【クローズアップ】日本が誇るバリスタの第一人者 横山千尋

【クローズアップ】日本が誇るバリスタの第一人者 横山千尋

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(株)フォルトーナ 専務取締役/IIAC認定カフェ学 マスタープロフェッショナル 横山千尋さん

日本におけるバリスタの草分けとして、世界の舞台でも数々の実績を持つ横山千尋さん。食の道を志し、最初はフランス料理を学びます。その後、活躍の場はフレンチから一転、イタリアンジェラートへ。世界大会で3年連続の金賞受賞を果たした後に、イタリアのバールで本格的なバリスタの修行を始めます。すぐにバリスタとしても頭角を現し、バリスタの世界大会では日本人で初めての入賞。その名が世界のバリスタたちの知るところとなった現在も、六本木のバール『デル・ソーレ』のカウンターに立つ横山さんに、バリスタという仕事について、今後取り組んで行きたい「食」への想いについて話を伺いました。

一杯のエスプレッソに40通りのいれ方を知るマエストロ

【クローズアップ】日本が誇るバリスタの第一人者 横山千尋

Q:まずは「バリスタ」とは、どのような人なのかを教えてください。

横山さん:多くの人が、バリスタと言えばコーヒー(エスプレッソ)をいれたり、ラテ・アートを描いたりする姿を思い浮かべるのではないでしょうか。でも、それだけではないんですよ。イタリア語を直訳すると「バールで働く人」のこと。エスプレッソをいれるのは仕事のごく一部でしかありません。カウンターに立って、目の前のお客さんの要望に応えながら接客全体をもコントロールし、コーヒーだけではなくアルコールについての知識や技術も備えていることが求められます。つまり、バリスタとは「バールのカウンターを支配する人」のことなのです。ちなみに、優秀なバリスタはエスプレッソの注文を受けた際、その人の好みに合わせた一杯を提供するために、約11通りの方法が頭に浮かびます。さらにマエストロともなれば、その数は30〜40通りとなります。自分が美味しいと思うこだわりの一杯を出すのではなくて、お客さんの好みや体調を見極め、今のその人に最適なものを出す。それが本物のバリスタです。

Q:横山さんは2013年に国際カフェテイスティング協会からマエストロの称号を与えられていますが、バリスタになった経緯を教えていただけますか?

横山さん:私が料理の世界へ足を踏み入れたのは21歳の頃。調理専門学校への入学と同時にフレンチの店に就職し、働きながら学びました。人より3年遅かったので、その遅れを取り戻そうとある目標を立てました。それは「半年でオーブン前に立つ」ということ。通常はオーブン前を任されるようになるまで、5〜10年かかると言われています。その目標が実現した頃、今度は本場フランスのビストロで修行をさせてもらうチャンスがやってきました。私はその時も 「半年でオーブン前に立つ」を目標に励んだ結果、それを叶えることができました。ところが、知識や技術は取得できても、それに釣り合うだけの経験がないと痛感することになります。その後、フランスから日本へ帰る途中にイタリアへ立ち寄ったのがきっかけで、いつかイタリア料理をやりたいと考えるようになりました。

日本に戻って間もなく、当時勤めていた会社でイタリアンジェラートのお店を開くことになりました。誰かがイタリアで修行することになり、フレンチの料理人をしていた私に声がかかりました。その時はまだ自分から「行きたい」とは言えない立場だったので、願ってもいないことでしたね。そして1985年、日本初のイタリア・ジェラート協会の認定店を神戸にオープンさせました。東京では池袋西武に出店し、1日3,000〜4,000食を売り上げるほどの人気店となりました。ジェラートの世界大会「エキシポ・イン・ミラノ」において3年連続で金賞を受賞したのもこの頃です。それから約10年の間に、飲料メーカーやコンビニエンスストアの商品開発に携わる機会もありました。新しいことへのチャレンジ精神は常にあって、その業界ならではのノウハウが学べることも魅力でした。

