【クローズアップ】「日本酒で乾杯」が世界のスタンダードになる日を夢見て 久慈浩介

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株式会社南部美人 南部美人五代目蔵元

久慈浩介

 

岩手県の蔵元の家に生まれ、高校時代のアメリカ留学をきっかけに家業を継ぐことを決めた久慈さんは、日本国内で早期から日本酒の海外輸出に取り組んだ「日本酒輸出協会」の創設メンバーの1人です。久慈さんの手がける「南部美人」は国際的な品評会で数々の金賞を受章し、今や世界的なブランドとして認知されています。地酒という伝統文化の裏で、それまで常識とされていた古き慣習を次々と打ち破り、日本酒をグローバルな存在へと浸透させるべく快進撃を続ける久慈さんに、日本酒への思いや、国内外における日本酒の現状についてお話をうかがいました。

国内・海外から熱い視線を集める「日本酒」の蔵元として

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Q:酒造りだけではなく、大学でも教えていらっしゃるとのことですが、まずは久慈さんの現在のお仕事について教えてください。

 

久慈さん:蔵元なので、当然酒造りがベースです。2年前に社長に就任してからは細かい仕事は部下に任せるようになり、今は「日本酒の価値をどれだけ国内外で上げることができるか」を第一に考えて活動しています。母校の東京農業大学では年に2回、年によっては3回のこともありますが、大学での授業のほかに研修生の受け入れもしています。学年でいうと成人後の大学3年生ですね。また、日本酒の輸出という意味での海外進出は20代の頃から取り組んできましたし、日本酒だけではなく糖類無添加の「梅酒」など、リキュール類の開発にも携わっています。

 

Q:海外という話がありましたが、日本酒を取り巻く環境は国内と国外ではどのように違いますか?

 

久慈さん:国内・国外問わず、日本酒にはかつてないほどの追い風が吹いているといえます。2011年の震災以降で特に感じているのは、国内における地酒の評価が急上昇しているということ。これはどの蔵の人に聞いても同じように答えますね。国外に関しては、追い風どころか台風のように大きく強い風に背中を押されている感じです。そのひとつは政府による「クールジャパン戦略」。これは本当に大きくて、物心両面で大きく支えられています。国が推進するということは、マスメディアからの注目度も上がるということ。先日、財務省が日本酒の定義をあらためて発表したところ、それがプライムタイムのニュースで取り上げられましたからね。昔じゃ考えられないことですよ。もうひとつは、2013年の12月4日に「和食 日本の伝統的な食文化」がユネスコの無形文化遺産に登録されたこと。これは、海外で和食店を営む人たちにとって、とてつもない追い風となっています。それまでは一部の日本マニアに支持されているに過ぎなかった和食が、裾野を広げたばかりか、その広がり方のスピードは段違いだと思います。

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Q:2020年の東京オリンピックに向けての動きはありますか?

 

久慈さん:海外からの日本旅行者へ向けたインバウンドには政府も力を入れていますし、私たち蔵元としては日本酒の魅力を伝えるための「酒蔵観光」を積極的に推進しています。自社企画による酒の会も頻繁に実施していて、300人集まるような規模の大きなものもあります。同時に、日本酒そのものの品質を上げるための努力も日々続けています。

 

Q:各地からの講演依頼も多いと聞いていますが、どんなテーマで講演することが多いのですか?

 

久慈さん:小学生、中学生、高校生など、学校からの依頼もありますし、意外と多いのが医療関係からの依頼ですね。「日本酒の魅力について」「美味しいお酒の飲み方」について話してくださいと言われることが一番多いのですが、「何か元気の出る話を」というオーダーも少なくないんですよ。誰もやったことのなかった海外進出など、常に新しいことにチャレンジしてきたので、そのような経験談をお伝えすることでお役に立てるなら、と年10回以上は各地に飛んでお話をさせていただいています。

高校時代のアメリカ留学が大きな転機に

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Q:久慈さんはいつ頃から家業である蔵元を継ごうと考えていたのですか?

