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東海道・丸子宿のとろろ汁
東海道を旅する、それは江戸時代の人たちにとって特別な体験でした。
各宿場や街道沿いの道筋には、名物といわれるお料理やお菓子などがたくさんあり、それは旅の楽しみのひとつでした。そこで浮世絵に描かれた名物をシリーズでご紹介します。
第三回は、東海道五十三次の20番目の宿場、「鞠子宿」(丸子宿)のとろろ汁です。
浮世絵の世界にタイムスリップ 名物とろろ汁の「丁子屋」
静岡市駿河区「丸子」はかつて、「鞠子」と呼ばれ、五十三次の中で最も小さな宿場の一つでした。
この宿場の名物は「とろろ汁」。すりおろした自然薯(じねんじょ)に味噌や削り節であつらえた出汁と合わせ、麦ごはんにかけて食べるもの。
もともと丸子周辺は江戸時代から自然薯の産地として知られていました。
自然薯を使ったこのとろろ汁は、当時、街道を旅する人たちに大好評で、たちまち丸子の名物になったといいます。
松尾芭蕉はこれを句に詠み、弥次さん、喜多さんで有名な十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも丁子屋のとろろ汁が出てきます。
とろろ屋は、今では丁子屋を含む数軒になっていますが、かつては多くの店が軒を連ねていたそう。
東海道五拾三次之内 鞠子 名物茶店(保永堂版)
絵師:歌川広重
制作年:天保四年(1833)頃
静岡市東海道広重美術館蔵
茶店の真ん中に「名ぶつ とろろ汁」の立て看板が大きく立て掛けられています。茶店では弥次さんと喜多さんを思わせる二人が腰をかけ、名物のとろろ汁をかき込んでいます。左にいる後ろ姿のおじさんは、採りたての自然薯を店に届けにきた農家さんでしょうか。
Tokaido Road - Mariko (after Hiroshige)
作家:エミリー・オールチャーチ
制作年:2013年
静岡市東海道広重美術館蔵
イギリスのアーティスト、エミリー・オールチャーチが広重の「東海道五拾三次之内 鞠子」をテーマに制作した作品。フォトコラージュという手法により、過去のイメージを現代の景色の中に再現させています。よく見るとお店の中に丁子屋14代目のご主人の姿も……?
そもそも自然薯は、とても栄養価の高い食材で、昔から滋養強壮や疲労回復などでも重宝され、山のうなぎとも言われています。
良質なでんぷんやアミラーゼという消化酵素が多く含まれているので、消化を助ける働きもあります。とろろ汁はこれから宇津ノ谷峠を越えようとする旅人の貴重なエネルギー源だったのですね。
東海道五十三次之内 鞠子(行書東海道)
絵師:歌川広重
制作年:天保十二~十三年(1841~1842)頃
静岡市東海道広重美術館蔵
小鳥が飛び梅の花が咲く春の訪れを感じる風景。「うめ若菜 丸子の宿のとろろ汁」(1691年)という芭蕉の句があります。広重はこの句をイメージして描いたとも言われています。
歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」にも描かれた「丁子屋」の創業は、慶長元年(1596年)。なんと約420年という長い歴史を持つ老舗です。中に入ればまるで江戸時代にタイムスリップしたかのよう。
「丁子屋」伝統の味のこだわりのひとつは「県内産の自然薯」を使っていること。家伝の白味噌を入れたとろろ汁は、スルスルとした舌触りの甘めで優しい風味。
江戸の旅人たちも、ここでとろろ汁をすすり、お腹も心も満たして行ったのでしょう。
丁子屋オリジナルの「とろろ芋ようかん」
残念ながらとろろ汁はお店でご堪能いただくしかないので、ここでは丁子屋オリジナルの「とろろ芋ようかん」をご紹介しましょう。
地元静岡県産の自然薯と味噌を練り込んで「丁子屋のとろろ汁」をイメージさせたオリジナルのひとくち羊羹です。ほどよい甘さと自然薯の風味を生かした素朴で優しい味わい。渋い煎茶との相性がバッチリです!
元祖 丁子屋
住所:静岡市駿河区丸子7丁目10−10
電話番号:054-258-1066
※掲載情報は 2017/05/04 時点のものとなります。
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キュレーター情報
学芸員/栄養士
大森久美
栄養学を学んだ後、武蔵野美術大学卒業。芸術学士、学芸員資格を取得。2006年特定非営利活動法人ヘキサプロジェクトを設立。2010年より現地法人ヘキサプロジェクト・ロンドン・リミテッドディレクター。美術館のキュレーションを行うかたわら、アート/デザインのワークショップなどの教育普及や、地方で伝統の技を守り続ける職人達との商品開発にも精力的に取り組む。日本文化の奥深さを伝えることをミッションに、食とアートのスペシャリストとして日本の美意識を国内外に発信中。