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全国のカレー店を食べ歩き、その実食レポートを紹介するブログやYoutubeの動画をはじめ、雑誌での連載や本の監修など、カレーにまつわる情報をあらゆる媒体で発信している飯塚さん。飲食業界やIT業界で働いていた経験をフルに使って、幅広いジャンルで活躍されています。今回はそんな飯塚さんに、これまでの経歴やカレーとの出会い、今後ライフワーク的に取り組んでいきたいことなどを聞かせていただきました。
ジャンルの異なる職業で培った知識や経験が、今の仕事につながっている。
【まずは、飯塚さんの現在のお仕事について教えてください。】
フードジャーナリストとして、食全般の取材・執筆を主軸にしています。現在は紙とWEBの媒体を問わず、連載記事やインタビュアーとしてのお仕事、ムック本の監修などもさせていただいています。それ以外にも、講演会などイベントでの登壇、テレビ・ラジオ出演、商品開発や広報にも携わっています。やはりカレーに関するものが多いですね。わかりやすい肩書きとして、もともとカレー好きだったのでカレーライターと名乗り始めたら、カレーのお仕事を多くいただくようになりました。
それと、もう一つの柱として食以外のジャンルでも執筆等をさせていただいています。具体的にはIT関係やデジタルガジェット、アウトドア、雑貨、車など、いわゆる男性の好きなもの全般ですね。僕のキャッチフレーズは「なんでもやるし、どこでも行くよ」です(笑)。
【前職はどのようなお仕事をされていたのでしょうか?】
たくさんありますが、今の仕事に大きく関わっているのが、約15年前に10年間働いていた外食産業の仕事です。カッコイイ言い方をすると和食レストランのマネージャー。実際には焼き鳥屋の店長です。その経験があるので、厨房の内側と外側、両方の視点で文章が書けるのが強みです。その前の10年間は、貿易会社で雑貨の仕事に従事していました。営業マンとして日本全国を飛び回り、名古屋に行ってもエビフライは食べず、札幌でもラーメンは食べずに、全国のカレーを食べ歩いていました。
さらにその前、社会人として最初の仕事はシステムエンジニアでした。でも、学生時代はコンピューターグラフィックスのデザイナーになりたいと思っていたんです。それで、学科が新設される専門学校へ行く予定が、定員割れで学科がなくなってしまって……。時代が時代というか、早すぎたんですね。仕方なく商業コンピューターを勉強してシステムエンジニアの仕事に就きました。まあ肌に合わず、5年ほどで辞めまして(笑)。次は少しでも自分の興味のある方向へ進みたいと考えて、雑貨業界に転身したという経緯があります。
【どの時代のお仕事も、少しずつ現在のお仕事につながっているんですね。】
そうなんです。50歳を過ぎているだけに、これまでいろんなことをしてきましたが、役に立っていない経験は一つもありませんね。
始まりは、デートで初めて訪れたインドカレー店。
【飯塚さんがカレーに目覚めたのはいつ頃からですか?】
母の作るカレーや給食のカレーは子どもの頃から当たり前に好きでした。本当に意識して好きになったのは高校卒業後。今から30年くらい前になりますが、意中の女の子をデートに誘うチャンスがやってきたんです。ところがフレンチもイタリアンも、ちゃんとジャケットを着てタイを締めないと……という感じで、敷居がとにかく高かった。今のようにカジュアルなバルやビストロがなかった時代ですからね。「高いし、どうしようかなぁ……」なんて悩んでいた時に、「これだ!」と思いついたのがインド料理でした。
インド料理なら、他の人とも差がつくんじゃないかと思ったわけです。実際に訪れたのは、九段坂上にあった『アジャンタ』というお店。日本で最古のインドレストランの部類に入るお店ですね。初来店で女の子を連れて行ったわけですけれど、まぁ怖かったですよ(笑)。お店のドアを開けたらインド人がいるんですから。それでカレーを注文して食べてみたら、これがびっくりするほど美味しい。相手の女の子よりもカレーに夢中になってしまって……。その子とはうまく行かなかったけれど、僕にはカレーが残りました(笑)。
【その時に食べたのは、どんなカレーだったんですか?】
ごはんの上にカレーをかけて食べる、オーソドックスなインドカレーですね。『アジャンタ』では昔から日本でこのスタイルのカレーを提供していました。
