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300年間で唯一生き残った「さるや」とは
「江戸を伝える」第三弾は1704年創業の「さるや」さんをご紹介します。そうです、当店は江戸の昔から猿を中心に、その他猿の餌、その他飼育道具を……。
というわけではございません。300年以上続く楊枝専門店でございます。
江戸時代の楊枝屋の屋号は「さるや」という暗黙の決まりがあったそうです。なんと1815年当時には楊枝屋(さるや)は249軒存在し、今回ご紹介する「さるや」さんはその中で唯一生き残った楊枝屋ということです。
なぜ当時の楊枝屋が「さるや」という屋号を使っていたのかは諸説あります。まず元禄時代の「人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)」という職業図鑑に「猿は歯が白きゆえに楊枝の看板たり」という記述があり、それを元にした説。また柳亭主彦の「柳亭雑記」には「大通りで子ザルを背にして、楊枝を削りながら売っていた」という記述があるからという説などあります。
まずは楊枝のお勉強です。楊枝はいつから使われていたかです。なんと10万年前のネアンデルタール人の歯の化石から楊枝でこすった痕が発見されており、楊枝を使っていた証拠だとされているそうです。
その後紀元前500年ごろになると、お釈迦様が弟子に「歯木」(しぼく)」で歯を清潔にすることを教えています。「歯木」とは木の枝の一端を噛んでブラシ状にしたもので、現在でもインドやアフリカなどで使われています。つまり楊枝は今でいう歯ブラシの役割を果たしていたそうです。
さて本題です。
そんな「さるや」さんの商品の中で今回ご紹介するのは、「さるや」さんの看板商品「千両箱」でございます。
材料は黒文字100%。黒文字とはクスノキ科の落葉灌木で高さは2m前後です。もともとは漢方薬に用いられ、噛むと木の皮に香気が広がり、邪気を払うといわれていました。
まずは一本取り出してシーシーシー。そのしなやかさに驚きます。すごい弾力です。そしてとても細いので、歯の間にするする入っていきます。そしてしばらく口の中に入れていると、ほのかに柑橘系の香がするような気がします。なるほどこの香りが昔の歯磨き粉の役割果たし、口臭予防にもなっていたものと思われます。
次はこれで甘いものを食べてみました。
上記の写真は東京・日本橋の老舗店舗の味が一つの餅になった一品。にんべんの鰹節でとっただしを使用した程よい甘さのみたらしだれを、餅米からついた榮太樓の餅で包み、山本海苔店の有明産海苔で包んだ榮太樓の商品。
パクパク……なるほど!!ほんの少しですが、みたらしだれの甘さの奥に黒文字のさわやかな柑橘系の香りを感じます。
次も榮太樓の看板商品「名代金鍔(きんつば)」。
パクパクパク……。
おぉ!二つ目のほうが、より香りが立つ気がします。黒文字は水に触れると香気を放つ性質を持つらしく、まず黒文字を水に浸すとさらに和菓子がおいしく感じられるそうです。
楊枝で何かを食べる際、普通に食べると楊枝が唾液で湿る可能性は少ないです。意図的に舐めるか、あらかじめ黒文字をお茶などで浸してから和菓子を食べたほうが、より黒文字の柑橘系の香りを感じることができると思います。
おしゃれな手土産に「千両箱」おススメです。
※掲載情報は 2015/12/13 時点のものとなります。
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キュレーター情報
山本海苔店 専務取締役 営業本部長
山本貴大
1983年生まれ。2005年慶應義塾大学法学部卒業後、東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)入社、法人営業などを経験。2008年山本海苔店入社、仕入部で海苔全般の勉強を行い、その後山本海苔店100%子会社丸梅商貿(上海)に勤務。丸梅商貿勤務中に、おむすび屋「Omusubi Maruume」を立ち上げる。その後シンガポール髙島屋、台北三越店の立ち上げなどに関わる。現在は専務取締役営業本部長として山本海苔店の営業全般を担当しながら、「おいしい海苔」の普及活動に努めている。
山本海苔店は1849年に日本橋で創業。2代目は世界で初めて味附海苔を発明、3代目は海苔を形を現在の19cm×21cmに統一するなど海苔業界のパイオニア的存在。現在は海苔を「何かを巻くもの、包むもの、かけるもの」と言った副食から抜け出させるべく、「おつまみ海苔」などに代表される「海苔菓子」の販売に力を入れている。