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「PARCO」の広告や「PASS THE BATON」のロゴやトートバッグなど、ブランドコンセプトの企画から商品デザインまで幅広く手がけ、数々の受賞歴を持つ植原さん。ippinの中で数少ないアート畑のキュレーターとして、そのクリエイティブな発想はどこから来るものなのか? デザインの道を志したきっかけとは? いろいろ教えていただきました。
始まりは小学校時代の「作文集」という3文字
Q.アートディレクターとはどんなお仕事ですか? デザイナーとはどう違うのでしょうか?
基本的には広告やグラフィックデザインの仕事に携わるディレクターやデザイナーです。
完全にディレクションにまわるひともいますが、自ら手を動かしてデザインを作り上げているひともいます。
企業の抱えている課題をどうやって解決し、売りたい商品をどうやって売っていくか。新聞、テレビ、雑誌などの媒体を使い、どのようなビジュアル表現に落とし込んでいくかを考え、ディレクションします。最近ではwebや映像などの媒体が増えたことに加えて、DMやプレミアムグッズなど広告以外の方法論も増えてきたので、企業の抱えているアウトプットに関する問題をいろいろな解決策を考えながらデザインに落とし込むことが、今のアートディレクターには求められます。
デザイナーとアートディレクターの違いというのは、人にもよりますね。自分ではデザインをせずに企画を立てて、デザイナーが上げてきたものをジャッジしていくような、舵取り役に徹する人もいます。僕の場合は、具体的に手を動かしながらデザインを作って、時にはネーミング等も考えたりしているので、気がついたらほとんどすべてをやっている時もあります。
Q. デザインに携わる事になったきっかけを教えてください。いつ頃からデザインに興味を持ち始めましたか?
目覚めたのは小学校5年生くらい。みんなの作文集にオリジナルの表紙を作ろうという授業があったんです。人と同じでは面白くないので、作文集という文字を明朝体で書いたんですね。するとみんなが寄ってきて人気者になったという経験があって。それまでレタリングをしたことはなかったんですけれど、売り物というか、出版物のような空気がほしくてやってみました。それ以来、中学校3年間の壁新聞コンクールでも、タイトルや見出しの文字をレタリングするようになり、ますます興味を持ち始めました。
将来アーティストかデザイナーかを考えたときに、その頃はちょうどバブルの只中で、アートよりもデザインが元気だったんですね。当時はまだ、日本ではアーティストと言えばもう少し暗いイメージだった。それに対して、デザインには明るく華やかなイメージがあって、惹かれていきました。
Q. 大学を卒業後、DRAFTというデザイン会社へ就職されましたが、志望した理由を教えてください。
就職活動をしている中、ある雑誌でDRAFTの募集広告を見つけました。1ページに「ドラフトの新人を募集します」というキャッチコピーが目立っていて、それが自信満々に見えたし、プロ野球が好きだったこともあり、格好いいなと思ってその会社を調べてみたんですね。すると、それまでDRAFTが手がけてきた作品の中に、僕が高校の頃に見て感動したポスターを見つけたので「この会社を受けてみよう!」と思いました。個人事務所から社名をドラフトに変えた点もいいなと思いました。
Q. DRAFT時代にはどんなことを学びましたか? 影響を受けた人や考え方などあれば教えてください。
気づいたこと、気づかせてもらったことはたくさんありますが、学んだことと言えば「本質を見つめること」でしょうか。表現するにしても、なぜそれを表現するのか、それって本当に必要なのか、一度本質に立ち返って考えることを学んだように思います。
