記事詳細
紹介している商品
王子名物・扇屋の厚焼き卵
ここで記事を書きはじめてから2度目の初午を迎える。思えば、最初の記事がちょうどこの時期で、初午に関連したいなり寿司の話であった。初午とは2月最初の午の日のことで、今年は2月12日。以前書いたものを引き写すと、「狐が正一位という高い位の使いとされる稲荷神は、もともと農業神であったが江戸時代に入ると商売繁盛の神とも考えられ、稲荷神社も急増した。ちなみに総本社は京都の伏見稲荷大社である。この稲荷神社で2月の一の午の日、二の午の日(あれば三の午の日)に五穀豊穣、商売繁盛を願って盛大に行われる祭り」が初午祭である(「狐の嫁入りといなり寿司」)。総本社である伏見稲荷大社では「稲荷大神が稲荷山の三ヶ峰に初めてご鎮座になった和銅4年2月の初午の日をしのび、大神の広大無辺なるご神威を仰ぎ奉るお祭で、2日前の辰の日に稲荷山の杉と椎の枝で作った”青山飾り”をご本尊以下摂末社に飾りこの日を迎える習わしがあります」(伏見稲荷大社ホームページ「初午大祭」より)。初午の前日、つまり巳の日から多数の参拝者が詣で、「京洛初春第一の祭事」だそうだ。
伏見稲荷大社は別格としても、初午の祭りは全国の稲荷神社で行われているが、東京・北区にある王子稲荷神社では毎年初午と二の午の日に合わせて「凧市」が開催される。凧市は江戸時代から続く行事で、庶民がこの神社の奴凧をお守りとして買い求めるようになったのがはじまりだという。なぜ凧がお守りになるのか? 江戸の町では、火事が風で煽られ大火となり、何度となく大きな被害を生んだが、延焼を助長する風を断ち切ることを、風を切って揚がる凧に託して火除けのお守り=「火防(ひぶせ)の凧」としたのだ。調べてみるとこの火防の凧、王子稲荷神社に独特なもののようで、ほかに入手できるのは近くにある装束稲荷神社くらいなものである。王子稲荷神社は東国三十三カ国稲荷総司という格式高い稲荷神社だが、大晦日になると稲荷神の使いである狐が東国三十三カ国つまり東日本一円から集まってくる。王子稲荷神社に詣でる前に、狐たちは近くの大きな榎のところで身なり、装束を整え、稲荷神を訪問するのにふさわしい状態をつくる。歌川広重がこの様子を「名所江戸百景」のひとつとして描いているので(「王子装束ゑの木大晦日の狐火」)、ご存知の方も少なくないだろう。近くの農家は、狐が灯す狐火の多寡で新年の豊凶を占ったという。狐たちが身支度を整えた榎は「装束榎」と呼ばれ、その場所に王子稲荷神社の摂社として祀られたのが装束稲荷神社である。明治時代中頃に榎が枯れ、昭和に入ってしばらくすると道路拡張のために古木は切り倒されて、社は現在の場所に移転することとなった。1993年(平成5年)からは、王子の狐火の話を後世に遺し伝えるために、地元の人々が「狐の行列」を大晦日に再現し、狐のお面を着けて装束稲荷神社から王子稲荷神社までを練り歩く。王子稲荷神社の火防の凧はいわゆる奴凧だが、装束稲荷神社のそれには狐の絵が描かれているようである。
狐にまつわる話といえば、落語「王子の狐」がまず思い出される。ある男が、吉原に遊びに行って初午の日をすっかり忘れてしまい、翌日になって王子稲荷神社に赴くと、人気がなくがらんとした様子。参拝を済ませ歩いていると、道端の稲叢のところで狐が頭の上に草を載せているのが目に入ってきた。不思議に思って眺めるうちに、その狐がくるりとひっくり返って22、3歳の女性に化けたのである。「ああああッ……化けた! えッ? こりゃおもしれえや。話には聞いていたけど、目の前で狐が人間に化けるなんていうのは初めて見たよ。うまいもんだねえ。乙ないい女だねェ」(麻生芳伸編、ちくま文庫刊『落語百選 春』所収「王子の狐」より)。感心しつつも、狐が自分を化かそうとしていると思った男は「……だが待てよ、種がわかってるんだ。向こうで化かそうってんなら、ひとつこっちでもって一番化かされてやろうじゃないか」と女に近づき、声をかけた。
つらつらと適当に話を進め、男は近くの扇屋という料理屋に女を連れていく。料理と酒をとって飲み食いするうち、女は「兄ィさん、あたし、すっかり酔っちまったわ」と。男は女に横になって休むことを勧め、熟睡したところでそーっと座敷を出ていった。店の者に、連れが寝ているから適当に起こしてやってくれ、女に紙入れを預けているからお勘定は女からもらっておいてくれ、と伝え、これから近所の伯父の家に行くからなにか土産になるものを、と申しつけた。「なんかこう、土産になるようなものはないかい? え? 卵焼? あッ、それを三人前折に詰めておくれ……」。
