温泉食事考

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丁寧な仕事が光る、広島の焼海苔

寒くなってきた。寒くなると暖かさが恋しくなる。さしずめ、温泉などはこれからの季節にぴったりであろう。都内にも温泉を掲げるところはいくつかあるが、ここはやはり箱根や湯河原あたりまでは足を伸ばしたい。古風な温泉宿でのんびりと湯に浸かり、地のものに舌鼓を打つ。こうして文字にするだけで、すぐにでも出かけたい衝動にかられる。嗚呼、温泉。

 

温泉といって思い出されるのは、フェデリコ・フェリーニの『8 1/2』だ。マルチェロ・マストロヤンニ扮する映画監督のグイドが肝臓の治療のために滞在しているのが温泉地。医師から「鉱泉水300mlを15分ごとに3回に分けて飲む」と説明され、飲泉場へ赴くと、誰も彼もジョッキに入れた温泉由来のミネラルウォーターを飲んでいる。多くは年配の人だ。日本温泉協会のホームページに、ヨーロッパにおける飲泉の説明があるので手短に引いてみると、「ヨーロッパ諸国の温泉地では、温泉医の処方によって飲泉が行われているのが通常です。飲泉所の新鮮な温泉を温泉医に処方された量だけ飲泉するのです。飲泉をするための容器は『飲泉カップ』と呼ばれ、これに温泉を汲んでクアパークと呼ばれる保養公園をゆっくり散歩しながら、少しずつ温泉を飲んでいきます」とある。日本でも一部で飲泉は行われているそうだが、湯治というと疾患に対して効用のある湯に浸かるといったイメージが一般的だろう。ちなみに、先に引いた箇所に出てくる「クアパーク」は、日本では医療施設的な要素を排し、複数の温泉や浴槽、サウナ、休憩所、飲食エリアなどを擁する健康ランドのようなレジャー施設として、「クアハウス(Kurhaus)」と称されるものへと翻案されているケースも少なくない(もともとは入浴と運動、リラクゼーションを複合的に行う健康増進施設を「クアハウス」と呼ぶ)。

 

確かに、湯船に浸かる習慣の有無で、温泉、湯治に対する態度が変わってくるのは頷ける話である。ヨーロッパでは浸かるかもしれないがどちらかというと飲泉が主、日本では温泉に浸かるのが主、ということである。そのためか、日本の温泉地は湯治目的でない人たちにも広く門戸が開放され、その結果、湯治とは無関係な人たちのための観光地としての側面を強くするようになった。この傾向は第二次世界大戦後、鉄道や道路など交通網の発達と相携えるかたちで顕著となり、1985年頃のいわゆる「温泉ブーム」で、温泉は立派な旅の目的という地位を確立するに至ったのである。


旅行の目的としての温泉を考えたとき、泉質はもちろんだが、それ以外の要素が利用者にとってどれだけ魅力的かが重要になってくる。宿の佇まい、設備の充実度合い、料理などは、どの温泉に行こうか、どこに宿泊しようかということを決定する上で欠かせない検討材料である。逆にいえば、温泉側は泉質や立地は変えようがないので、その他の要素を更新することでしか差別化が図れないともいえるだろう。その中でも料理は土地土地の個性、ひいてはその温泉宿の個性を表現するのにうってつけであり、温泉の効能よりはそちらを重んじて行き先を決めるという向きも少なくないのではなかろうか。

 

温泉といえば、もうひとつ思い当たる作品があった。小津安二郎の『お茶漬の味』だ。物語の序盤、女4人(木暮実千代、淡島千景、津島恵子、上原葉子)で温泉に遊びに行くくだりがある。行った先は修善寺温泉。宿泊は1872年(明治5年)創業の老舗「新井旅館」だ。新井旅館は横山大観、初代中村吉右衛門、岡本綺堂、芥川龍之介、島崎藤村、高浜虚子といった人々の寵愛を受けた日本旅館。文化財登録されている棟を数多く有しており、『お茶漬の味』で4人が宿泊するのは、その中のひとつで泉鏡花の小説にも登場する数寄屋造の「桐の棟」である(作中ではそれをセットで再現し、外観は実際の新井旅館を撮影している)。池の上に突き出すかたちで建つ桐の棟で、浴衣に身を包んだ女4人、低い食卓を囲んでの夕食シーンは実に賑やか。お銚子も追加で頼む。このシーンは小津安二郎特有の低いアングルから撮影されているので、食卓の様子を俯瞰で見ることはできないが、それでも各人の前に御膳が置かれ、その上に小鉢やらなんやらが並んでいるのはわかる。温泉旅館の夕食と聞いて多くの人がイメージするようなものだ。現在の新井旅館のホームページには料理の献立も掲載されており、こちらは会席コースで、映画の中のものと比べるとぐっと豪華な印象だが、ひょっとすると劇中はコースの出だしなのかもしれない(湯上がりと思しく、タオルをかけるシーンが直前にあるので)。

