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暖簾には「まるうめ」のマーク。1849年創業の「山本海苔店」は、日本橋室町で160年以上続く老舗海苔店。ippinキュレーターとしても活躍中の山本貴大さんは、その専務取締役であり営業本部長でもあります。海苔は「何かを巻くもの、包むもの、かけるもの」といった副食の認識を覆し、日本のみならず世界に、その魅力を発信し続ける山本さんに、海苔業界の現状や未来への想いを語っていただきました。
160年以上続く老舗の家に生まれて
本店の天井は海苔船の船底をイメージした造りになっているのも特徴
【大学卒業後は銀行に就職されましたが、家業である山本海苔店に入られたきっかけは? 現在はどのようなお仕事を担当していますか?】
私の場合、家業を継ぐことは生まれたときから決まっていました。幼い頃から両親に家業を継ぐ事を刷り込まれ、両親の作戦が見事に成功した例と言えますね。だから、人生における選択はすべて「将来自分が山本海苔店のトップになるのにふさわしいのはどれか」という観点で選んできました。就職活動では金融、コンサル、商社に絞り込み、最終的には銀行を選びました。「物の売り方や買い方というものは部下に任せることができても、経営者に最も必要とされるセンスが磨かれるのは銀行だという」銀行OBの言葉に感銘を受けたのが理由です。父親とは「3年以上5年未満」という約束がありましたので、銀行で4年間働いた後に、山本海苔店へ入社しました。
2008年10月に入社し、3ヶ月後の1月には上海へ赴任することになりました。中国に小会社がありまして、そこで新しく「Omusubi Maruume」という名前のおむすび屋さんを立ち上げることになり、その担当となりました。2年弱で中国から戻り、次にシンガポールや台北店の立ち上げに関わりました。その後、営業部長となり、今年の7月末付で専務取締役に。今は営業を中心に会社全体、ほとんど全部を見ていることになります。
【山本海苔店に入社後、一番驚いたのはどんなことでしたか?】
現在、入社して9年目になりますが、やっと理解できるようになってきたことがあります。銀行にいた頃は「安く買って高く売ることこそ素晴らしい」と思っていました。例えば、海苔の仕入れ値が1枚あたり1円安くなったとします。これを経理担当者が喜ぶのに対して、仕入れを担当する副社長は全く反対の考え方をするわけです。「山本海苔店がこんなに安く海苔を買っていたら、この業界に未来はない」と。「山本海苔店だからこそ、高く買わないといけない」という考え方に驚き、そして感動しました。こういう感動は銀行マン時代にはなかったことです。「我々の目的は売り上げを伸ばすことでもなければ、利益を出すことでもなく、存続することである」という考えで動いている人が周りにたくさんいるので、感動することも、学ぶこともまだまだ多いですね。
店内の金文字の看板は旧社屋に掲げられていたもの、海苔の雄性細胞をモチーフにした信楽焼のタイルが壁に施されている
【お仕事をする上で、日頃から心がけているのはどのようなことですか?】
商いの世界では昔から、経営者が婿の代に会社の業績をグンと伸ばすことが多いんですよ。山本海苔店は二代目から四代目までの三代連続で婿が経営者になっていて、それぞれがエポックメイキングなことをしてきました。具体的には、二代目は世界で初めて「味付海苔」を発明し、三代目は海苔の規格を現在の形に統一。四代目は本店以外に初めて支店を出しました。その一方で、大阪の商人の間では昔から「直系が三代続くと店が潰れる」という言葉があります。五代目から数えると祖父、父親に継ぐ直系三代目は私なのです。それを知って、こればまずいぞと(笑)。そのようなこともあって、格好良いことを言わせていただけば「常識を疑うこと」を心がけています。果たして本当にそれで良いのか?と。でもこれが、なかなか難しいですね。
当店は60年前、五代目である祖父が「百貨店の船に乗る」と決めました。高度成長期という時代の後押しもあり、業績はどんどん伸びていきます。ところが、百貨店に出店するということは、百貨店の数だけ、催事やオリジナル商品開発の要望が押し寄せることでもありました。もちろん、それらすべてに対応するのは不可能なため、当時は「いかに断るか」が大事だったそうです。通常の商品ですら生産が追いつかない状況が続いていた中で、催事のための商品やオリジナル商品を作っている場合ではなかったからです。そのため、祖父のように当時を知り、今は社内で偉くなっている人たちは皆、「ノー」と言わせたら天才的なスキルを身につけています。当時の経営としてはそれが正しかったけれど、今は違います。「ノー」ではなく「イエス」と言うべき。イエス・バットです。何とかお客様のご要望にお応えするのが我々の仕事と思うのです。
【160年以上続く老舗の伝統を守っていくことについては、どのようにお考えですか?】
