【クローズアップ】おじさん?おばさん?「お手伝いハルコ」の正体に迫る! 後藤晴彦

【クローズアップ】おじさん?おばさん?「お手伝いハルコ」の正体に迫る! 後藤晴彦

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「お手伝いハルコ」って何者!?こう思っていた方も少なくないはず。今回は、代々木上原の閑静な住宅街にあるオフィスにて、「お手伝いハルコ」こと、アートディレクターと食文化研究家という肩書きを持つ後藤晴彦さんにお話を伺いました。


これまでの経歴や「お手伝いハルコ」が生まれたわけ、今の「食」について、おもてなしにぴったりの簡単レシピまで、ざっくばらんに語っていただきました!

世界各国を食べ歩いた美食の時代を経て

【クローズアップ】おじさん?おばさん?「お手伝いハルコ」の正体に迫る! 後藤晴彦

※フランスの美食の旅をイラストに。夫婦のキャラクターデザインも登場

 

【まずは、後藤さんのこれまでのお仕事について教えていただけますか?】


「家庭画報」という雑誌のデザインを手がけていたデザイン事務所で当時でいうレイアウトマンとして働いた後フリーになり、経験者ということで「家庭画報」から声をかけていただいて、そのままデザインに17年間携わりました。

 

デザインを続けるうちに、コンテンツに関することなど、だんだん何か違うことをしたいと思うようになっていきました。「家庭画報」の仕事を通じて料理の知識が蓄積されたこともあり、30歳になって本格的に料理の勉強をしたいと思いました。

 

【料理の勉強とは、どのようなことから始めたのですか?】

 

今さら料理学校に通うわけにはいかないので、手っ取り早い方法として、まずは食べようと。東京でヨーロッパ帰りのシェフ達が出している店に通い、シェフ達と仲良くなりました。彼らの話を聞くうちに、修行先のレストランに食べに行きたくなるわけです。

 

ならばミシュランガイドで星付き店がたくさんあるパリへ行こう、という具合です。パリに何度か旅行するうちに三つ星の店や二つ星の店は全部食べて、市内の店のことは大体分かるようになりました。それからはフランスの地方にも訪れるように。

 

そんな海外旅行で大変だったのは、旅行中1週間、毎日昼と夜にフランス料理をフルコースで食べ続けること。30代で若かったからできたことだと思いますが、食前酒やシャンパン、白ワイン、赤ワイン、食後酒まで飲むというのが一つのスタイルだと思っていたので、当時それを昼夜やっていたわけです。これでは、さすがに体調が悪くなります。

 

そこで、体の負担を減らすために、毎回テーマを設けるようになりました。「今回の旅行ではフォアグラの美味しい店だけ食べに行こう」とか、「今回はボルドーワインだけ飲んでみよう」「きのこ料理を中心にしよう」とかね。

 

それを8年間くらい続けていたある日、『自分はなぜこんなことをやっているんだろう?』と疑問に思ったわけです。そして気が付いたのが、『自分の中で料理や味のスタンダードを構築するためだったんだ』ということ。

それに気づいてからは、フランスだけじゃなく、イタリア、スペインなど、他の国も周るように。そして40代になると、『自分は日本人なのに、日本料理を全然知らない』ことに気がつきます。

 

日本料理を知るにはどうしたらいいだろうか? 日本料理の一番いいところは京都だろう。ということで、40歳にして京都へ通う日々が始まりました。季節ごとに足を運ぶと、旬の食材がどこの店へ行っても出てくるわけです。『日本料理もそれなりに面白いのかもしれない』と気づき始めた42歳の時に、僕は長年の美食がたたり脳梗塞で倒れてしまいます。

料理を食べる側から作る側へ

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※病気になったことで食べる一方から料理をする立場にならなきゃと思いました、と後藤さん

 

【病気がきっかけで、その後の食生活は変わりましたか?】

 

外食ばかりの生活から、食生活全般を見直しました。塩分や油を控えて、野菜を多く食べる食事ですね。実は当時の主治医の先生に期待ができなくて、『自分の体は自分でどうにかしなくちゃ』という思いで、薬について調べたりしていたんです。でも、そうは言っても根本的に大切なのは食べ物だろうと。

