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神戸チョコレートの上品な味わい
クラシック音楽、それもフル・オーケストラの奏でるそれは、これからの季節にしっくりくるように思う。暑い時期には風通しのよいスモール・アンサンブルの室内楽などが気持ちよく聴けそうだが、冬になれば音密度の高いものがいい。時間をかけて丁寧に織り上げられた、目の詰まったウールの肌触りが恋しくなるのと同じ理屈である。
どうせ聴くなら、コンサート・ホールに出向いていって、生の演奏を体感したいところだ。物理学者であり作家、寺田寅彦の随筆にはしばしば音楽会が登場する。「オーケストラの太鼓を打つ人は、どうも見たところあまり勤めばえのする派手な役割とは思われない。何事にも光栄の冠を望む若い人にやらせるには、少し気の毒なような役である。しかし、あれは実際はやはり非常にだいじな役目であるに相違ない。そう思うと太鼓の人に対するある好感をいだかせられる」(『短章 その一』)。あるいは「いつか、上野の音楽会へ、先生と二人で出かけた時に、われわれのすぐ前の席に、二十三、四の婦人がいた。きわめて地味な服装で、頭髪も油気のない、なんの技巧もない束髪であった。色も少し浅黒いくらいで、おまけに眼鏡をかけていた。しかし後ろから斜めに見た横顔が実に美しいと思った」(『短章 その一』「女の顔」)というように。2番目に引いた中にある「先生」とは、いわずもがな夏目漱石のことである。二人は連れ立って上野の音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)で行われた定期演奏会にたびたび足を運んでいたようだ。前述のほか、「蓄音機」などの随筆を読むと、寺田寅彦が結構な音楽好きであったことがよくわかる。
寺田寅彦よりも100年ちょっと前の1776年に生まれたE.T.A.ホフマンも音楽に熱心な作家であった。ホフマンの作品は『くるみ割り人形』や『コッペリア』といったバレエ作品の下敷きになっていることはよく知られるところだが、ホフマン自身も音楽家として身を立てようと考えていた。1778年、両親の離婚により母方の実家に引き取られ、法律家の伯父と芸術に理解のある伯母に養育されることとなったホフマンは、この家でしばしば開催されていた家庭音楽会などを通じて音楽に親しむようになり、1792年には作曲、文学作品の習作を開始。その2年後、19歳で第一次司法試験に合格して司法官試補、22歳のときに第二次司法試験に合格しベルリンの大審院勤務となり、以後、ナポレオン戦争の影響から失職期間もあったが、1816年、40歳で大審院判事を務めることとなった。
このように音楽、文学に触れながらも法曹界に身を置いてきたホフマンだが、20代中盤からは自作の歌芝居の上演や自作交響曲の指揮者など活発な音楽家活動を行った。失職中の32歳のときにはバンベルク劇場音楽監督の地位を得、そこでの指揮者デビューは失敗に終わるものの、その2年後には同劇場の支配人補佐となって、作曲家、舞台装飾家、衣裳係を担当した。この間、初の文学作品「騎士グルック」を『一般音楽新聞』にて発表し、音楽評論も寄稿するようになった。執筆家としては30代の後半から充実期を迎えるが、経済的に安定するのはオペラ『ウンディーネ』が王立劇場で初演され、作曲家として認められたと同時に作家としての地位も確立された40歳の頃。脊椎カリエスのため亡くなるのが46歳ということを考えると、あまりに短い春であった。
かような経歴を持つホフマンであるから、作品中にも音楽に関することがよく登場する。「砂男」では、自動人形オリンピアは「ピアノをひじょうに達者に弾いてみせ、つぎには華麗なアリアを一曲、やや鋭すぎるガラスの鈴の音のような甲高い声で歌う」し、「クレスペル顧問官」では、クレスペルがヴァイオリンを作る。クレスペルの娘アントーニエはこの世のものとは思えない歌声の持ち主だが、その声は胸部の器質的疾患によりもたらされたもので「若死にするという結果はさけられない。このまま歌いつづけたら、せいぜいあと半年というところでしょう」と医師に宣告されてしまう。音楽はホフマン作品の中にあっては、死や破滅、破壊と不可分の存在なのである(前述のクレスペルは、ヴァイオリンを作る一方で、その構造を研究するために名器と呼ばれる高価なヴァイオリンを分解、確認したらバラバラのままにしておくし、作ったヴァイオリンも一度弾いたら壁にかけて放ったらかしである)。
加えていうなら、ホフマン作品で音楽を奏でるものの多くは、ある種超越的な存在=不気味なものとして描かれているのが興味深い。『砂男/クレスペル顧問官』(光文社古典新訳文庫)の訳者・大島かおりの解説によれば、ホフマンは速筆で、思いつくままに書き進め、推敲もしなかったそうだが、音楽については遅筆だった様子だ。「彼にとっては音楽こそが至高の芸術であったから、いざとなると自作の完成度に不安を覚えたのかもしれない」(解説より)とあることから考えると、理想とする優れた音楽とそれが自分に生み出せるかどうか(自分が超絶的な存在であるのかどうか)という不安がないまぜになってホフマンの文学作品に投影されているのではないだろうか。
