明治時代の北海道で生まれた「月寒あんぱん」

明治時代の北海道で生まれた「月寒あんぱん」

記事詳細


紹介している商品


いつものあんぱんとはちょっと違う月餅に似たお菓子

明治時代の北海道で生まれた「月寒あんぱん」

札幌方面では昔から有名な定番おやつの一つらしいのですが、私が「月寒あんぱん」を知ったのは5年ほど前。「またまた出ました“ご当地あんぱん”か」と思ったら、明治時代からある伝統の一品と聞いてびっくり。食べてみると、これまたあんぱんのイメージをひっくり返してくれるのがまた面白い。見た目は絵柄のない月餅のようですが、食べた感じもそれに近い。サンリツの「かにぱん」というお菓子がありますが、薄くてドライな皮の食感はあれを思い出させる。その中のあんはしっとりしていてほろりと砕ける感じの、まさに月餅のあん。ぱくっと食いついて、ぴりりとちぎれる感じは懐かしい駄菓子(と言うとメーカーに叱られると思いますが、このフレンドリーな言葉が私は大好きです)のイメージで、その中に高級で品のよいあんが包まれている。このギャップが印象的です。

木村屋のあんぱんに憧れて生まれた明治のスイーツ

月寒は札幌の東南にある地域で、昔、屯田兵を母体に編成した歩兵第25連隊がある街として開けたところ。その兵隊さん向けにお菓子を売っていた大沼甚三郎という人が、東京で「あんぱん」というものが出来たという噂を聞いた。今の木村屋總本店を創業した木村安兵衛のあんぱんです。それで大沼さんが、なんとかそれを作ってみたいと想像力も働かせて試行錯誤を重ねた結果出来たのが、この「月寒あんぱん」。木村屋のあんぱんが発酵に酒母を使ったのに対して、大沼さんはクイックブレッド(パンケーキや蒸しパンのように重曹で膨らませるパン)で挑戦したようです。その作り方を教わって、かつては7軒の店が「月寒あんぱん」を売っていたそうですが、戦争が終わって連隊もなくなると作る人もいなくなってしまった。しかしせっかくの名物だからと、1947年に製造を再開したのがこのほんまという会社。味にも歴史にも深みを感じます。

※掲載情報は 2015/04/15 時点のものとなります。

  • 10
ブックマーク
-
ブックマーク
-
この記事が気に入ったらチェック!
明治時代の北海道で生まれた「月寒あんぱん」
ippin情報をお届けします!
Twitterをフォローする
Instagramをフォローする
Instagram
Instagram

キュレーター情報

齋藤訓之

FoodWatchJapan 編集長

齋藤訓之

北海道函館市生まれ。1988年中央大学文学部卒業。レストランビジネスを志していたはずが、レストランビジネスに役立つ本を作る仕事にのめり込む。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、日経BPコンサルティングのブランド評価プロジェクト「ブランド・ジャパン」プロジェクト責任者、農業技術通信社「農業経営者」副編集長等を経て、フリーランスのライター・編集者として独立。2010年10月株式会社香雪社を設立し、農業・食品・外食にたずさわるプロ向けの情報サイト「Food Watch Japan」をスタート。著書に「入門 日本の七十二侯と旬の食」(洋泉社)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、「創発する営業」(共著、丸善出版)、「創発するマーケティング」(共著、日経BPコンサルティング)など。

次へ

前へ