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インド人の祖父が立ち上げた貿易会社の三代目として、スパイスの道を追求し続けるシャンカール・ノグチこと野口慎一郎さん。「東京カリ~番長」、「東京スパイス番長」のメンバーとしても精力的に活動しています。シャンカールさんがスパイスにのめり込むようになったきっかけとは? シャンカールさん直伝のチャイレシピも教えていただきました。
祖父の立ち上げた貿易会社に歴史あり
Q:野口さんは本名の野口慎一郎のほかに、シャンカール・ノグチとしてippinのキュレーターをされていますが、このお名前にはどのような意味があるのですか?
祖父がインド人で、“シャンカール”というのは祖父が僕を呼ぶ時に使っていたニックネームなんですよ。ヒンズー教のシャンカールという神様の名です。
Q:現在は、お祖父さんが創立されたインドスパイスの輸入を行う「インドアメリカン貿易商会」の3代目として活躍されていますが、これまでどのような歴史があったのでしょうか?
祖父はもともと第二次世界大戦前の1930年代後半に、新聞記者として日本に来たインド人ジャーナリストでした。NHKの特派員などもしていて、戦後の東京裁判の時には記者として報道に参加したと聞いています。その時、各国から集められた11人の判事の中の1人、インド人のパール判事の通訳をしていたのが「ナイルレストラン」創業者のA.M.ナイルさん。ナイルさんと祖父はインドのフリーダムファイター(独立運動家)で、「新宿中村屋」にインドカリーを伝授したラス・ビハリ・ボースを中心に、ナイルさんがいて、うちの祖父がいて、東南アジアの独立運動家たちとも電波を使って繋がっていたそうです。
それで、日本が1955年にGATTに加入して貿易自由化になってからは、祖父はジャーナリストを引退して日本製品の輸出を始めました。その後、輸入がメインになりました。昔はインドとの通信手段が手紙しかなかったので、返事が1ヶ月後ということもあり、やりとりが大変だったそうです。FAXを使うようになったのは僕が会社に入ってからのこと。子どもの頃は、マンゴーの缶詰も木箱に入って届いていましたね。マンゴー缶やチャツネ、ピクルスなんかの輸入はうちが日本で初めてだったのではないでしょうか。現在日本での取引先は主に、スーパーマーケットやレストランです。業務用から始まって、今はスーパーなどでの小売もしています。
Q:シャンカールさんが初めてインドに行ったのはいつ頃でしたか?
僕が初めてインドを訪れたのは子どもの頃。小学生くらいだったと思います。幼い頃はさすがにびっくりしてインドへ行く期間が空いた時期もありましたが、成長とともにだんだん異国への憧れが芽生えるようになっていきました。子どもの頃に見ていたインドと今のインドは全然違っていて、やはり経済成長が著しいですね。貧しい人の多かったイメージから、今は貧しい人が減ってモダンインドという印象が強いですね。路上に寝ていた人たちが次に行くといなくなっていたりするんですよ。田舎に行くとまだ発展途上な部分もありますが、地方都市、例えば先日行ってきたジャルサルメールあたりも最先端の情報は常に入ってきているので、情報格差というものはないと思います。インドは1990年代にインターネットを推進して子どもたちを教育したという背景があるので。ITの例でいうと、成功者が村に戻ってきて「僕のようになってほしい」と、子どもたちに青空学校のようなところで教えたりもするんですよ。インドはそうやって、子どもたちを大切にする国でもあるし、子どもたちに教育を与えればこの国はよくなるという信念を持っているんですね。
Q:日本の家庭では、インドの文化や料理にどれくらい触れるチャンスがありましたか?