その後、1994年に再びイタリアへ渡ります。今度はバリスタの修行をするためです。その頃、自分が本当にやりたいことは何かを考えるようになっていました。料理が作れる、ジェラートなどドルチェも作れる。あとはコーヒーやアルコール関係を勉強したいなと考えていた時に、日本で新しい「バール」を展開しようとしている方から声をかけていただいたのがきっかけですね。エスプレッソのエの字も知らないような状態でしたが、気負いはありませんでしたね。いくつかのバールを視察した後に、ある店でバリスタのサポートとしてカウンターに入れてもらいました。

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Q:全くの未経験な世界で、困ったことはありませんでしたか?

横山さん:はい、ありませんでしたね(笑)。幸運にも私は耳と勘の良いところがあって、イタリア人のお客さんがどういうニュアンスのことを話しているのか、だいたい理解することができたんです。バリスタになってから今日までを振り返っても、つらい、苦しいと思ったことは一度もありません。今もそうですが、私にとってバリスタという仕事の醍醐味は、お客さんとの勝負なんです。店を出る時に何も言われなければ負け、「美味しかった」なら引き分け、「楽しかった」と言われたら私の勝ち。バリスタは、いかにお客さんを楽しませられるかが大切だと考えています。

日の丸を背負い、日本人初のバリスタ世界大会へ

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Q:横山さんは日本人として初めて、バリスタの国際大会に出場された経験をお持ちですが、その時のエピソードを教えてください。

横山さん:2002年に初めて世界バリスタチャンピオンシップに出場しました。40歳頃のことです。日本のチャンピオンとして、開催地であるノルウェーのオスロへ単身で乗り込みました。事前に勝手を教えてくれるような経験者もおらず、大会の運営も今ほど整っていなかったので、いろんなことがありましたよ(笑)。

大会の出場者は食器や道具なども全て自分で持ち込みます。1人だった私は荷物がとても多くなり、空港ではオーバーチャージで足止めになってしまいました。最終的には全ての荷物を機内に持ち込むということで、なんとか許可を得ましたが、今度は真空パックに入れていたコーヒー豆が膨らんで割れてしまったんです。大会では事前に練習がありますので、練習の時はスポンサーの豆を使い、本番では無事だったわずかな豆とスポンサーの豆をブレンドすることで乗り切りました。エスプレッソの抽出に欠かせない道具のタンパーも、自分で持ち込むルールでした。いつもは機械に備え付けのものを使っていたし、日本でタンパーは流通していなかったので、それに近いプラスチック製の物を持って行ったところ、練習の時に折れてしまうというハプニングもありましたね。

一番印象深い出来事は、私が練習していた時のこと。イタリアのチャンピオンとして出場していたルイジ・ルピに声をかけられたんです。当時からすでに「世界のルイジ」と呼ばれていた彼は注目の的。その彼がエスプレッソをいれる私の姿を見て「いつもそうしているのか? イタリア人かと思った。君はすごい」と褒めてくれたんです。周囲も当然「あの東洋人は何者だ?」、「ルイジが彼を褒めている!」と沸き立ち始め、気分を良くした私はそこで得意のラテ・アートを披露しました。当時はまだラテ・アートができる人は少なかったので、出場者や関係者たちがこぞって写真を撮り、中にはビデオを回す人までいて、一躍人気者になってしまいました。でも何より嬉しかったのは、本番での出来事です。たった1人で参加していた私を応援してくれる人はいないはずでした。ところが、イタリアのチームがイタリアの国旗を振りながら一番前で応援してくれたんです。あれには感激しました。今でもルイジとは付き合いがあって、彼の店に修行にも行きましたし、彼の弟子が私の店で修行したこともあります。

ジャンルは変わっても、想いはいつも変わらない。

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Q:現在の日本のコーヒー文化について、どう思われていますか?