実はこのレストランには面白いエピソードがありまして。すっかりここのカレーが気に入った僕でしたが九段の坂の上のレストランは閉店してしまいました。かなりのショックを受けました。でもそれがきっかけで、せっかく好きになったカレーをいろいろ食べてみようと、あちこち食べ歩くようになったんです。そんな折、「インド人のやっている24時間営業のカレー屋がある」と人づてに聞き、足を運んで気に入った店がありました。あの頃はバブルということもあって、お店に24時間インド人コックが常駐しているレストランなんていうのがあったんですね。そういう店は東京でも珍しかったし、夜中にオートバイを飛ばして食べに行ったりして、ありがたい存在だったんです。それから10年ほどしてそこがあの『アジャンタ』が引っ越した先だったと知りました(笑)。全然気がつかなかったんですよ。九段の頃は教会の横のインドカレーと覚えていましたから。
【当時はまだインターネットも普及していなかった頃ですし……】
そうなんですよ。やっとネットの掲示板が出てきて、そこに書き込んで質問しても今のようにレスポンスがすぐに返ってくるような状態ではなかったですね。だから、もっぱら情報源にしていたのは『ぴあ』、『アングル』、それから『シティロード』といった情報誌です。必要な情報を引っ張ってくる方法や情報の扱い方というのは、相当鍛えられたと思います。
ブログと動画を駆使して、カレーの魅力を発信し続ける。
【カレーが好きであちこち食べ歩くという趣味が本業になったきっかけとは?】
焼き鳥屋の店長をしていた頃に交通事故で足に大怪我を負い、完治までに半年ほどかかってしまったんです。松葉杖をつきながらぼちぼち復帰はしていたんですが、それを機に引退を決意しました。ただ、10年続けた飲食の仕事はすごく肌に合っていたので、何かしら飲食と接点のある仕事がしたいという思いがありました。
そうして書き始めたのが、現在も続いている『カレーですよ。』というブログ。今年で13年目になります。筆を錆びさせないという目的もあってなんとなく書き始めましたが、記事を5本くらいアップした後はカレーの記事をどんどん書くようになって、このままカレーの方向性で行こうと決めました。そのうち、カレー専門のモバイルサイト『超カレーナビ』からお声がかかり、お仕事をいただけるようになりました。スマホではなくガラケーのコンテンツですね。その頃からプロを名乗るようになりました。
その後いただいた月刊誌の連載が、この春で6年目になります。カレー一本の記事でここまで続く連載って、ほぼないんじゃないかな。とてもありがたいことです。コーディネートから文章の内容まで任せてもらえるので、僕の好きなお店の中でも本当に気持ちの伝わるところだけにお声がけをして。以前は声をかけづらかったようなお店も、最近では取材を受けていただけるようになったのが嬉しいですね。付き合いの長いお店も増えましたし、日本のトップシェフと呼ばれるような方たちとも知り合うことができました。そういったコネクションは大事にしていますし、自慢できる財産でもありますね。
【飯塚さんはYoutubeにチャンネルを持つなど、動画ジャンルでも活躍されていますが、これにはどのような経緯があったのでしょうか? 】
今でこそスマートフォンでの動画撮影は普通のことですが、iPhoneに動画撮影機能が備わったのはiPhone3GSから。僕は新しいガジェットにも目がなくて、iPhone3GSもiPohne4も発売直後から使っていました。そんな中、個人プロジェクトとして進めていた「ポータブルタンドールプロジェクト」の取材で、個人取材という形でインドへ行くことになりました。主に北インドを巡る10日間の旅です。そのときの撮影で一番活躍したのは、Xacti(ザクティ)でもコンパクトデジカメでもなくiPhoneでした。帰国後、撮った動画を編集して3分程度のショートムービーにまとめました。
一方で、2010年頃に開催されていた『I Love iPhone』というイベントがあって、その関係者と接点があった流れで、銀座のアップルストアで開催する回のトークゲストに呼ばれたんです。写真がメインのイベントでした。が、その最後に僕ともう一人、KEN3TVというアーティストの2人でそれぞれ動画を披露することになりました。けんさんTVは、日本で初めてアマチュアとしてiPhoneで撮った写真で写真展を開催した人物です。彼はミュージックビデオのようなもの、僕はインドのショートムービーを3分から1分に編集したものを上映しました。それが思いのほか好評で、フリージャーナリストの林信行さんがリツイートしてくれたこともあって、面白いように物事が回り始めました。