やはり自分のカレーのルーツとも言える味は、家庭で食べていた味。僕は祖父母に育てられた時期があり、祖母が作ってくれたカレーの味をどこかで覚えていて、僕の作る料理の着地点はそこなのかなと思います。祖母は山形出身の日本人ですが、インド人の祖父と結婚してからインド料理を覚えました。家では和食の後に、ダル(豆のカレー)とチャパティが出て来るようなところがあって、お腹がいっぱいなのに祖父から「残さず食べなさい」と言われたりして、無理して食べたりしていました。体にはすごく良かったと思います。豆なんかはよく食べますし、カレーには玉ねぎ、トマト、にんにく、生姜といった野菜がペーストで入っていて、スパイスの薬効もありますから。日本にいてもカレーはよく食べに行きます。20代の頃は「1日1カレー」なんて言って、毎日食べに行ったり家でも作ったりして、カレー作り覚えて行きました。インドよりスパイスが届くとすぐに試して新しいスパイスミックスやカレーを作っていました。
サーフィン漬けの日々から一転、スパイスの道へ
Q:スパイスに興味を持つようになったのはいつ頃からですか?
仕事で様々なスパイスの香りを嗅ぐことで自然と覚えていったのですが、のめり込んだのは20代の半ばくらいですね。自分でカレーを作り始めたのもその頃。今もインドの輸出商とは三代目同士のつながりがありますが、当時うちの祖父は亡くなっていたけれど、彼のおじいさんがまだ生きていて、インドから送ってくれるスパイスやカレーパウダーがすごくヒントになっていました。これをどうにかうまく使いこなせるようになりたいという思いで、実際に使っては研究していました。
Q:野口さんが「東京カリ~番長」や「東京スパイス番長」のメンバーのみなさんと知り合ったきっかけは?
実は、スパイスに本格的にのめり込む前、学生の頃からサーフィンに打ち込んでいたんですよ。留学したのがカリフォルニアで、サンタクルーズという大波の立つ絶好の場所があって。サーフィン漬けの生活を送っていた時期もありました。その後日本に帰国して、千葉の海に何度かサーフィンをしに行ったところ、なかなか波に恵まれなかったんですよ。それで次第にサーフィンからは足が遠のいて、その代わりに、インドから届くスパイスを使って、ひたすらカレーの試作をするようになりました。カレー作りがまあまあできるようになった頃、友人からホームパーティに誘われて、自作のカレーを披露したところ好評だったんですよ。それで次回も、またその次も……とやっているうちに、ある時、東京カリ~番長の当時のリーダー、シンゴ、水野仁輔がゲストとしてやって来たのが知り合ったきっかけです。「僕たちはいつもカレーを作る側として参加することが多いんだよ」と言われて、最初は何者かと思ったんですけれど(笑)。話してみるとすごく面白い人たちで、少しずつ交流を持つようになりました。
そういうこともあって、2008年から「東京カリ~番長」に加わりました。その後、水野から「もう一つ作ろうと思っている」と持ちかけられたのが「東京スパイス番長」です。メンバーとしてナイル善己や、メタ・バラッツがいいんじゃないかと水野からもちかけられ、バラッツとは百貨店の催事で仲良くなったんですよ。お互いスパイス商ということで百貨店の催事で隣同士になって。二人とも店頭に立っていましたが、お客さんが全然来なくて(笑)。二人でずっとおしゃべりをして仲良くなりましたね。バラッツの父のアナンさんは「カレーブック」という商品で有名だったので、以前から知っていました。水野とはその後「東京スパイス番長」を一緒にやることになりました。
東京カリ〜番長になる以前は、水野がインドへ行く前に「中村屋」で食事をしながら、互いに思うインドカレーについて話したり、私が知るホテルのカレー屋から屋台のカレーなどを教えてあげたり、彼の本の出版記念イベントにも参加させてもらったりして交流を深めて行きました。そんな中、僕が渡したガラムマサラを「すごくよかった」と褒めてくれて。自分で調合したガラムマサラだったので、その香りをわかってくれたことがすごく嬉しかったですね。
Q:「東京カリ~番長」は、具体的にどのような活動を行っていますか?