変えるものと変えないもののバランスですね。以前、崎陽軒の野並社長が「簡単に変えられるものは変えてはいけないものだ」と言われました。簡単に変えられるものかどうかを判断基準にしているそうです。それを聞いて、全くその通りだと思いました。うちの場合、変えてはいけないものに当たるのは、おいしいと喜ばれてきた「味」だと思います。そこはこれからも変えずに、こだわり続けていきたいです。
海苔の魅力を、日本と世界の食卓へ
山本海苔店を代表するのが、赤い缶に梅のイラストが印象的な「梅の花」
【海苔の普及のために取り組んでいることには、どのようなことがありますか?】
海苔って、おにぎりやお寿司を巻くためのラッピングマテリアルなんですね。でも、そんなマテリアルの域から出なければ需要が伸びていかないと考えた結果、当店では30年ほど前から「おつまみ海苔」を販売しています。いかに海苔単体を食べて楽しんでいただくかという商品です。
海苔業界としては「海苔で健康推進委員会」の活動で「手まきごはん」を推奨しています。四切サイズの海苔に、ごはんと昨日の残り物のおかずを何でものせてみましょうというものです。それはサラダでも、ナポリタンスパゲティでもいいわけです。ちょっと塩でも振りかければ、とってもおいしくなりますから。フードサルベージの観点からも推進していたのですが、それ以上に「おにぎらず」の人気が凄くて、いまいち流行するには至りませんでしたけれど。「海苔で健康推進委員会」とは、いかに海苔の需要を増やすかということを必死で考えている海苔屋さんの団体のことです。
【日本の食文化として、海外の人たちに海苔をどのように発信したいと考えていますか?】
もともと東南アジア全体では海苔をおつまみとして食べる習慣があり、だからこそ海外にも市場があると踏んで進出したわけですが、やはりおつまみ海苔は人気がありますね。でも、日本のように八切の海苔に醤油を付けてご飯を巻いて食べるような食習慣はなく、焼海苔の売り方には苦労しています。海外のお客様には、味つけ海苔も含めた海苔菓子のパイオニアであり最高峰として、健康的なおつまみ感覚で海苔も味わってもらえるようになればと考えています。海苔には三大うま味成分と呼ばれるグルタミン酸、グアニル酸、イノシン酸がすべて含まれています。その成分には解明されてないことも多く、未知なる可能性を秘めた食品でもあるのです。また、「なぜ海苔を巻くのか?」の理由として、ごはんが手につかないようにするためではなく、「おいしいから」なのだと、一貫して発信し続けていますね。
【海苔のおいしい食べ方として、海苔の選び方や保存の仕方についてアドバイスをいただけますか?】
一般的においしい海苔の見分け方として、「黒光りしていること」など、見た目で判断されることが多いと思います。でも、当店では必ず食べてから仕訳することを徹底しており、考え方が異なります。「固くて後味の良い海苔」よりも「柔らかく先味が良いもの」、「味が良く口に広がる速度が速いもの」を高く評価しているのがこだわりです。
保存方法については、湿気ている海苔をガスバーナーであぶるのは大間違いです。ガスの火には水分が含まれているので、実は逆効果なのです。そんな時は、火にかけたフライパンに海苔を置いて、軽く撫でてあげるだけでパリッとした海苔に戻ります。また、冷蔵庫で海苔を保管する方も多いと思いますが、それは正しい方法です。ただし、冷蔵庫から取り出してすぐに開封すると一気に湿気ってしまうので、一度常温に戻してから開封するのがポイントです。
業界を守るため、海苔の新たな可能性を探り続ける
ハローキティとコラボレーションした新感覚の「海苔ちっぷす」など、海苔菓子の開発にも力を注いでいる
【現在、海苔を取り巻く環境というのは、どのような状態にありますか?】
実は、残念なことに海苔業界全体は悪循環に陥っています。昔は海苔が最も高く売れるのがギフト海苔で、市場における売り上げが15%ほどあったのに対し、今は2%程度。海苔が高く売れる市場があったからこそ、我々は漁師さんから海苔を高く買うことができました。ところが、ギフト海苔の市場がシュリンクしてしまっているため海苔を高く買えず、漁師さんたちもおいしい海苔が作れなくなってしまい、ますます海苔が売れなくなる……という状況なんですね。
それはどういうことかと言うと、海苔のなりたちが大きく関わっています。海苔は胞子が成長して芽を出しますが、胞子は夏の間は貝の中にいて、寒くなると出てきて網に付き、芽を伸ばします。その芽は短ければ短いほど味も香りも良く、その年最初に収穫したものは新海苔と呼ばれ、12月上旬から出回るようになります。例えば漁師さんに「1網から300枚分の海苔を取ってください」とお願いしても、より芽を伸ばして収穫すれば、1網から900枚や1200枚分を採ることが可能なのです。だから漁師さんたちが本当は20センチで切りたいところに「10センチで切ってください」と言うためには、「2倍以上の価格で買うよ」と約束してあげるべきなのです。ところが海苔が売れず、漁師さんから高い値段で買うことができなくなれば、当然コストのかかる短い芽ではなく、値段に見合った伸びた芽を買うことになってしまいます。だからこそ、業界を守るためにも、我々は漁師さんから高く買ってあげないといけないのです。
【再開発でも注目を集める日本橋エリアですが、将来のビジョンとして目指しているものは?】
