夏とポン酢と酢豆腐と

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手搾りの柚子と出汁が香るポン酢醤油

内田百閒の『御馳走帖』(中公文庫)をパラパラと読んでいたら「す」という話があった。「『す』と平仮名で一字だけ書いた看板が、店屋の軒の下にひらひらしてゐたのを思い出す」と始まる。「す」は「酢」のことである。百閒の出身地である岡山では、こうした酢専業の店があったのだそうだ。1889年(明治22年)生まれの百閒が上京してきたのは東京帝国大学文科大学に入学する1910年(明治43年)のことだから、少なくとも明治中期から終盤頃までの岡山には、「す」の看板が見られたのだろう。

 

もう少し読み進めると、こうある。「どうも東京の人は酢の味には無関心の様である」。なるほど、そうだったのか。と、自分の子どもの頃を思い返してみれば、確かに色々な種類のお酢が家にあった記憶はない。一般的なお酢と、ちらし寿司を作るときに使う寿司酢の二種類程度しかなかったのではあるまいか。我が家がスタンダードだとはいわないが、特別だとも思えないし、そもそもスーパーなどで売られているお酢の種類はそれほど多くなかったような印象がある。そう考えると、百閒の説には首肯せざるを得ない。ちなみに百閒曰く「東京では、小魚の酢の物など、どこで食べても胸くその悪くなる様な甘酢の味で、つまり甘味を強くして酢の味を消すのが調理の目標である様に思はれる」。こちらはそういうものだと思っているから気にならないが、外からやってきた人にとっては、まったく受け入れられないといったことがままあるのは想像がつく。実際、百閒は東京の味になかなか馴染めず、食事に困ったそうである。

 

かつてフランスでは家庭やレストランごとに自家製の酢を作っていたということを前回書いたが(https://ippin.gnavi.co.jp/article-13301/)、日本でもこれと事情はさして変わらない。百閒の生家は酒屋で、分家が酢屋だったそうだ。分家には「幾つも酢倉があって、酢を醸造した。表から店に這入ると、酢のにほひがした」という。このように自家製あるいは家内制手工業の醸造酢があった一方で、百閒の子ども時代には「すでに化学的に造つた酢が出来始めて、それを機械酢と呼んだ」。機械酢とはギョッとする表現だが、先に記した通りこれは明治時代中盤から後半にかけての岡山での話。百閒の分家では、江戸時代の製法に基づいた酢製造を行っていたようであり、明治政府による近代化推進が彼の地ではまだ完全には及んでいなかったということだろう。東京からの距離を考えれば、さもありなんである。

 

そんなことを考えながら、改めて最寄りのスーパーのお酢コーナーを眺めてみると、昔とは比べものにならないくらいの種類が並んでいる。この状況を百閒が見たら、もう「東京の人は酢の味には無関心」などとはいわないだろう。お酢のバリエーションの豊富さに加え、同じコーナーに陳列されているポン酢の種類が多いのにも驚いた。ポン酢というと鍋ものに使うものというイメージがあったが、今では幅広い用途が提案されていて、夏場でも売り場には相当数置かれているのである。なるほど、と感心していたら、後日、思いがけずポン酢を入手する機会を得た。映画評論の連載を持たせてもらっている雑誌『CREA』の打ち合わせで文藝春秋にお邪魔した際、編集担当の方からいただいたのだ。頂戴したのは、「木頭柚子醤油」。徳島県那賀郡那賀町旧木頭村の「きとうむら」が製造販売しているもので、ラベルには「手しぼり柚子 ぽんずしょうゆ」と書き添えてある。

夏とポン酢と酢豆腐と

先ほどから、というよりその存在を知ってからずっと、何の疑問も抱かずに呼び習わしている「ポン酢」であるが、そもそもポン酢とは何か。私はポン酢について全くと言っていいほど無知であった。そこで早速ネット検索してみると、語源はオランダ語の”Pons”なのだそうだ。wikipediaによれば、「これは蒸留酒に柑橘系の果汁や砂糖、スパイスを混ぜたカクテルの一種『ポンチ・パンチ』のこと」で、やがて「柑橘系果実の絞り汁を指すように」なった。出自に即して言えば、お酢は関係がないのである。それがどうしたわけだか「酢」の字があてられるようになった。柑橘系の酸味を「酢」と称したのだろうか。私は完全にお酢が入っているものとばかり思っていた。

 

いただいた「木頭柚子醤油」の原材料を見てみると、本醸造のしょうゆ、柚子果汁、かつお節、さば節、みりん、砂糖(粗製糖)、塩、清酒(純米酒)とある。しょうゆは、金沢の「ヤマト醬油味噌」の「ひしほ」という生醤油で、国産の大豆(遺伝子組み換えでない)と小麦を使ったもの。柚子果汁は旧木頭村の無農薬栽培の柚子を手搾りで。塩はモンゴル産だそうだが、それ以外の原材料は国内から調達している。やはりお酢は使っていなかった。

夏とポン酢と酢豆腐と

さて、せっかくの頂き物なので早速使ってみようと思ったが、暑い盛りということで鍋ものはまず候補から除外することにして、しばし考えた結果、冷奴に使うことにした。なるべくシンプルにいただくのがよさそうだが、豆腐とこの柚子醤油だけでは見た目に寂しい。そこで、ちりめんじゃこを載せて柚子醤油をかけ、食すことにした。柚子醤油の蓋を開けると、柚子の爽やかな香りと、本かつお節とさば節から取った出汁の香りが絶妙に混ざり合って立ち上ってくる。量産品にありがちな、強調された香りとは次元が違うのだ。こっくりとした色と風合いであるが、さっぱりとした味わいで、そのうえ出汁の余韻がまた絶妙。豆腐一丁、あっという間に平らげてしまった。