まずレシピ作りがあって、イベント出店が一番多いですね。最初は23区全ての公園でカレーを作るという自主企画イベントからスタートして、23区を制覇してからは全国でカレーを作るということをしています。企業とのタイアップもありますね。
Q:シャンカールさんは今まで、インドには何回くらい行かれたのでしょうか? 最近も「東京スパイス番長」の活動でインドへ行かれたとか。
インドへ行った回数が子どもの頃からなので、数え切れません(笑)。年に何度も行っていた時期もありましたが、最近は年に2回くらいでしょうか。スパイスの輸入卸業が本業なので、スパイスの品質を見に行ったり、現地で開催されるフードエキスポに足を運んだり、仕事のために行くというのがひとつ。
一方、「東京スパイス番長」の活動では、年に一度インドへ行っています。「インド即興料理旅行」という企画で、毎回違うテーマで違う場所を訪れ、そこで学んだ成果として最後に現地で料理を作るという内容です。なかなかメンバーのスケジュールを合わせるのが難しくて、10日間くらいが限界。去年はダージリンティをテーマに、セカンドフラッシュの時季に合わせて行きました。あとは、ハイデラバードへお米を研究しに行ったこともあります。その時はビリヤニというお米の料理を食べ歩いたり、三毛作の田んぼへ行って田植えから稲刈りまでを体験してみたり。今年でいうと2月にタンドール窯を使った料理を探求しに行きました。この企画は最終的に「チャローインディア」という1冊の本にまとめていて、旅行記だけでなく自分たちで吸収したことを元に作ったオリジナル料理のレシピも紹介しています。一つの作品のような感じですね。実は最新号が間もなく発売になるんですよ。
「東京スパイス番長」は僕を含めてメンバーが4人いて、僕は毎回10日間日程でどこへ行って何をするというスケジューリングを僕が担当しています。念入りに調べて予定を立てているんですよ。今回のテーマは「タンドール窯」だったので、デリー近郊のタンドール窯の工場見学をしたり、ラジャスターン州の砂漠に穴を掘って自分たちでインスタント窯を作ったりしました。その手作り窯では、マトンをギー(インドのバター)と自分たちで調合したチャットマサラでマリネしたものを、チャパティー(薄いパン)やバナナリーフで巻いて、さらに布で包み、炭がバンバン燃えている穴の中に入れて、砂漠の砂をかけ2時間くらい蒸し焼きにしました。そういう体験も、現地でお世話になる人に直接交渉するのは僕の役目で、そういったインド人との交渉も含めて全体的なコーディネートをしています。一年一年の旅を楽しみたいという気持ちがあるので、勉強するだけじゃなくラクダに乗ってみるとか、そういう体験も盛り込むようにしていますね。
Q:良質なスパイスを見極めるポイントはどのようなことですか?
まずは大きさ、そして色。光に当たると徐々に色がくすんでくるので。直射日光だけでなく、ライトの光でも変色するんですよ。品質には保存方法が大きく左右するので、一番暑い時期が終わって、さらに雨季が終わった頃に出荷するのがベストです。もちろん、収穫が終わって乾燥も終わった時期に合わせますよ。スパイス以外では、マンゴーはちょうど今が収穫時期なんですよ。5月くらいに収穫が終わると、ナマモノはそのまま空輸で、缶詰ならカッティングして、ピューレはミキサーにかけるという加工が終わるのが6〜7月くらい。そうして日本へと運ばれて、だいたい秋頃に販売がスタートします。
自分が作ったものへの良い反応が一番嬉しい
Q:最近ニーズが増していると思うスパイスはありますか? また、今後推したいものは?
最近だと、ガラムマサラは業務用・小売用ともにニーズが高まっていますね。業務用はプロが見たり嗅いだりして判断して使うものなので、「認められた」と嬉しく思います。小売用だと商品自体のインパクトや見た目、メディアでの紹介などに影響されやすいものですが、口コミによる効果もあると思っています。料理の仕上げに香りを入れるという行為が浸透してきているんだなと思いますね。
あとはオーガニックのクミンシード、ターメリック、クミンなど。ターメリック(ウコン)は苦いというイメージを抱いている人が多いかもしれませんが、オーガニックのターメリックだと、少し甘い香りがするんですよ。なのでオーガニックを取り扱う自然食品のお店などで取り扱いが増えています。
今後推したいものとして、実は今、自分でチリパウダーをブレンドしているんですよ。1種類のチリじゃなくて、カシミリチリという辛みが少ないタイプや、一般的な辛い赤唐辛子、他にも沖縄の島とうがらしなどを、うまくブレンドして作り上げたいと思って試作を重ねています。どんなスパイスを調合するときにも言えることですが、味や香りのバランスだけではなく、それを料理として口に入れたときにどう感じるかも意識しています。鼻から吸った匂い、口から鼻に抜けて行き来する匂いというものがありますよね。一般的に赤は食欲を増進させる色ですが、辛いだけじゃなくバランスのよい香りも加えたチリパウダーを、いろんな人たちに使ってもらえたらと思っています。
Q:野口さんが仕事をする上で、一番嬉しいと思う瞬間はどんな時ですか?