横山さん:コーヒーが嗜好品だった頃は、純喫茶のマスターが常連客にコーヒーを出すのが主流で、そこには日本人特有の手作り感のようなものがあったと思います。今はアメリカのコーヒー文化が入ってくることで、街角には数々のコーヒースタンドが出現し、人気を博しています。でも、そのようなシステマチックにいれられたコーヒーがスタンダードになってしまうことには残念な気持ちがあります。もちろん、コーヒーがより身近になったという意味では、コーヒーが嗜好品から必需品として定着したという実感はありますね。

Q:横山さんの中で理想としているお店はありますか?

横山さん:やはり理想はイタリアの街中にあるようなバールでしょうか。カウンターにはバリスタがいて、いろんな方法でいれるエスプレッソの注文に応じている。イタリアではよくある風景ですが、やはり日本ではまだまだですね。バリスタはカフェでコーヒーをいれる人だと思われていますし、残念ながらバリスタを名乗っている人の中にも、接客よりコーヒー豆についての知識を重視している人がいますから。

Q:これから取り組んで行きたいことがあれば教えてください。

横山さん:今、新潟で「公民館バール」を作ろうというプロジェクトを進めています。観光客を集めるためではなく、地元の人たちのため、地域の活性化のための取り組みです。新潟は日本のイタリアン発祥の地でもあるので、イタリアンをベースにしつつ、まずは若い人たちが郷土料理など地元の食文化に触れるきっかけを提供したいと考えています。また、新潟には「越後姫」というイチゴがあります。全国流通させるのが難しい品種なのですが、これをジェラートなどの加工品にすれば、もっとたくさんの人に楽しんでもらえるでしょう。公民館的な要素としては、方言講座やスタッフによるイタリア語講座も開催したいですね。若い人が最初は1人で行きつけの店として使ってくれるようになって、やがて二人連れになって、結婚して子どもを連れて来るようになって、ゆくゆくはその子どもがまた通ってくれてという具合に、地域の人たちといっしょに歴史を刻んでいくような店を思い描いています。

今までずっと「食」に携わってきましたが、ジャンルは変わっても常に思いは同じ。ひとつの食べ物に対して、なぜそれがそこで食べられるようになったのか、どうしてこのような形になったのかという背景や歴史を知ることが好きなんです。それは、その土地の人たちの生活を知ることにつながります。そしてやはり、人が好きなんですね。これは接客の基本であり、バリスタになりたいと思っている人には欠かせない要素だと思います。

【クローズアップ】日本が誇るバリスタの第一人者 横山千尋

【プロフィール】

日本におけるイタリアン・カフェ抽出の技術者(バリスタ)及びジェラート職人の草分けであり権威。1983年大阪あべの辻調理師専門学校卒業。フランスはリヨンのビストロでフレンチの修行、イタリアのミラノでジェラートの修行経験を持つ。1985〜1987年に3年連続でエキシポ・イン・ミラノ(アイスクリーム世界大会)で3年連続金賞を受賞。イタリアンジェラート協会が日本で最初に認定したジェラートショップ 『ネーべ ・ デラ ・ ルーナ』で一世を風靡。その後再びミラノへ渡り、バールでの本格的なバリスタ修行を経て、2002年に第1回ジャパン・バリスタ・チャンピオンシップで優勝。日本人として初めてWBC世界大会への出場を果たす。2004年3月にはジャパン・バリスタ・チャンピオンシップで自身2度目の優勝を果たし、同年6月のWBC世界大会で10位入賞。同年10月にはラテアート世界競技会に出場し、2位入賞という快挙を遂げる。それらの活動と同時進行で、2001年6月に(株)フォルトゥーナを設立し、バールをはじめとする『デル・ソーレ』ブランドの店舗を展開。現場指導・セミナー・講習会・講演会・メニューアドバイス・商品開発など精力的に活動している。

※掲載情報は 2015/04/06 時点のものとなります。

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