すべての物事は「集合と拡散」のイメージで成り立っている
Q. デザインのアイデアはどのようにして生まれるのでしょうか?
基本的には突然ひらめくタイプです。でも、全くゼロの状態でアイデアが降りてくるわけではありません。日々いろんなものを観察することから始めます。観察というのは「考えのスケッチ」のことです。それが頭の中にいくつもあって、ある時つながる。それがひらめきだと思うんです。何かのタイミングでアイデアが急に降りてくるように感じることは日々のスケッチによるものだと信じています。
お笑いに「笑わせるためのセオリー」があるように、デザインのアイデアにも構造があります。喜ぶ、楽しむなど、人間の欲望に対してどんな球を投げれば届くのかという事を観察しておく。ここで大切なのは、サプライズを与えられるかどうか。デザインは視覚伝達だから、視覚でどういうふうに伝えるのが良いかを考えます。それがDMなら(封筒を)開けるとか、(カードを)開くという動作も加わるので、それも含めてストーリーを構築していくのが僕らの仕事です。
Q. 2011年にDRAFTから独立し、2012年 株式会社キギを立ち上げたきっかけは?
DRAFTが次のステージに行くという時に、独立することになりました。組織って成長の過程で飽和してくるタイミングがあるんですね。そのまま会社をどんどん膨らませていくよりは、上のアートディレクター数人を独立させるという話になりました。
独立するにあたって、同僚として一緒に手掛けている仕事があり、一緒に作っている作品もあった渡邉良重さんと、独立はそれぞれしたとしてもアトリエを共有しようと話していたんです。ところが、物件を探しているときに、僕も渡邉さんもここの空間がとても気に入ってしまって。物件を取り合うことになるし家賃も高いので、「じゃあ一緒に会社やろうか」と。そして、2人の間でお金のやりとりが発生するのも面倒だし、それならば会社を立ち上げて給料制にしてしまったほうがいいねということで、会社を作りました。
Q. キギ(KIGI) という社名にはどのような思いが込められていますか?
木というものをひとつのクリエーションに例えました。地面の中には知識、教養、テクニックといった水分や養分がいっぱい埋まっていて、芽がこれを吸い上げると根が張っていくわけです。根が張るのと同時に、根から養分や水分が集まってきて、幹となって社会に出てくる。社会に出ると枝葉を広げて実を実らせる。これが一つのクリエーションの構造だと考えたんですね。木になった実はデザインで、お客さんに届けられます。木がちゃんと育つように管理する植木職人がアートディレクター。その木を株分けしてどんどん増やしていって、最後は森にしていきたいと。木々というのは木の複数形。しかも2本以上無限で木々と言います。僕らは2人から始めていることから、社名をキギ(KIGI)と名付けました。
Q. 現在、滋賀の伝統工芸の職人さんたちと共同開発されている「KIKOF」というブランドがありますが、このブランドはどのような背景で生まれたのでしょうか?
2012年に、立命館大学の佐藤典司教授から持ちかけられたのがきっかけです。滋賀県のイメージアップを図り「Mother Lake Products Project」を立ち上げ、滋賀県で伝統工芸に携わる職人さんたちと一緒にものづくりをしていく仕組みを作ったそうです。2年ほど活動したものの、飛躍的な進歩が見られなかったので、声をかけていただき、一緒に作っていくことになりました。まずはお客さんが手に取りやすい陶器製品を中心につくり、形になったのは2014年のことです。
KIKOFはキギと職人さんたちが共同で作っているブランドです。会社ではなくて、業務を分担しています。お互いの労力が半分になるように話し合いながら役割を決めていて、僕らは商品デザインと販促、営業活動、販売代行。職人さんたちには製造に関わる技術開発、製造、管理、発送業務をやってもらっています。売れたら分配という仕組みを作りました。「高いデザイン料を払ってデザイナーに格好いいデザインを作ってもらったけれど結局全然売れない」というパターンも多いのですが、そうはしたくなかったので。僕らもリスクを負うことで、僕らの頑張りによっては売り上げも伸びる。その方が楽しいじゃないですか。続けていくための仕組みを作りたいという思いもありました。
KIKOFは現在、陶器のほかにも家具や布製品も展開していて、今度ロウソクも作ります。そうやってテーブル周りを中心に広がって行けばいいなと思っています。今年のミラノサローネ国際家具見本市に出品したので、その反応によってまた動きも変わってくるだろうと思います。焦らず急がずゆっくりと、でも確実に成長していきたいですね。