そうして、出版社からiPhoneを使った動画撮影の本を執筆するお話をいただいたんです。でもこの分野にはすでに、Youtubeを使って情報発信しているジェットダイスケがいましたから、友人でもある彼の方が僕よりふさわしいと思いました。ところが「iPhoneはあなたのような素人でも簡単に使えるからこそ、飯塚さんに書いて欲しい」と言われまして、そういう話ならお引き受けしましょうと。これが自分にとって初めての著書となりました。でも実際には売れなかったんですよ(笑)。時期が早すぎたのかも知れませんね。ただ、面白がってくれた人たちも一定数いたようで、翌年に台湾での翻訳出版が決まりました。
そういう経緯で映像も手がけるようになって、今はiPhoneの他にGoProなどのアクションカムも使ってショートムービーを撮っています。Youtubeの『カレーですよ。』という僕のチャンネルには、これまで1500本くらいの動画をアップしていて、そのうち7割がカレー屋さんで撮ったものです。そして今年は自分のテーマでもある食・アウトドア・ガジェットをミックスさせた短い番組を作ろうと考えて、去年からちょこちょこロケを進めています。YouTube用の動画ですけれどね。これがお金になるという話ではなくて、自分のできることを企業さんに見てもらうショーケース的なものと考えています。
【飯塚さんが今こうして第一線で活躍していらっしゃるのは、ブログ記事なり動画なり、一つ一つの積み重ねがあった上でのことなんですね。】
大事なのは、とにかくやめないこと。細かろうがなんだろうが、やめなければ勝ち抜ける。勝ち抜けるという表現は好きじゃないけれど、実際そうなんですよ。僕の付き合いのあったカレーブロガーさんたちも、ご家庭の都合など人それぞれの理由でどんどんブログから離れていって……。周りの人がやめちゃうから、例えば10番手だった僕が5番手になって、2番手になって……という具合に、結果一等賞になったみたいな。何の苦労も努力もしていないのに。それに、カレーというテーマも良かったんでしょうね。好きなものをテーマにして好きにやればいいさって。こんな話をするのもなんですけれど、お金にならない文章をずっと書き続けるのってね、正直キツい時はキツいですよ。でも、面白いんですよ。自分が面白いと思えるテーマだったから、続けられたというのもありますね。
今、カレーが熱い国はスリランカと台湾。
【飯塚さんは今まで何回くらいインドに行ったことがありますか? 海外の食文化に触れて印象的だったのはどんなところでしたか? 】
意外に思われるかも知れませんが、インドへ行ったのは先ほどお話した取材の1度だけ。その時に感じたのは、日本と同じだということ。ニューデリーもオールドデリーも歩きましたけど、30年〜40年前の東京とそんなに変わらない印象でした。ちょっと道路が荒れていたりして、活気のある市場があって、食堂があって、火があって、お客さんがいて……。そういう姿を見て感じるのは、日本って異常なんだということ。流通も情報伝達においても、世界的に見たら異常なんですよね。
だって、ファミレスのチェーン店は全国どの店に行っても、同じ素材と同じ味のメニューが食べられる。一つの店にメニューが100種類あるのも異常なことです。じゃあ正常は何かっていうと、例えば錦糸町にある『アジアカレーハウス』っていうお店がそうですよ。夜8時にオープンするカウンンター5席だけの狭い店で、そこにはメニューもなければ、ちょっと前までは日本語も通じなかったような店なんです。そして中に入ると勝手にご飯が出てくる。周囲の客を見ると、全員同じメニューを食べているんです。つまり、その日仕入れた食材で一番美味しい料理を作って、作ったら全部出す。それって頭と心にも健康なことだと思います。アジアの国々にはそういうスタイルの飲食店が多いですね。
日本の異常さというのは、日本人のサービス精神に根差しているものなので悪いことだとは思いません。でも世界から見るとやはり異常なんですよ。日本の経済が縮んでいっている今、こういったところをもう少し見直していってもいいんじゃないかなと思いますね。アジア諸国を見ていると、民族、国境、宗教という3つのレイヤーの混じり合い。食はそのどれにもつながっているし、国境を超えたからといって突然食べ物が変わることはないわけです。そういうグラデーションがあることを、日本人って感覚としてつかめていないから、そこを絡めて食の話をしていくと面白いだろうなと思っています。