夏とポン酢と酢豆腐と

このように木頭柚子醤油を美味しくいただいたわけだが、夏、お酢(ポン酢はお酢ではないが)、豆腐で思い出されるのは、落語の「酢豆腐」である。「酢豆腐」はいわゆる江戸落語で、原話は1754年(宝暦3年)の噺本『軽口太平楽』の中の小咄だそうだ。

 

夏。若い衆が集まっている。暑気払いだ。酒はあり、湯飲みを用意して、表には打ち水と、飲む準備が整った。しかし何かが足りない。酒の肴である。みんな懐具合が寂しいので、刺身なんぞは買えない。そこで知恵を出し合って策を練る。安上がりで、みんなが食べるに足りるだけの数があって、見場がよくて、腹にたまらない、それでいて(夏場なので)衛生的。そんな乙な酒の肴はないものか。やいのやいのとアイディアを出すがどれもパッとしない。すると若い衆のひとりが、糠味噌桶の中には大体古漬けの一本や二本があるだろうから、それを刻んで水にさらし、薬味と和えたらどうだい、と提案する。一同、賛成するも、手が糠味噌臭くなるからといって誰も古漬けを取り出したがらない。たまたま通りかかった仲間を呼び込み、糠味噌桶に手を突っ込ませようと目論むも、あえなく失敗。が、転んでもタダでは起きないとはこのことで、古漬けを取り出さないなら肴代を置いていけ、と若い衆たちは銭をせしめ、これで臭い思いをしなくてもつまみが買えることとなった。そんな折、ひとりがふと思い出した。昨日、冷奴で一杯飲ったから豆腐が一丁残っているはずだ。家の細々としたことをやらせている与太郎に昨日の豆腐をどこへやったか尋ねると、ねずみが齧っちゃいけないと思って、釜の中に入れてしっかり蓋をしておきました、とのたまう。出してくると案の定豆腐は腐って一面にカビ。すっぱい臭いを発している。あーあ、そんなになったら食えないから向こうにうっちゃっておいてくれ、と言ったところに、横町の若旦那がこちらに向かって通りを歩いてくるではないか。これはいい。いつもちゃらちゃらしていて、通ぶっているのが気に入らない、とみんなが言う若旦那にひと泡吹かせてやろう、ということに相成った。

 

あれこれと若旦那をおだて、上機嫌になった頃合いを見て「いやぁ、実はね若旦那。大変貴重だという食べ物をいただきましてね。ところがあっしらにはどう食べたらいいものかさっぱりわからねぇ。そこで、通な若旦那に召し上がっていただこうと思いましてね」と、例の腐った豆腐を出す。若旦那はそれが腐った豆腐だとわかっているが、もう引っ込みがつかない。「おや! こんな珍しいものがあるなんて!」「さすが若旦那! 食べたことがあるんですかい?」「ま、まぁ……二、三度」「ささっ、じゃあ話が早いや。どうぞどうぞ召し上がってください!」みんなの前だと行儀が悪いから持ち帰っていただくとかなんとか言って、若旦那はどうにか食べないですむように仕向けるが、そうは問屋がおろさない。「ささっ、どうぞどうぞ! 遠慮なんかいらねぇ」意を決してほんの少しだけ食べる若旦那。「若旦那、一体これはなんてぇ食べ物なんですか?」「こ、これは酢豆腐じゃな」「そうですか、酢豆腐ですか。さ、遠慮なさらずもっと、もっと」とけしかけるが、若旦那は「やや、酢豆腐は一口に限る」

 


知ったかぶりの若旦那が痛い目を見るこの「酢豆腐」。笑いの中に何事も半可通はいただけないという教訓があって面白いのだが(三代目古今亭志ん朝演じる「酢豆腐」はYouTubeでも視聴可能だ)、ここでポン酢に話を戻すと、その字面からポン酢にお酢が入っていると思っていたこと、木頭柚子醤油にお酢は入っていなかったことは先に記した。ところが、ミツカンの「味ポン」などには醸造酢が使われていて、「酢」の字がただの当て字だったとはいちがいに言えないようである。つまりポン酢にはお酢が使われているものとそうでないものがある、ということだ。ここまで書かなければ、私も若旦那と同じ半可通。酢豆腐を食わされる前に気づいてよかったと思っていたら、百閒の「東京の人は酢の味には無関心」というフレーズがどこかから聞こえてきた。

※掲載情報は 2018/08/29 時点のものとなります。

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キュレーター情報

青野賢一

BEAMSクリエイティブディレクター

青野賢一

セレクトショップBEAMSの社長直轄部署「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターも務める。執筆、編集、選曲、展示やイベントの企画運営、大学講師など、個人のソフト力を主にクライアントワークに活かし、ファッション、音楽、アート、文学をつなぐ活動を行っている。『ミセス』(文化出版局)、『OCEANS』(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)、『IN THE CITY』(サンクチュアリ出版)、ウェブマガジン『TV & smile』、『Sound & Recording Magazine』ウェブなどでコラムやエッセイを連載中。

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