 

健康雑誌の記事で玉ねぎが血圧を下げると紹介されていたので、翌朝生の玉ねぎの皮を剥いてかじってみたら、食えたもんじゃない(笑)。『ああ、玉ねぎは生のままでは1個も食べられないんだ』ということが、その時初めてわかりました。

 

今までさんざん料理を食べてきた自分が、玉ねぎ1個を調理することすら頭になかったんです。それで、やっぱり調理は大切だと思って料理を作り始めたわけです。それと時を同じくしてオクサマの仕事が忙しくなり、家事も料理もやるなら徹底してやろうと思いました。

 

【今まで出会った料理人の中で、最も印象的な方を教えていただけますか?】

 

◆「分とく山」の野崎洋光さん

野崎さんが「とく山」の後につくった「分とく山」という小さな店は、居心地が良くてね。まだそんなに有名じゃなかったから、カウンターで野崎さんに話を聞くこともできたんです。

 

ある時『これ何だと思う?』と、野崎さんが拍子切りした薄緑色の野菜を出してくれたんです。僕が『わかりません』と答えると、『これはブロッコリーの軸だよ。みんなブロッコリーの花を使うけれど、一番美味しいのはこの軸なんだよ』と、美味しい食べ方を教えてくれました。

 

それと「たまごかけごはん」について教えてもらったことがあって、土鍋で炊いたご飯の上に生卵をかけて軽く蒸したものを出してくれました。これが、まるでごはんのカルボナーラのようで、とても驚きました。

 

◆魚柄仁之助(うおつかじんのすけ)さん

それともう一人、野崎さんが表の師匠なら、裏の師匠というべき男がいます。

 

知り合いから彼の新しい連載のイラストレーターを探していると相談されて、僕が描くことになったのが縁の始まりで、連載終了後もいろいろとコンビを組んで仕事をするようになりました。

 

魚柄さんは、野崎さんとは違ったアプローチで料理について教えてくれた存在です。例えば『冷蔵庫の中でしなびた野菜は漬物に適している』と彼が言うので、家の冷蔵庫の中に入っていたしなびた白菜に塩を振って食べてみたら、すごく美味しくなった。それに感心して以来、彼が裏の師匠になったというわけです。

「お手伝いハルコ」の誕生

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※独自のキャラクター「お手伝いハルコ」としても、多方面で活躍

 

【後藤さんは「お手伝いハルコ」としての活動もされていますが、ハルコというキャラクターについて教えていただけますか? 】

 

1999年に生まれた、僕自身がモデルのキャラクターです。僕が病気で倒れたのと同じ頃、オクサマが婦人誌の編集長に昇格して仕事が忙しくなりました。次第に家事全般を引き受けるようになり、慣れとは恐ろしいもので、僕がやるのが当たり前になりました。

 

どうせやるなら楽しくやりたいと思って「オクサマに仕えるお手伝い」という設定を作り上げ、僕の名前の晴彦から取って「ハルコ」と名付けました。そして「お手伝いハルコ」としても活動できたら面白いなと知り合いに声をかけると、雑誌で連載をさせてもらえるようになり…というのが、今日に至るハルコ誕生ストーリーです。

 

【キャラクターデザインもご自身でされていますよね。】

 

はい、僕の本職がグラフィックデザイナーでもあるので。一見おばさんのようだけれど、おじさんです。実は、ハルコの前身と呼べるキャラクターはもっと前から描いていたんですよ。

 

【「お手伝いハルコ」というキャラクターが、一番最初に世に出た時の企画とは? 】

 

雑誌「料理王国」の朝食対決です。僕は京都の町家の旅館をイメージした朝食を用意しました。ハルコは、決して料理上手なキャラクターじゃないんですよ。見るに見かねたオクサマの案内状を持って料理人を訪ねては修行をさせてもらうんだけど、失敗して帰って来るというのがコンセプト。

 

最初の連載は、「お手伝いハルコと学ぶ中高年からの家庭科」という企画。第1回目は一番やりたかった「たまごかけごはん」、第3回目が「食べるラー油」だったけど、今から20年も前のことだからこれは早すぎましたね(笑)。

