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東海道・興津宿の「宮様まんぢう」
東海道五拾三次之内(保永堂版)
作品名:興津 興津川
絵師:歌川広重
所蔵:静岡市東海道広重美術館
東海道を歩いていると、旧宿場町のあたりでたくさんの美味しいものに出会います。ど~しても見逃せない現代の名物ともいえる数々。ちょっと寄り道して紹介しましょう。
今回は、東海道五十三次の17番目の宿場、興津(おきつ)宿、潮屋の「宮様まんぢう」です。
あのLIFE誌に取り上げられた旅館と宮様まんぢうのつながり
あの有名な写真週刊誌LIFEに取り上げられ、アメリカで大ベストセラーになったオリバー・スタットラーの「JAPANESE INN」(1961(昭和36)年出版)。400年の歴史を刻んだ興津の別荘旅館、一碧楼水口屋(以下、水口屋)の物語です。この本をきっかけにアメリカでは日本旅行ブームが起こり、多くの外国人観光客がここを訪れました。本の中の「天皇の宿」にはこんなくだりがあります。
エリザベス・テイラーが表紙のLIFE誌(1961年)
資料所蔵:水口屋ギャラリー(フェルケール博物館別館)
右側の芸者さんのページがベストセラー本として紹介された『Japanese inn』。
これをきっかけにアメリカでは日本旅行ブームが起きた。
(※水口屋は昭和60年に廃業。現在はその一角を水口屋ギャラリーとして資料を公開している。)
オリバー・スタットラー著『Japanese inn』(1961年出版)
資料所蔵:水口屋ギャラリー(フェルケール博物館別館)
東海道五拾三次之内(保永堂版)_
作品名:赤坂 旅舎招婦ノ圖
絵師:歌川広重
所蔵:静岡市東海道広重美術館
オリバー・スタットラー(1915-2002:アメリカ人作家)
戦後、米軍文官として来日、水口屋を訪れ、『Japanese inn』(1961年出版):邦訳ニッポン 歴史の宿(1961年出版)を執筆
資料所蔵:水口屋ギャラリー(フェルケール博物館別館)
「東京の有名な店から菓子をとりよせるのが、一番楽でしたのですが、陛下は、そういうものになれておられることが分かっていましたので、何か変わったものを差し上げたかったのです。初めの日には宮様饅頭という興津特産の小さなお菓子を差し上げました。五十年ほど前に、或る宮様が清見寺にお泊りになった時に差し上げたもので、そのために宮様饅頭という名前ができたのです。宮様はこれが大変お気に召し、また幸い、陛下もお気に召されたのです。」
~O.スタットラー著 三浦朱門訳『JAPANESE INN』ニッポン 歴史の宿(1961年出版)より
宮様が愛した歴史ロマンあふれる献上銘菓
この「宮様饅頭」を作ったのが、今回紹介する宮様まんぢう本舗「潮屋」(1897(明治30)年創業)。
語り部は、当時の水口屋主人(望月半十郎氏)。1957(昭和32)年、昭和天皇・皇后両陛下が静岡国体にご出席の折、水口屋に宿泊された時の思い出が書かれています。「或る宮様」というのは、その当時、清見寺に宿泊して興津の海を楽しまれたご幼少の頃の大正天皇だそうです。
1957(昭和32)年 静岡国体に行幸された昭和天皇、香淳皇后両陛下が水口屋にご宿泊。街道で出迎える人々。写真提供:宮様まんぢう本舗 潮屋
歴史の息づく宿場町、要人が集う別荘地だった興津
1300年も前から関が設けられ、その立地が政府にとって重要な場所として位置づけられていた興津(現在の静岡市清水区)。江戸時代には東海道における交通の要地で、風光明媚かつ海の幸が豊かな興津宿はとてもにぎわいました。明治から昭和30年代には、政治家、皇族の保養地として、また高級リゾート地として、多くの各界著名人が興津を訪れていました。特に「坐漁荘」という名の別荘を建て、晩年の20年余を過ごした最後の元老、西園寺公望のもとには「西園寺詣で」と呼ばれるほど多くの要人が訪れ、水口屋にはその面会を待ち続ける客人が後を絶えなかったとか。
宿帳には誰もが知る歴史上の人物や有名人ばかり!
伊東博文、井上馨、岩崎小弥太、福澤桃介、岩倉具視、原敬、吉田茂、富岡鉄斎、夏目漱石、黒田清輝、中村歌右衛門、与謝野晶子、古賀政男、志賀直哉、井上靖、山田五十鈴・・・などなど。
1947(昭和22)年、水口屋に滞在したアメリカ人将校オリバー・スタットラーは、そのもてなしに感激し、「JAPANESE INN」をアメリカで発行。水口屋は外国でも知られるようになりました。
大正天皇が愛した「宮様まんぢう」とは?