1648年(慶安元年)に初代弥左ェ門が王子で農業のかたわら「農間煮売商人」の看板を掲げ掛茶屋をはじめたのが「扇屋」。掛茶屋から料理屋となったのは1799年(寛政11年)頃ということである。もとより王子稲荷神社は人気が高く、また徳川吉宗が桜を植樹し整備、造成を行った飛鳥山が1737年(元文2年)一般庶民にも開放されるようになると、王子界隈はさらなる賑わいをみせる。飛鳥山の桜、音無川での納涼、滝野川の紅葉と、王子は江戸っ子にとっての行楽スポットだったのだ。当然、扇屋もこれに伴い繁栄を極めた。その後、明治、大正、昭和、平成と料理屋として営業を続けた扇屋だが、21世紀に入ってしばらくすると料理屋を閉め、現在は玉子焼きの売店のみとなった。料理屋は音無川に面してあったが、売店はその裏手。王子駅からすぐの立地である。
扇屋の売店では厚焼き卵の折詰かハーフが売られている。折詰は扇屋のマークが入った包装紙にくるまれ、それをオレンジとグリーンの紐がキュッと留めている凛々しい佇まい。持てば結構な重量感がある。
包みを解いて蓋を取ると、甘みが匂い立つ。柔らかな黄色をした玉子焼きが箱にぴったりと収まっていてなんとも気持ちがいい。一体この一折でいくつ卵が使われているのだろうか。早速、包丁で切り出してみると、そのきめの細かさと密度にうっとりさせられた。
こちらの厚焼き卵は、いわゆる甘い玉子焼きである。卵の数に負けず劣らず砂糖がたっぷり使われているのだが、甘さに角がない。これはおそらく出汁をふんだんに使っているからで、出汁の旨みが甘さを絶妙にまろやかにしている印象だ。甘い玉子焼きが好きな人なら(私もそのひとりだ)、一度にたくさん食べてしまうのではないだろうか。
ところで、折詰に付属の「王子扇屋の沿革」によれば、「王子の狐」で男がお土産にと買い求めたのは、この厚焼き卵の折詰ではなく「釜焼折詰」のようだ。釜焼折詰は卵を16個も使ったもので、一見ホールのケーキのような見た目の玉子焼きである。上火と下火を使い、上下から加熱して蒸し焼きにするもので、ひとつ仕上げるのに3、40分はかかるという。この釜焼折詰は現在は事前に予約をしないと手に入らないので注意されたい。しかし、この大きさを三人前とはどうも考えづらいので、ひょっとすると「王子の狐」のそれは、三人前程度の小ぶりなサイズに作ってもらったものかもしれない。当時はあくまでも料理屋だったので、客の要望に合わせて作っていたとしても何ら不思議はないからだ。
予約ということでいえば、厚焼き卵も折詰のものは予約をした方が間違いない。実をいうと、「本当なら」私はこの折詰を買い求めることができなかった。王子駅に到着したのが14時半頃だったのだが、そのときは扇屋の売店は閉まっていた。最初に仕込んだ分が売り切れてしまい新たに作っているのだろうと思って、先に昼食を済ませてから再び扇屋の前に行くと開いていたので、インターホンでお店の人を呼び出した(不在の場合はインターホンで呼ぶのである)。出てきたのはこちらの14代目。一折買いたい旨伝えると、予約しているかを聞かれた。予約はしていないというと、今はハーフしかないとの答えが返ってきた。聞けば、できあがったものの熱を取ってからでないと箱に詰められないという。なるほど、と思っていると後から来たお客さんがハーフを頼んだ。そうか……出直して予約してからくるか、などと考えながらすぐ近くの音無親水公園をとぼとぼと歩いてみたが、やはりせっかくきたのに手ぶらで帰るのは口惜しい。折は次回にして、ひとまずハーフを買っていこうと思って再び扇屋まで戻り、ハーフで結構なのでというと「さっきの人ので売り切れちゃったよ」と14代目。なんと。「そうですか……」と力なく返事をしたら、「一折でいいんだよね。さっき裏行ったらひとつあったから」といって裏(ビルの中)から紙袋に入った折詰を持ってきてくださった。「タイミングなんですよね。あるときはあるんだけど、今日みたいに売れちゃってないこともある。またぜひよろしくお願いします」。
こうして買えなかったはずのものが買えた次第である。営業時間は19時までとなっているが、こちらは売切御免。何せ手作りだから文句をいってはいけない。運良く買えた私としては、これも稲荷神のご利益と、今度買いに行くときには予約もしつつお稲荷様への手土産でも持参して王子稲荷を詣でようかと思う。手土産には間違っても牡丹餅を選んではならないということは「王子の狐」をご存知の方ならご理解いただけるだろう。
※掲載情報は 2017/01/29 時点のものとなります。
- 7
キュレーター情報
BEAMSクリエイティブディレクター
青野賢一
セレクトショップBEAMSの社長直轄部署「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターも務める。執筆、編集、選曲、展示やイベントの企画運営、大学講師など、個人のソフト力を主にクライアントワークに活かし、ファッション、音楽、アート、文学をつなぐ活動を行っている。『ミセス』(文化出版局)、『OCEANS』(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)、『IN THE CITY』(サンクチュアリ出版)、ウェブマガジン『TV & smile』、『Sound & Recording Magazine』ウェブなどでコラムやエッセイを連載中。