さて、寺田寅彦とホフマン、その人と作品にクラシック音楽を求めてみたが、食べ物に触れねば、ここで書く理由がない。そう思って日本橋髙島屋の地下を流していると、ショーケースの中にあるチョコレートが目についた。神戸は岡本に本店を構える「モンロワール」の店先だ。ここでよく知られているのは「リーフメモリー」という小指の爪くらいの大きさのリーフ型チョコレートだが、今回買い求めたのはその名も「メロディー」というもの。併せてこの季節らしく「X’mas スノークリスタル」なるチョコレートも購入した。
「メロディー」は包装紙にリボン、「X’mas スノークリスタル」はクリスマスを連想させる銀の箱にリボンがかけられている。リボンを解いて化粧箱の蓋を開けると、「メロディー」の方はその名が示すように楽器とト音記号の絵柄である。ダークチョコレートとミルクチョコレートという2種類だが、それぞれの絵柄はダークチョコにはミルクチョコ、ミルクチョコにはダークチョコといった具合に組み合わされ、表現されている。この絵柄が立体的かつ精巧でため息が漏れるほどなのだ。ト音記号以外の楽器を挙げると、ヴァイオリン、ピアノ、ホルン、ハープ、トランペット。ト音記号にはきちんと五線譜も描かれている。
今回の主役は「メロディー」だが、「X’mas スノークリスタル」もなかなか凝ったものだ。ミルクチョコ、ダークチョコ、ホワイトチョコの3種類で表面には雪の結晶を模した絵柄がプリントされている。こちらはクリスマスまでの限定商品ということである。「モンロワール」では、すべての基本となるダークチョコレートはベルギー産のものを用い、ミルクチョコレートやホワイトチョコレートは甘さをぐっと控えめにしている。要は大人も楽しめるチョコレートなのだ。実際食してみると、どれも滑らかで、アメリカ産の大量生産品のような喉にくる甘ったるさがまるでないのがいい。「モンロワール」の本店「チョコレートハウスモンロワール」がオープンしたのは1988年(昭和63年)だが、その歴史は1935年(昭和10年)に前内実治が大阪・住吉にて製菓業を始めたところまでさかのぼることができる。前内製菓株式会社を設立し、チョコレートの製造を始めたのが1958年(昭和33年)と、チョコレートに限ってもかれこれ60年近く扱っていることになるわけである。
スペイン人の征服者が新大陸からスペインに持ち帰り、17世紀にはヨーロッパにも伝わるようになったチョコレートだが、もともとはカカオ豆にメキシコ産の唐辛子の実やアニスの実、砂糖などを加えた薬でありまた飲み物だった。レイ・タナヒル『美食のギャラリー』(八坂書房)によれば、スペイン人はカカオ豆に砂糖か蜂蜜だけを加える(場合によってはそこにヴァニラかシナモンも加える)というようにチョコレートの作り方を簡略化したという。現代のチョコレートの基本的な味はこのときに決定されたと考えてよいが、固形のチョコレートが登場するのは19世紀まで待たねばならない。ともあれ、今は薬効という側面はあまりクローズアップされないが、コーヒーなどと共に味わうことでリラックスできたり、落ち着いた時間を過ごせたりということはあるだろう。そして、チョコレートもオーケストラの演奏と同様、冬に恋しくなることが多そうではないか。
寺田寅彦は「コーヒー哲学序説」の中で、家で努力して淹れるよりも、「人造でもマーブルか、乳色ガラスのテーブルの上に銀器が光っていて、一輪のカーネーションでもにおっていて」というような調度の整った店で飲む方が、コーヒーらしい味がすると述べている。「コーヒーの味はコーヒーによって呼び出される幻想曲の味であって、それを呼び出すためにはやはり適当な伴奏もしくは前奏が必要であるらしい」とは、音楽好きの寅彦ならではだが、「メロディー」に表されたチョコレートの楽器が美しく響くように、コーヒーが伴奏にまわる夜があってもいいだろう。お気に入りのレコードでもかけたら完璧だ。
※掲載情報は 2016/12/03 時点のものとなります。
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キュレーター情報
BEAMSクリエイティブディレクター
青野賢一
セレクトショップBEAMSの社長直轄部署「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターも務める。執筆、編集、選曲、展示やイベントの企画運営、大学講師など、個人のソフト力を主にクライアントワークに活かし、ファッション、音楽、アート、文学をつなぐ活動を行っている。『ミセス』(文化出版局)、『OCEANS』(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)、『IN THE CITY』(サンクチュアリ出版)、ウェブマガジン『TV & smile』、『Sound & Recording Magazine』ウェブなどでコラムやエッセイを連載中。