Q. ippinキュレーターとして、投稿する際に心がけているのはどんなことですか?
やはり自分が食べて美味しいと感じたもの、というのが大前提です。自分がノリにのって紹介できるものは食べ物だけじゃなくて、それを作っている環境や作っている人たちが見えて、面白いと感じたもの。食というのは味だけじゃなくて、五感などが伴って「美味しい」と思えるものだから、そういうものを紹介できたらと思っています。出張などで地方へ足を運ぶ機会があれば、できるだけ事前に情報収集してから行くようにしています。
Q. 好きな言葉や、座右の銘はありますか?
言葉ではなくイメージなのですが、僕の作品にもなっている「集合と拡散」というイメージ。これをイメージできるようになってから、生きるのが楽になったんですね。先ほどお伝えした木の構造もこれに当てはまります。大きなところで言えば惑星の一生もそうだし、身近なとこで言うと料理なんかも。全てのことが集合と拡散という構造で成り立っているんだなぁという気がしているんです。集合と拡散の間には、飽和状態や静止状態があって、何かがきっかけで爆発する。爆発も運命なんです。その後、また何かが生まれたりする。すべてのクリエイションは生と死を繰りかえす。何かが終わったとしても次のステージが出てくるものなんだと。
Q. 今後やってみたい事や、夢があれば教えてください。
今一番やりたいことの一つとして、昨年7月にオープンした白金台の「アワ フェイバリット ショップ(OUR FAVOURITE SHOP)」というお店があります。これは、3つの会社が協力して作ったお店で、ギャラリースペースと物販スペースがあって、キッチンも併設しています。物販スペースではKIGIが作った商品などを販売していて、ギャラリースペースでは展覧会や販売促進のためのイベントや映像上映会、落語の会などもこれまで実施してきました。白金台の北里通り商店街から近い住宅の中にあって、やっと辿り着いたような気分になれる隠れ家的な店です。アート活動があり、デザイン活動があり、その土台にあるのが社会で、もっと社会とつながれる場所が欲しいと思い、実現させたのがこのお店です。商店街の活性化のために何かしたいと考えていて、一番得意なグラフィックデザインでマップを作ろうかなと思っています。商店街が盛り上がれば僕らの店も盛り上がるはずなので、この先数年かけて取り組んでいきたいなと。商店街の人たち、ご近所さん付き合いも含めてひとつのコミュニティなので、そうやってリアルに接していくことも、ある意味のアート活動になる気がしています。
最近考えた理想なんですが、それは、例えば円形の長屋を作ること。外側に住民が経営するお店があって、内側を中庭にしたいんです。中庭は住民のコミュニケーションの場。外側にあるお店で生活に必要な全ての物が手に入る。そして中の住民たちは、下手したら物々交換でも成立してしまう。
そんな風に、みんなが繋がって助け合って生活できる環境は、これから求められるんじゃないかな。
【プロフィール】
クリエイティブディレクター・アートディレクター。
1972年北海道生まれ。2012年に株式会社キギを設立。企業やブランド、ショップなどのアートディレクション、「D-BROS」等の商品デザインを手掛ける。2014年夏、琵琶湖の周辺で様々な製造業を営む職人たちとともに、テーブルウェアを中心としたプロダクトブランド「KIKOF」を立ち上げる。クライアントワーク以外でのより創作的な作品制作や、物事に対する自らの視点や考え方をデザインの軸で作品化し展覧会を開催するなど、あらゆるジャンルを横断しながら、グラフィックの新しいあり方を探し生み出し続けている。東京ADC会員賞、NY ADC金賞、ONE SHOW DESIGN金賞、第11回亀倉雄策賞など受賞。2015年、西日本で初の個展となる「KIGI in Fukuoka」を、また2016年、三島にあるクレマチスの丘ヴァンジ彫刻庭園美術館で「KIGI キギ in Crematis no Oka」などの展覧会を開催。マガジンスタイルの作品集『KIGI_M』(リトルモア刊)を、2016年1月に3冊同時発売。東京・白金にショップ&ギャラリーOUR FAVOURITE SHOPをオープン。
※掲載情報は 2016/05/19 時点のものとなります。
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