日本橋は東京駅から徒歩10分の場所にありますが、地図を広げて「日本橋はどこでしょう?」と尋ねても、答えられない人がほとんどだと思うんですね。昔は日本橋区がありましたが、それがなくなっても日本橋という名前だけは強引に残したため、中央区日本橋室町のように、一般的な住所と比べると日本橋の分だけ多いわけです。だから日本橋は都市伝説的な都市。しかも日本橋と名のつく場所には創業100年以上の老舗が200店以上もあるそうで、本当はもっともっと面白い街であるはずなんですね。なのに日本橋では昔から続く、ある美学のせいで発信力に欠け、銀座に負けてしまっているのだと分析しています。それでも、COREDOが登場したことによって、おかげさまで週末や祝日などは以前より人が増え、大きく変わったと感じています。
先ほどの「ある美学」というのは、日本橋界隈の老舗に今も残る「自分からは言わない」を良しとするスタンスのことです。粋という言葉がありますが、スーツの裏地だけが派手とか、いわゆる「隠された良さ」を指します。つまり「うちの海苔はおいしいです」なんてことを自分からは言うなと。知っている人だけが知っていればそれで良い、という考えなんですね。だから日本橋では、お店側からは何も言ってくれないけれど、一度質問をするとすごく返ってくるのが面白いですよ。以前何かのアンケートで「日本橋ってどんな街ですか?」と聞かれたのに対して、「質問すると面白い街」と答えたことがあります。聞かないと教えてくれないけれど、聞けば教えてくれる。日本橋ではそんな街ですね。
日本橋本店限定パッケージの銘々焼海苔と銘々味附海苔も
【新海苔発売の時期など、今後の商戦について教えていただければと思います。】
今の時期はちょうど新海苔が出回り始める時期ですね。網から伸びて成長した海苔を最初に摘んで収穫した「一番摘み」なので、やはりおいしいのです。ちなみに当店の海苔は、ほとんど一番摘みしか使っていないので、季節によるおいしさの違いというものが実はありません。昔からお歳暮に海苔が選ばれていた理由としては、そんなおいしい新海苔を贈る以外にも、賞味期限が長く、常温での保管が可能だから。さらに昔は直接手で届けるのが主流だったため、軽さも最大の強みでした。また、今のように養殖技術が確立されていなかった当時、海苔の収穫は運任せでもありました。そのため海苔は「運草」とも呼ばれ、「あなたに良い運がありますように」の意味を込めた縁起物としても重宝されました。今は、お歳暮は発送するのが主流になり、軽さが重要視されなくなったため、海苔の需要は以前ほど高くはありません。しかしながらギフト全体の市場は年々拡大しているため、贈り物やお土産としての商品提案に力を入れています。
ずっと前からやりたいと思っているのは、パンや具材を選んでサンドイッチを提供しているサブウェイのようなスタイルで海苔を楽しめるお店。海苔を選んで、酢飯などご飯を選んで、具材を選んで巻いて出す、サブウェイのお寿司バージョンですね。おそらく、実現してしまうと思います。というのも、当店も日本橋における三井不動産の再開発エリアに入っておりまして、オリンピックの2年後くらいに再開発がスタートします。昔の日本橋といえば金融街で、15時を過ぎればどの店もシャッターが閉じてしまうような街でした。でも、飲食店を増やして面白い街にしようというのが再開発の大きなコンセプト。「文明堂」さんもレストランを始めましたし、千疋屋さんはずっと前からレストランをされていますけれど、あの「にんべん」さんも「だし場」という新形態のお店を出された前例がありますから。当店も新しくなりますが、その時にはひと勝負賭けることになると思いますね。
【店舗情報】
山本海苔店 本店
東京都中央区日本橋室町1丁目6-3
TEL: 03-3241-0290
公式サイト:
https://www.yamamoto-noriten.co.jp
【プロフィール】
1983年生まれ。2005年慶應義塾大学法学部卒業後、東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)入社、法人営業などを経験。2008年山本海苔店入社、仕入部で海苔全般の勉強を行い、その後山本海苔店100%子会社丸梅商貿(上海)に勤務。丸梅商貿勤務中に、おむすび屋「Omusubi Maruume」を立ち上げる。その後シンガポール髙島屋、台北三越店の立ち上げなどに関わる。現在は専務取締役営業本部長として山本海苔店の営業全般を担当しながら、「おいしい海苔」の普及活動に努めている。
山本海苔店は1849年に日本橋で創業。2代目は世界で初めて味附海苔を発明、3代目は海苔の形を現在の19cm×21cmに統一するなど海苔業界のパイオニア的存在。現在は海苔を「何かを巻くもの、包むもの、かけるもの」と言った副食から抜け出させるべく、「おつまみ海苔」などに代表される「海苔菓子」の販売に力を入れている。
※掲載情報は 2016/12/02 時点のものとなります。
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