 

他にも親子丼とか、ほかの料理本で取り上げないようなメニューでやりたかったんですよ。今まで100人くらいの料理人に協力していただきました。

野崎さん監修の「だしポット」ができるまで

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※おしゃれな有田焼の陶器でつくったヒット商品「だしポット」

 

【商品のプロデュースも手がけていらっしゃいますが、それについてのエピソードを教えていただけますか?】

 

初めて企業のコンサルから手掛けて開発した商品について、まずはお話しますね。ある時知らない有田焼の窯元の関係者が、「分とく山」の野崎さんの紹介で電話をかけてきました。

 

なんでも野崎さんが簡単にダシをとれる急須を作りたいらしく、窯元側が難色を示すと僕に相談するよう勧められたと。その急須は後に、野崎さん監修のもと、1分で本格的な出汁が取れる「だしポット」として大ヒットすることになります。

 

一方で、友人の編集者からも貝印株式会社の新しいマーケティングプロジェクトに加わらないかと電話がありました。プロジェクトの中心になっていたのは慶応大学の村田ゼミ出身の学識者の方たちで、社内でも総勢60名ほどが参加する一大プロジェクトでした。

 

ここで僕が提案したのは「在庫の圧縮」。貝印は5万点ものアイテムを生産しているのが売りでもありましたが、果たしてその全てが必要なのか?と疑問に思ったのが理由です。今一度ベーシックな商品を見直して生まれたのが、「セレクト100」というブランド。ここではピーラーがベストセラーになりました。

 

もう一つやりたかったのが、アイデアグッズの開発でした。それで最後のプレゼンとして、先ほどの野崎さん監修の「だしポット」を提案したわけです。ほとんど賛成してくれる人はいなかったものの、商品化には成功しました。ポット本体は有田焼、内側の茶こしの部分に貝印のステンレスが使われました。

 

これが、雑誌「ミセス」で初めて販売したところ限定200個が即完売!使いやすいサイズにカットした昆布もセットにして販売したのが良かったのでしょう。「通販生活」でも取り扱いがスタートし、10万個も売れるヒット商品となりました。

ふるさと岩手県の産業アドバイザーとして

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※3.11の大震災当時は、何もできなかったという思いを抱えていました、と後藤さん

 

【岩手県の産業創造アドバイザーには、どのようなきっかけで就任することになったのですか? また、これまでの活動内容も教えてください。】

 

僕は岩手県釜石市の出身なんですが、ある時Facebookで繋がっていた岩手県のアドバイザーをやっている方が、僕もアドバイサーに推挙しておいたと連絡をくれたんです。

 

結局のところ何かを持ちかけてくれる人も、僕の人脈やコネクションに期待して声をかけてくれていると思うんですね。だから、岩手県産業アドバイザーとしての活動にも、これまでの人脈やコネクションが活かされています。

 

最初に手がけたのが、伊勢丹のキッチンステージで岩手県の食材を扱うフェアの実施。「オステリア・ルッカ」の桝谷周一郎さんと「賛否両論」の笠原将弘さんを連れて岩手へ食材探しの旅に行き、食材を使ったメニューを提供してもらいました。

 

翌年には三越伊勢丹で年に2回実施している「ジャパンセンスィズ」というキャンペーンで、岩手県を提案しました。食材だけではなく工芸品も含めて扱う国内では最大規模の岩手県フェアとして、銀座と日本橋の三越、伊勢丹新宿店で実施されました。

 

僕個人としての活動では、八幡平市役所や商工会議所と組んだ料理コンテストの実施や、釜石大槌地域産業育成センターを手伝い地元産業のブランディング化に取り組んでいます。直近では釜石にある北限の柿「甲子柿」の売り込み、今年の事業としては沿岸の水産関係の人たちの商品化や、東京のレストランに岩手の食材を売り込むプロジェクトを計画中です。

情報をジャッジメントすることが大切

【クローズアップ】おじさん?おばさん?「お手伝いハルコ」の正体に迫る! 後藤晴彦

※情報が氾濫する現代は、どれが正しい情報なのか判断するのが難しくなってきてる、と後藤さん

 