昭和32年当時の宮様まんぢう本舗「潮屋」 写真提供:宮様まんぢう本舗 潮屋
現在の宮様まんぢう本舗「潮屋」
その水口屋(現在の水口屋ギャラリー)の数軒となりにある和菓子屋さんが宮様まんぢう本舗「潮屋」(うしおや)。潮屋は明治30年(1897年)創業。100年以上の歴史をもつ老舗です。献上銘菓・宮様まんぢうは創業当時から作っている和菓子だそう。
名前の由来は、明治時代、大正天皇(1879-1926年)が皇太子だった頃までさかのぼります。興津の清見寺にご静養にいらした際に「何かお菓子はないか」とのことでお作りしたおまんじゅうがこれ。当時の皇太子様はまだご幼少だったので、酒の風味をおさえたひと口サイズにして献上したそう。
そのおまんじゅうが大変気にいられて、宮内省(現:宮内庁)からも「宮様まんぢう」の名を使うことを許され、この人気の看板商品が生まれました。
現在は、5代目となる潮屋のご主人(小澤智弘さん)が、明治から平成という長い歴史を通じて、100年以上その名前と変わらぬ味を守り続けています。
あんこのふるさとは「興津」だった!?
なんと興津は「あんこのふるさと」と呼ばれるほど「あん」にこだわりをもった地域だとか?冷蔵技術が乏しくて、生ものの保存が難しい時代、こしあんを作ることは、とても重労働な作業でした。明治時代になり、和菓子が広く大衆にとけ込むようになると「あん」の製造の分離化がおこります。
興津承元寺村(現在の静岡市清水区興津)出身の北川勇作は、あんを作るための機械を発明し製餡業の祖と呼ばれた人。同出身の内藤幾太郎と共に日本の製餡業の基礎を築き上げたそうです。
そんな歴史もあり、今でも興津の和菓子屋さんは本物のあんにこだわりがあるとか。
100年以上、「宮様まんぢう」の変わらぬ味とこだわりを守りぬく
宮様まんぢう。甘さ控えめのひと口サイズなので、10個くらいはペロリといけちゃいます。
宮様まんぢうは、幼い皇太子のお口に合うようにと、通常の酒まんじゅうをもっと小さくして、お酒の香りも控えめにしたもの。
大きさは小さな子どもでも一口で食べられるほどのミニサイズ(直径約2.5cm)!
小まんじゅうよりもっと小さい“ミニ小まんじゅう”と言った感じ。
特徴は、さらりとしたほど良い甘みとその香り。自家製の酒種にこだわり、米糀の甘酒を用いた昔ながらの製法で酒の香りをそのままに再現しています。
皮に独特の風味を持たせた酒まんじゅうは、しっとりとした外皮に北海道産小豆を使った滑らかなこしあんとのハーモニーが絶妙。後味がすっきりとした上品な味わいです。
老若男女問わず、小さな子供からお年寄りまで、食べる人を選ばない和菓子って、意外とありそうでないのかもしれませんね。
おつまみサイズなので、ついつい手が出てしまいます。何個でもいただけそう!
もちろん静岡の銘茶やお酒との相性もバッチリです。
パッケージは、25個入り~最大143個入りまで、全部で7種類。
地元では、特に100個以上入った大きな箱がよく売れるとか。手土産だけでなく、昔から地域のさまざまなお祭や集まりなどでも使われているそうです。賞味期限は1日ですが、発送用パッケージは5日間OKです。
宮様まんぢうをお供に興津を歩きながら、開国時の歴史ロマンに思いをはせてみてはいかがでしょうか。
※掲載情報は 2017/09/04 時点のものとなります。
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キュレーター情報
学芸員/栄養士
大森久美
栄養学を学んだ後、武蔵野美術大学卒業。芸術学士、学芸員資格を取得。2006年特定非営利活動法人ヘキサプロジェクトを設立。2010年より現地法人ヘキサプロジェクト・ロンドン・リミテッドディレクター。美術館のキュレーションを行うかたわら、アート/デザインのワークショップなどの教育普及や、地方で伝統の技を守り続ける職人達との商品開発にも精力的に取り組む。日本文化の奥深さを伝えることをミッションに、食とアートのスペシャリストとして日本の美意識を国内外に発信中。