛冶屋のところに持っていくことにした。あれこれ試みても割れないチョコレットに業を煮やした鍛冶屋が、代々伝わる大きな鉄槌を振り下ろしたところ、鍛冶屋の家は半分吹き飛ばされてしまった――。

 

一見、童話めいた話だが、目的もなく散歩するポンピイが得体の知れない人物と出会うという構図は、乱歩の作品とどこか通じるものがあるように思う。そもそもロビン・グッドフェロウがほうき星にならざるを得なかったのは、工場ができたり汽車が走るようになったりして、丘の上で妖精をやっているわけにはいかなくなったからだ。「農夫がスキやクワを棄てて都会へ出て行ったように、われわれも住みなれた懐かしい丘から出てゆかねばならぬことになったのだ」(「チョコレット」)。都市化の進行により、農村的な共同体で安住していた妖精も暮らしにくくなり、怪人二十面相よろしく何にでもかたちを変えて生きることを余儀なくされた。都市化とは、出生地や血縁から切り離された「誰でもない人」を生み出す契機なのである。

 

真夜中に、こうしたかつての都市化の進行を背景にした小説を読んでいると、自分が「誰でもない人」になって街を徘徊すれば、別の「誰でもない人」の不思議な行動に出会えるのではないかと思えてきて、「ちょっと出かけてみようかな……」という考えが頭を一瞬よぎる。が、考えるだけで実行に移すことはなく、相変わらずコーヒーとチョコレートをお供にしてページをめくり続ける。私は寒さがめっぽう苦手なのだ。

※掲載情報は 2018/12/15 時点のものとなります。

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青野賢一

BEAMSクリエイティブディレクター

青野賢一

セレクトショップBEAMSの社長直轄部署「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターも務める。執筆、編集、選曲、展示やイベントの企画運営、大学講師など、個人のソフト力を主にクライアントワークに活かし、ファッション、音楽、アート、文学をつなぐ活動を行っている。『ミセス』(文化出版局)、『OCEANS』(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)、『IN THE CITY』(サンクチュアリ出版)、ウェブマガジン『TV & smile』、『Sound & Recording Magazine』ウェブなどでコラムやエッセイを連載中。

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