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納豆はクスリより、クスリだ!
納豆ほど日本列島を二分する食材はないのはないでしようか。嫌いな人は「これは人間の食べものではない!」とまで言う始末。平安時代に中国から「鼓(クキ)」として渡来したものが“糸をひかない”「塩辛納豆」で、現在私たちが食べている「糸引納豆」は八幡太郎義家が、"後三年の役”の時に東北へ遠征し、偶然の機会に煮た大豆が藁の中で発酵して納豆になったなどと、東北や北関東に多く逸話が残っています。
今回は東高西低の納豆の紹介です。長年色々な仕事に携わってきましたが、結構納豆関係も多かったのです。今ではレシピ本などを編集制作していますが、初めて自分でレシピを書くはめになったのが納豆だったのです。とある広告代理店から、スーパーで使う販促用の小さな納豆レシピカードの制作を依頼されたのですが、これが35mmのポジ写真を5枚渡されて、「写真見て、レシピを書いて」と。凄い話ですね、まだ、デジタルなんか無い時代で、小さな写真をルーペで拡大しながら、おそらく入っている材料を確認しながら、料理名を決めてレシピを作成したのです。まぁ、こんな、変な仕事を頼める人がいなかったのです。その後、ここの納豆販促用レシピカードは数年に渡り制作しました。ちゃんと料理研究家を立てて、ちゃんと撮影もしました。
この納豆は水戸に本社があり、名前を出せばほとんどの人が知っている大手メーカーなのです。さて、その後にもう1度納豆の仕事をするのですが、日本料理「分とく山」の野崎洋光さんと”だしポット”を企画制作した縁で、有田焼の窯元さんのコンサルタントをすることになりました。その中の商品開発で「納豆鉢」の提案をしたのです。有田でサンプルを作ってもらい、納豆をどう混ぜたら美味しくなるか、持ちやすさは……と、大量の納豆を混ぜて研究していたのです。が、佐賀・有田の方々は、ほとんど納豆を食べないのです。「気持ちわるかばい!」「こげなもん喰わんとね」今、思えば笑い話ですが、食文化の相違を感じたのです。そして、納豆鉢が完成し、これに、名前を付けていただこうと、その頃東京農大の教授をしていた日本の発酵学の第一人者、小泉武夫先生の研究室を尋ねたのです。小泉先生のファンでぜひ名前を付けていただきたかったのですが、オフィシャルな依頼以外は断っているということで断念しました。しかし、持参した小泉先生の『納豆の快楽』に“納豆食って納得人生”と書いてもらい著書からどこでも引用していいとお墨付きをいただきました。そして、商品開発したものの発表会を“分とく山”で2日間行ったのですが、有田焼に必ず関係のある食材を組み合わせることにして、野崎さんと相談して納豆鉢には、やぐちフーズの納豆を使わせてもらうことにしたのです。
元々やぐちフーズの「一粒のめぐみ」シリーズの納豆は、好きで毎週購入していたのです。定番納豆の“一粒のめぐみ小粒納豆”は茨城産納豆小粒(しょうりゅう)大豆を使用して、一番親しみやすく食べやすい種類です。それを大きくしたのが「一粒のめぐみ大粒納豆」で、北海道産十勝秋田大豆を使用しており、納豆らしい納豆です。納豆好きなら大粒でしょう。「一粒のめぐみ」は完全に国内産大豆を使っていて、用途に応じて各産地の大豆を使い分けています。そして、「一粒のめぐみ 鶴の子納豆」は国内最高級の大豆といわれる、北海道産ツルノコ大豆を使用しているのです。このツルノコ大豆は粒が大きく、他の大豆に比べて格段に旨みや甘みがあり、ふっくらモチモチした食感と滑らかな糸引きが特長なのです。ちょっと変わり種は「一粒のめぐみ黒豆納豆」は大粒(2L)の最高丹波篠山産黒豆を使い、昔ながらのわら包み入りです(これが一番高い)。今更ながら納豆の食べ方や料理法などは書きませんが、小泉先生の本にある、「意味なく具合の悪い時は、納豆を食べて寝る」というのがあります。中国から渡来して来た時は薬の一種でした。胃腸関係が不調と思う時は納豆だけ食べるようにしていますが、これはお薦めです。
※掲載情報は 2016/06/13 時点のものとなります。
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キュレーター情報
アートディレクター・食文化研究家
後藤晴彦(お手伝いハルコ)
後藤晴彦は、ある時に料理に目覚め、料理の修業をはじめたのである。妻のことを“オクサマ”とお呼びし、自身はお手伝いハルコと自称して、毎日料理作りに励んでいる。
本業は出版関連の雑誌・ムック・書籍の企画編集デザイン制作のアート・ディレクションから、企業のコンサルタントとして、商品開発からマーケティング、販促までプロデュースを手がける。お手伝いハルコのキャラクタ-で『料理王国』『日経おとなのOFF』で連載をし、『包丁の使い方とカッティング』、『街場の料理の鉄人』、『一流料理人に学ぶ懐かしごはん』などを著す。電子書籍『お手伝いハルコの料理修行』がBookLiveから配信。
調理器具から食品開発のアドバイザーや岩手県の産業創造アドバイザーに就任し、岩手県の食を中心とした復興支援のお手伝いもしている。