浮世絵と名物 小夜の中山の伝説で味わう「子育飴」

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東海道・小夜の中山の子育飴

浮世絵と名物 小夜の中山の伝説で味わう「子育飴」

東海道五拾三次之内(保永堂版)
日坂 佐夜ノ中山
絵師:歌川広重 / 制作年:天保四年(1833)頃
版元:竹内孫八・鶴屋喜右衛門 / 判型:大判錦絵横
所蔵:静岡市東海道広重美術館

 

浮世絵にも描かれた歴史ある名物をシリーズで紹介します。
第五回は東海道五十三次の24番目の宿場、金谷宿(現在の静岡県島田市金谷)と25番目の宿場、日坂宿(現在の静岡県掛川市日坂)の間にある小夜(さよ)の中山の「子育飴」(こそだてあめ)です。

浮世絵と名物 小夜の中山の伝説で味わう「子育飴」

五十三次名所圖會
廿六 日坂 小夜の中山無間山遠望
絵師:歌川広重/ 制作年:安政二年(1855)七月
版元:蔦屋吉蔵/ 判型:大判錦絵竪
所蔵:静岡市東海道広重美術館

「夜泣き石」伝説と「子育飴」

箱根峠、鈴鹿峠とともに東海道の三大難所の一つとして知られた中山峠には、「夜泣石」(よなきいし)の悲しい伝説が残されています。
峠にあった石の近くで妊婦が山賊に斬殺され、傷口から男児が生まれました。
母の霊は石に乗り移り夜毎に泣きましたが、男児は飴のおかげですくすく育ち、後に母の仇を討ったといわれています。(諸説あり)
そして、「子育飴」と呼ばれる飴が峠の名物として広く知られるようになりました。

浮世絵と名物 小夜の中山の伝説で味わう「子育飴」

「夜泣石」
山賊に殺されてしまった妊婦の霊魂が移り、泣いたという石。
県道(旧国道1号)小泉屋脇にあります。

浮世絵と名物 小夜の中山の伝説で味わう「子育飴」

扇屋の「子育飴」

扇屋の「子育飴」

江戸時代には、久延寺(夜泣石伝説ゆかりのお寺ともいわれる)の周辺には20軒ほどの飴屋があったそうです。
現在、残っているのは久延寺の隣の茶屋・扇屋だけ。
ここの名物はつきたての餅に水飴をかけて食べた餅の飴だったそう。
扇屋は宝永(1704年から1710年)頃の開業といわれていて、300年以上この峠を越える旅人のために茶店を営んできた老舗です。
広重の浮世絵にもその飴売りの女性が描かれています。

浮世絵と名物 小夜の中山の伝説で味わう「子育飴」

「おみやげに 名物子育飴」の看板を掲げる茶店「扇屋」

浮世絵と名物 小夜の中山の伝説で味わう「子育飴」

五十三次 日阪
絵師:歌川広重 / 制作年:嘉永五年(1852)閏二月
版元:村田屋市五郎 / 判型:中判錦絵竪
所蔵:静岡市東海道広重美術館

 

昔ながらの製法で作られ続けている「子育飴」は、砂糖を使わずにもち米と大麦のみが原料。
透き通ったこはく色をした、甘すぎない、昔懐かしい素朴な味の飴です。

浮世絵と名物 小夜の中山の伝説で味わう「子育飴」

茶店で食べたい時には、つぼの中から割り箸ですくい取ってくれます。

 

なんと、シーボルトもオランダ商館長に従い江戸まで旅行した帰りに、この付近の茶屋に立ち寄っているとか。
「伝説の山、日坂峠を歩き、峠の茶屋で茶を飲み飴を食べて、元気を取り戻した。」(シーボルト著「江戸参府紀行」平凡社「東洋文庫」より)
と記しています。
また、小夜の中山は、和歌・俳句の名所。
新緑の季節、このあたりの史跡をめぐりながら「子育飴」をいただくのも良いですね!

 

住所:静岡県掛川市佐夜鹿299
電話:掛川市役所 商業労政観光課0537-21-1149
※扇屋は店主が亡くなった後、掛川市が店を買い取り、近隣の方の協力で、土日祝日のみ営業しています。

子育飴

扇屋 住所:静岡県掛川市佐夜鹿299

※掲載情報は 2017/07/04 時点のものとなります。

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キュレーター情報

大森久美

学芸員/栄養士

大森久美

栄養学を学んだ後、武蔵野美術大学卒業。芸術学士、学芸員資格を取得。2006年特定非営利活動法人ヘキサプロジェクトを設立。2010年より現地法人ヘキサプロジェクト・ロンドン・リミテッドディレクター。美術館のキュレーションを行うかたわら、アート/デザインのワークショップなどの教育普及や、地方で伝統の技を守り続ける職人達との商品開発にも精力的に取り組む。日本文化の奥深さを伝えることをミッションに、食とアートのスペシャリストとして日本の美意識を国内外に発信中。

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