【これまで様々な食文化や流行を見てきた中で、現在の「食」や「料理」についてどう思いますか?】

 

毎月ある協会に提出するレポートにちょうど先日書いたのが、「グルテンフリーと糖質制限」について。健康ブームやダイエットって、そのつど流行のものが出てくるわけじゃないですか。でも、一度発信された情報は後から訂正されず、 出しっぱなし、やりっぱなしなんですよ。

 

ある時に出た情報を信じている人たちが、それが間違った方法だと知らずにやり続けていたりする。これだけ情報が溢れている中で、情報を正しくジャッジメントできない時代になっていると思います。グルテンフリーと糖質制限に対しても、この2年程病院関係のレシピ本を作っているので、なおさらそう思いますね。

 

糖質制限とは本来、糖尿病の人のための食事療法です。グルテンフリーだって、小麦粉アレルギーの人のためで、どちらも健康な人が過度に気にする必要はないはずなんです。ところが、それをやると体調が良くなるとか、ダイエットになるという情報を信じ込んでいる人がたくさんいるわけです。

 

ここで少し時代を遡ると、1985年が日本人の食生活にとっての大転換期を迎えた年と言われています。具体的には、戦後「欧米型食生活」を追求して乳製品やパン食を摂取しましょうという政策が取られた結果米が売れなくなり、当時の厚生労働省が今度は「日本型食生活」というものを提唱した年なんです。

 

それがある意味、和食の文化遺産登録につながったのだと思います。ところがここ数年になって、米もだめ、小麦もだめという、主食を否定する考え方が蔓延している。こうも簡単に考え方をコロコロ変えて良いものなのか?と思いますね。

 

【コンサルティングや商品開発において、大切にしているのはどんなことですか?】

 

フランスの歴史学者でアラン・コルバンという人がいます。彼は「感性の歴史学者」といわれている人です。彼の理論のひとつに、現在は過去によって成り立っているというものがあります。

 

例えば誰かが新しいことを考えついたとします。でも過去を調べていくと、決して自分が初めてではなくて、過去にも同じように考えた人はたくさんいるものです。過去を知らないと独りよがりになってしまうから、過去(歴史)をしっかり検証することが大切ということなんですね。

 

ここからが僕の核心とも言える部分ですが、僕はそこからさらに、今は過去の積み重ねであり、過去から選びだすものが未来を作ると思っています。過去をいかに精査して、それを現在に当てはめて導き出すか。それが未来のマーケティングなのだと。

 

それをしないから、こんなに情報がある中で、みんな同じようなものを作ってしまうんです。思いつきで作って失敗する例が山ほどあるわけですよ。

長年のマイブーム「歴史」が大好き

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※歴史や時代劇が大好き、という後藤さん

 

【後藤さんの夢、今後やってみたいこととは?】

 

それはもう、僕の長年の夢はオクサマのお手伝いとして専業主夫に専念することですよ(笑)。家でメロドラマを観ながら、おせんべいをポリポリかじるとかね。叶わない夢かも知れないけれど。

 

【今、何か“マイブーム”があれば教えてください。】

 

歴史が好きなのは昔から今も変わらなくて、時代劇も大好きなんです。以前「時代劇の歴史」という企画を出版社に持ち込んだことがあり、いろんな歴史小説で描かれている時代や人物を洗い出して年表を作ったんですよ。

 

結局のところ歴史って、見る角度によって全然印象が違ってくるわけです。同じ人物でも、かたや持ち上げる話もあれば、かたや突き落とす話もあって。そこが面白さでもあり、危険なところでもあると思いますね。読む方は勝手に想像しているだけで、実際にその歴史上の人物に会ったことも話したこともないわけですから。

 

【「お手伝いハルコ」さんの得意料理は何ですか?】

 

これがね、創作料理を作ると必ずオクサマに否定されるんですよ。だから煮る、焼く、などシンプルに。複雑な味付けはしません。複雑な味付けのものって飽きてしまうでしょう?