【インド以外で、今注目している「カレーが熱い国」を教えてください。】
まず一つめはスリランカ。以前、仕事で1カ月ほど滞在したことがありまして。外食産業時代に磨いた技術を買われて、現地へ行って焼き鳥の焼き方を指導していたんです。そこの料理人がローカルの人で、彼の作ってくれる料理がすごく面白かったですね。米も魚も食べるし、鰹節の文化もあるんですよ。そんなことがみんなに知られるようになって、スリランカ料理はヘルシーがキーワードになっています。それに今、スリランカ料理は日本でトレンドになっていて、この2年間で特に大阪でスリランカレストランが増えましたね。それともう一つ、長年続いていた内戦が8年前に終わって治安が安定し、手付かずのまま残っていた自然にハイクラスリゾードが登場しています。モード誌がこぞって特集を組むなど観光面でも注目を集めている。スリランカは今後、この2本の柱でうまく回っていくんじゃないかとな思っています。
そしてもう一つが台湾です。僕も何回か取材で訪れていますが、台湾にはカレー文化があるんです。主に屋台の夜市にあって「赤肉咖哩飯」と書きます。赤肉というのは豚肉のことです。日本におけるカレーのターニングポイントは固形ルーの登場でしたが、それ以前のカレーが食べられるのが台湾なんです。僕が想像するに、おそらく関東の人が台湾にカレーを伝えたのではないかと。使うのが牛肉ではなく豚肉だから。それと、福神漬けじゃなくてたくあんが付くんですよ。教えた人のところに福神漬けがなかったんでしょうね。そういう日本から伝わったとカレーの文化をベースに、ハウス食品が30年くらいかけて台湾で市場を作ってきたという背景もあります。台湾における日本ブームの影響もあるでしょうね。びっくりしたのは、台北駅の2階にカレー専門のフードコードがあること。3年前はカレー店が8店も入っていたんですよ。規模は縮小されたようですが、今もまだあります。台湾には現地のカレーチェンがあって、CoCo壱番屋もあって、インドカレーもあればタイカレーもあって、スープカレーなんかもあって。カレーの文化がしっかり根付いていますね。
台湾は今、デザイン文化のレベルが非常に高くて、サブカルチャー、ポップカルチャーも盛ん。でも、食を楽しむことがまだポップカルチャー化していない。僕はそこに何か仕掛けをしたいということで、ここのところ台湾に通っているんです。「日本から来たカレーの好きなおじさんが何かやってるぞ」と思ってもらえるような何かを見つけ出したいですね。
【もし可能なら、おいしいカレー屋さんを見極めるポイントを教えていただきたいのですが……】
これは非常に難しくて「王道なし」なんですけれど……(笑)。もう経験なんですよ。勘みたいなもの。第六感のひらめきって知識や経験の蓄積がなければ生まれないものじゃないですか。それと同じだと思うんですよね。とはいえ、わかりやすいアドバイスを何かお伝えするなら、ちょっと奥まったところでゆっくりやっているお店というのは、面白い店、良い店が多いですね。カレー屋さんの店主はこだわりの強い人が多いので、立地の良い店で回転率を上げることを優先するのって、こだわり全部を反映できないってことでもあると思うから。
ライターを卒業?! 肩書きを新たにリスタート。
【2017年の目標はありますか?】
実は今年、ライターの看板を外そうと思っています。僕は本質的にはライターじゃないんです。メディアからお題をもらって、そのメディアのカラーに合わせてテキストのトーンを調整してぴっちり文字数を合わせるのがプロのライター。でも僕は違う。書きなぐりですから(笑)。好きなように書いているし、文章量にもムラがある。それを編集者の友人に指摘されまして。1人が思っているということは、他にも100人くらいは同じように思っている人がいるはずなので、じゃあその指摘されたことを直す方に行くのか、そうじゃない方に行くのかと考えたわけです。すでに50歳も超えているし、今さら直すのもキツいよねっていうことで。名刺に入れる肩書を文筆業にするのか随筆家にするのか、どっちにしようかなと考えています。