「美味しい」など、好反応をいただけるときが一番嬉しいです。例えば仕事をしていて、取引先からの注文を受けて「この前頼んだ商品が美味しかった」と言われたり、イベントに出て「カレーが美味しい」と言われたり、「ハーブ&スパイス事典 世界で使われる256種」を購入した方から「この本は今の自分にとって、なくてはならない本です」と言われたときも、すごく嬉しかったです。
Q:今後やってみたいことや、夢はありますか?
次は南米にスパイスと探す旅をしてみたいですね。あちらはスパイスの宝庫なので。唐辛子もいろんな種類があるし、現地の人とテキーラを飲みながら唐辛子の噛み比べなんかをやってみたりして(笑)。若い頃サーフィンをして過ごしたカリフォルニアが今も大好きなんですよ。当時、ピックアップトラックにサーフボードを積んでサーフトリップに出かけて、カリフォルニアからティワナを越えてメキシコのサンタロサリータまで行ったことがあるんですよ。あの頃の楽しさが今も忘れられない部分もあるんですが。コロンビアに住んでいる友達もいるし、コスタリカにはずっと前から憧れもあって、南米産のスパイスを日本でもちょくちょく見るようになっているので、そういうのを絡めて、南米へ行ってみたいなぁと。今でも新たなスパイスとの出会いを思い求める気持ちは強いですね。僕はいつも旅に目的がないと面白く感じられないので、スパイスそのものとの出会いを求めて南米に旅をしてみたいです。
シャンカール・ノグチさん直伝! チャイの作り方
材料(3杯分):
マサラチャイミックス大さじ1、水200ml、牛乳400ml、砂糖大さじ1。
作り方:
1.鍋に水を入れて火にかけ、沸騰してきたらマサラチャイミックス、砂糖を加える。しばらく煮立たせたら牛乳を加えます。
2.ぐつぐつ煮立たせて紅茶の色と香りをよく出す。中火で約1分煮出し、牛乳を加える。
3.お玉ですくい上げながらかき混ぜて、水と牛乳をよくなじませる。
4.沸騰した状態で吹きこぼれる直前に火を止め、茶こしを使って器に注ぐ。
ポイント:
・1杯分なら200mlを基本に、水1:牛乳2で作るのが目安。
・砂糖は冬場なら体を温める効果のある「てんさい糖」がおすすめ。
・マサラチャイミックスの中身は、アッサムのCTC茶葉、シナモン、カルダモン、クローブ、ジンジャー、ブラックペッパー少量をチップ状に加工したもの。インドではお店ごと、家庭ごとに独自のブレンドがある。
※マサラチャイミックスは、インドアメリカン貿易商会でも購入できます。
【プロフィール】
1973年、東京都生まれ。インドのパンジャブ地方出身の祖父L.R.ミグラニが立ち上げた、株式会社インドアメリカン貿易商会の3代目としてインド食品の製造・輸入に携わる。「東京カリ~番長」の貿易主任、日印混合料理集団「東京スパイス番長」に所属して、雑誌などのメディアに情報やレシピを提供し、レストランのメニュー開発も手がける。著書に「ハーブ&スパイス事典 世界で使われる256種」「スパイス選びから始めるインドカレー名店のこだわりレシピ」や「インドよ!」がある。
http://www.spinfoods.net
※掲載情報は 2016/05/13 時点のものとなります。
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