 

家では土鍋でごはんを炊いて、出汁をとって、おみおつけを作って、ぬか漬けを作って、干物を焼いて、煮物作って、ごくごく普通のものを家で食べています。だからハルコの得意料理と言うのも、そういう普通の料理ですね。

 

【誰かを家に招くようなシーンで、オススメの料理はありますか?】

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※タンドリーインチキ・ア・ラ・ハルコ。炙り焼きした、香ばしい皮がたまらない!

 

オクサマの地元・新潟に別宅があるんですよ。そこの同じ敷地の隣家にはオクサマの妹夫婦と子供たちが住んでいるので、その子供たちにそば粉でクレープを作ったりしています。

 

なかなかまとまった時間が取れないような時でも、簡単に作れる料理が「タンドリーチキン」ならぬ「タンドリーインチキ」。要するにタンドリーチキンもどきなんだけれど、鶏肉を粗塩で揉んでフォークに刺してヨーグルトに漬けるだけで、びっくりするくらいタンドリーチキンになるんですよ。


◆【レシピ】「タンドリーインチキ・ア・ラ・ハルコ」の作り方

タンドリーチキンとは言えば、インドはパンジャープ地方の料理の一つで、タンドール(壷窯)で焼き上げる鶏肉料理です。しかし、本来は骨付きの鶏肉を使わないとタンドリーチキンとは言えません。

ここでご紹介するハルコ風は、骨付き肉ではなく胸肉を使うため、正式には”チキンテッカ”というのが正しいのです。が、まがい物料理なので、そこは強引に「タンドリーインチキ」と命名したものです。ちょっと和風な料理になります。

 

●材料
鶏胸肉 1枚(250g)
粗塩 小さじ1

※鶏肉の調味料
プレーンヨーグルト 大さじ3
カレー粉 大さじ2
ターメリック 適宜
切り昆布 30g
粗挽き黒コショウ 適宜

オリーブオイル 
バター

 

●作り方
(1)鶏胸肉を食べやすい大きさに切ってフォークで刺し、粗塩を擦り込んでおく。

(2)ビーニル袋に鶏肉の調味料を全て入れ、(1)の鶏肉を入れて充分もみ込む。

(3)冷蔵庫でビーニル袋のまま2~4時間寝かせて、味を馴染ませる。

(4)フライパンにオリーブオイルとバターを入れて加熱する(オリーブオイルを入れるとバターは焦げない)。

(5)温まったフライパンの上に、鶏肉を並べて中火でソテーする。焦げ目がついたら、裏返して同じくらい焼

く。いったん火を止め、蓋をして5分ほど蒸らす。

(6)フライパンから取り出した鶏肉を、直火で軽く炙り焼きにする。(魚グリルでもガスバーナーでもOK)

 

●ポイント
元々は大阪の昆布専門店「松前屋」の“ウマミナチュレカレー味”という刻み昆布で試してみたところ、美味しくできたのが最初です。この昆布の代わりに、お好みのふりかけを混ぜ込んでも良いのです。

 

ビールのアテや、お弁当のおかず、野菜と混ぜてサラダ仕立てでも美味しいです。簡単にできるので、ぜひハルコ流のレシピを味わってみてください!

 

【プロフィール】
雑誌、ムック、書籍など出版物の企画・編集・アートディレクションを本業に、企業のコンサルタントとして、商品開発からマーケティング、販促までプロデュースを手がける。岩手県の産業創造アドバイザーにも就任し、岩手県の食を中心とした復興支援のサポート活動にも取り組んでいる。40代から料理に目覚め、料理修業をスタート。妻のことをオクサマ、自らを「お手伝いハルコ」と称して、毎日料理作りに励んでいる。

 

<お手伝いハルコとしての活動>
『料理王国』、『日経おとなのOFF』で連載、著作は『包丁の使い方とカッティング』、『街場の料理の鉄人』、『一流料理人に学ぶ懐かしごはん』など多数。電子書籍『お手伝いハルコの料理修行』がBookLiveから配信中。

 

ブログ「日々是ハルコ哉。」

http://otetudaiharuko.blogspot.jp

※掲載情報は 2016/06/16 時点のものとなります。

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