僕はこれまで、自分のライフスタイルを切り売りしてきたところがあるので、今後も自分の生活の中から提案をしていきたい。今ならそういうこともできる良い時代になったと思います。カレーにしても車にしても自分の楽しいと思うことを、それに賛同してくれる人たちを集めて「ほら面白いでしょう?」と。たまたま我が家には子どもがいないので、これからの人生は逃げ切るだけ。いや本当に(笑)。「なんでもやるし、どこでも行くよ」を今一度見直して、しなやかにやっていけたらいいなと思っています。
【今後、何か新しい取り組みがありましたらお聞かせください。】
一昨年までは、いろんな媒体でカレーの記事を書いているのは、ほとんど知っているライターさんたちでした。ところが去年になって、僕の知らないお名前を目にすることが多くなったんです。カレーの情報全体がより一般化したことで、普通の人でもカレーの記事が書けるところまで来たんだと感じました。そんなこともあって去年から取り組んでいるのが、カレー研究家のスパイシー丸山さんと進めているコンテンツ作りです。
福岡で「ソースコ」というタバスコ風の辛味ソースを作っている株式会社キヨトクという会社がありまして、その公式サイト内にあるコンテンツです。内容は、東京のカレー屋さんにスパイシー丸山さんが素朴な疑問を投げていく超ロングインタビューで、今8本くらい記事をアップしています。例えば、南インド料理は混ぜて食べる印象だと思いますが、あれって全混ぜしちゃだめなんです。じゃあ何が正しいのかといえば、好きなものを少しずつお皿の手前に分けて食べる分だけ混ぜる。そういう真実をもっとたくさんの人に理解してもらうのがねらいです。
それと、もっと広いくくりでやりたいと思っていることがあるんです。国境料理や辺境料理とでも言いましょうか、世界の国境の食というものが今すごく気になっていて。僕が実際に目にしてきたことを僕の目線で紹介する、ということを今後やっていきたいと考えています。例えば、インドとネパールの国境あたりで食べているものってなんとなく想像がつくけれど、じゃあネパールと中国の国境では何を食べているんだろう?と思ったわけです。昔の話ではなく、2017年現在に食べられているものは何だろうと。物流とインターネットの2つがあるだけで食は大きく変化するので、そういう部分も含めて、もっと知りたいと思う地域がたくさんありますね。
これまで10年以上に渡って世界の料理を食べ続けてきたことで、世界の食がつながっているとわかってきたのが面白いですね。僕は必ずしも現地踏査が偉いとは思わないけれど、世界の国境や辺境に行ける人は少ない。だから自分が行って見てくることで何か形にできればと思います。僕がやる必要はないのかもしれないけれど、50歳も過ぎているので、現地に体が動くうちになるべく早く行って、それを上手に形にまとめられたらと。それを皆さんに見せられたらいいなと思っています。
取材協力:インド料理ムット
東京都新宿区西新宿7-22-34
TEL:03-5937-3443
11:30~15:00/17:00~22:00
日曜定休
ぐるなびページ
https://r.gnavi.co.jp/fc2he9cc0000/
新宿の南インド料理店の先駆け的な存在として人気を誇る名店。オーナーである南インド出身のムットさんと飯塚さんとの出会いは、お店が開店してまもない13年前。下北沢にある『スパイスキッチンムーナ』の諏訪内シェフなど、ここで修行を積んだシェフも多数。
【プロフィール】
いいづか・あつし。ライターとして、食ではカレー全般とアジア料理を中心に、その他のジャンルではデジタルガジェット等の取材執筆等を行う。13年続くライフスタイルブログ「カレーですよ。」および、ブログと連動したYoutubeチャンネルの動画では、自らカレーを実食する構成により読者のみならず業界関係者からも絶大な信頼を得ている。2009年に取材でインドを訪れたことを機に、iPhoneを使った動画の撮影と編集に開眼。「iPhone x Movieスタイル」(技術評論社 11年1月刊)を著す。現在「エキサイティングマックス!」(ぶんか社 月刊誌)にてカレー店探訪コラム「それでもカレーは食べ物である」を連載中。食べ歩きのプロフェッショナルチーム「たべあるキング」所属。カレー関連商品の開発やイベント出演など活躍の場は多岐に渡る。著書に「カレーの本 あなたの食べているカレーがわかる」(笠倉出版社)
※掲載情報は 2017/02/03 時点のものとなります。
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