 

翌朝のシークェンスは、食卓にお茶とお茶菓子があるところから始まる。おそらく朝食後の光景だろうが、すっかり片付けられていて朝食の痕跡はすでにない。しかし、少し想像をたくましくすれば、温泉旅館の朝食は容易に特定できそうである。温泉宿の朝食は概してシンプルだ。ごはんと味噌汁。それからアジの干物に代表される魚。生卵、場合によっては納豆。それにお新香。そして焼海苔もしくは味付け海苔が添えられている。夕食はその土地ならではの食材を用いた、その土地に特有の料理が出されることが多いが、朝食についていえばどこもさして大きな違いはないのではないだろうか(あくまでイメージだが)。これは別段がっかりするようなことではない。むしろ朝食は質素な方が好ましく思える。夜の食事の充実ぶりと朝の食事の淡白さはそれぞれが互いを引き立てあうかのように対になって存在しているからである。もっといえばシンプル極まりない朝食を美味しくいただくために、豪華な夕食があるとさえ思えてくるのだ。こう書くといささか倒錯した印象を与えるかもしれないが、そうしたことも温泉への旅で味わうちょっとした贅沢といえはしないだろうか。

 

一般的と思われる温泉旅館の朝食の献立は先に記した通りだが、ここで紹介すべきは海苔だろう。作られたものがポンとそのまま食卓に出される海苔は、さりげなさすぎて見過ごされがちだが、クオリティの差が如実に現れる品である。安かろう悪かろうとまではいわないけれど、素材や製法を吟味して丁寧に作られた海苔には格別の味わいがある。思えば、海苔、特に焼海苔は日本においては様々な局面で使われながらも、実に控えめで奥ゆかしい。ところが、温泉宿の朝食のような極めてシンプルな献立の中に、海苔単体で登場するとがぜん個性を発揮するのである。先ほど、朝食を満喫するために夕食が存在すると書いたが、もっといえばどの料理の添え物でもない海苔の旨味をまっすぐに味わうために夕食があるような気さえしてくる。

 

「三國屋」は、昭和初期の広島にて創業し、現在も本店を広島に構える海苔専門店。当初は広島湾で採れた海苔を原料としていたが、戦後、広島の海苔漁場が埋め立てられ、以後は有明海、徳島、愛知三河湾、千葉などの良質な海苔をその地に赴いて仕入れ、加工販売している。焼寿司海苔、もみのり、きざみなどいくつかのバリエーションの中から、今回は「焼海苔 旭 卓上」と「うまだし 卓上」を買い求めた。それぞれ八切りの海苔が60枚ずつ入ったものだ。

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焼海苔は「それぞれの海苔質に合わせて職人が香ばしく焼き、焼きたての香りを閉じ込めるよう、すぐに袋詰め」する(「三國屋」ホームページより)。産地から買い付けてきた乾海苔は、風味が衰えないようにマイナス20度の冷凍庫で保管されるのだそうだ。そのまま口に一枚放り込むと、雪が解けるようにふわーっとほぐれて味と香りが広がる。「うまだし」の方は、広島の牡蠣の煮汁、瀬戸内海の煮干し、干し海老などを煮込んだ秘伝のだし=うまだしに、有明海産の海苔を漬け込んだもの。化学調味料は一切使っていない。味付け海苔は妙に甘ったるさがあるものも多いと思うが、この「うまだし」にはそれがなく、だしの旨みが海苔の香りと絶妙に混ざり合うのがいい。温泉宿の朝食に出てきたら、これだけでごはんが進んでしまうと思う。近年、味の付いた海苔といえば韓国海苔がもてはやされている印象があるけれど、こうした上質な素材を使った日本の海苔はもっと見直されてもいいのではないだろうか。

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と、ここまで温泉温泉と繰り返してきたが、私自身はとんとご無沙汰である。『お茶漬の味』の4人は、思い立ったが吉日とばかりに出かけ、いきおい延泊までしてしまう。こうした行動力と時間的(と金銭的)余裕を羨ましく眺めながら、この冬こそは温泉へ赴こうと思っている。もちろん、朝の焼海苔を堪能するためである。嗚呼、温泉!

※掲載情報は 2016/10/31 時点のものとなります。

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青野賢一

BEAMSクリエイティブディレクター

青野賢一

セレクトショップBEAMSの社長直轄部署「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターも務める。執筆、編集、選曲、展示やイベントの企画運営、大学講師など、個人のソフト力を主にクライアントワークに活かし、ファッション、音楽、アート、文学をつなぐ活動を行っている。『ミセス』(文化出版局)、『OCEANS』(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)、『IN THE CITY』(サンクチュアリ出版)、ウェブマガジン『TV & smile』、『Sound & Recording Magazine』ウェブなどでコラムやエッセイを連載中。

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