 

久慈さん: 実は、子どもの頃は教師になるのが夢で、家業をあまり継ぎたいとは思っていませんでした。地元にはテレビのチャンネルが4つしかなく、田舎ならではの閉塞感にも息が詰まるところがあって。それに日本酒造りなんてクリエイティブじゃないし、古くさいものだと思っていたんですね。ところが高校2年生の時に転機が訪れました。岩手県の選出によって約1カ月間のアメリカ留学をする機会をいただきまして。オクラホマ州のタルサ市というところです。当然、現地の人たちに自分のこと、家のこと、日本のことを紹介する機会がありました。滞在先のホストファミリーに家から持って行った日本酒をプレゼントしたんですが、その家のお父さんがそれに感激して、大吟醸だったこともありますが、とにかくおいしいと褒めてくれたんです。そして「君は世界一の幸せ者だ。教師にはなりたいと思えばなれるけれど、ワイナリーのオーナーの息子には、なりたくてもなれるわけじゃないんだ」と、毎日のように言われました。

 

そして、留学中にアメリカでの日本の食というものを目の当たりにしました。近所のスーパーでは味噌、醤油が普通に売られていたし、帰りに立ち寄ったニューヨークでは寿司や蕎麦など和食レストランが軒をつらねていました。それを見てアメリカの国力のすごさを感じたんです。エンパイアステイトビルに昇って夜景を見ながら「お前がここで日本酒を売る日がくるかも知れないよ」と言ってくれた友人に、納得してうなずく自分がいました。日本に戻るなり、私は進路を変更しました。東京農業大学醸造学科へ行って日本酒造りを学ぶことにしたのです。

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Q:大学ではどのような環境の変化が待ち受けていましたか?

 

久慈さん:とにかく楽しかったですね。地元では酒蔵の息子は自分1人しかいなかったのに、大学では自分と同じような境遇で過ごしてきた酒蔵の息子がたくさんいました。東京農大名誉教授の小泉武夫先生との出会いも大きかったですね。仙台の勝山酒造に3年間の研修へ行かせていただいたり、沖縄で泡盛造りを学ばせていただいたりなど、貴重な経験ができたのは小泉先生のおかげによるところが大きかったです。とにかく酒造りがしたくて、卒業と同時に東京の特約問屋の株式会社小泉商店さんで修行をさせていただき、冬には実家に戻り酒造りをはじめました。

 

蔵元において、酒造りはそれを専門とする杜氏さんたちの仕事でしたが、今のようにオーナー自らが酒を造る蔵元が出現したのは、ここ20年から30年のことです。それをやって最も注目を浴びた人物は「十四代」で知られる山形の高木酒造の高木顕統(あきつな)さん。東京農業大学醸造学科の先輩で、日本酒の革命児といわれている人です。先代の高齢のため杜氏さんが引退することになり、存続の危機に立たされた家業を自ら杜氏となって立て直したという経歴の持ち主です。私は「十四代」が16ページに渡って特集が組まれた雑誌を読んで、非常に感銘を受けました。蔵元オーナーの息子が酒を造るということを世間が許したのは、これが最初だと思います。「十四代」の成功が分水嶺となって、日本酒業界に新たな流れが生まれました。これ以降、私はもちろんのこと同時期に共に学んだ蔵元の息子たちや、その後輩たちも自ら酒造りに携わるようになりました。蔵元の息子が退路を断って、覚悟を決めて造った酒は必ずよいものになる。それが証明されたのです。

 

Q:蔵元に入ってから、いろいろな出来事があったと思いますが、一番大変だったのはどのようなことですか?

 

久慈さん:父との戦いですね(笑)。日本酒の大切な伝統はしっかりと受け継ぎながら、何をするにも、悪しき古い慣習やこれまでの手を抜いたやり方を捨てなければいけなかったので、経営者である父親との衝突がつきものでした。低コストで大量生産ができる三倍増醸酒に使う砂糖(水あめ)の袋が積み上げられているのを見て「これは何だ?なんでこんなことをしているんだ。」と、私が食ってかかるという具合です。何とか三増酒はやめることができました。日本酒の海外輸出にも最初は父に猛反対されました。「外国人に酒の味の何がわかる」と言われて。後に開発する「糖類無添加梅酒」を造ろうとした時にも反対されましたね。「絶対にいける!」という確信があったので、結果を出して納得してもらうしかない。常に強行突破でした。今でこそ父は納得してくれていますが、とても大変な戦いでした(笑)。

食文化の壁、宗教の壁を越えて

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Q:1997年に日本酒の海外進出を果たしていますが、現在はどれくらいの国と取引していますか?

 

久慈さん:最初はアメリカ、その後ドイツ、カナダ、香港にも輸出するようになり、現在は24カ国になります。1997年に全国の若手蔵元たちとともに日本酒輸出協会を設立しました。そして、まずは日本酒というものを知ってもらおうと、蔵元自らが海外へ赴きました。まず、アメリカで日本酒の啓蒙普及活動をさせてくれる場所を探していた時に、現地のニューヨーク・ジャパンソ・ソサエティーから声がかかりました。ちょうと日本酒のイベントを企画していたということで話しが進み、日本から持って行った日本酒を参加者に試飲してもらいました。すると「どこで買えるのか?(今買って帰りたい)」「いつ買えるのか?」と問い合わせが相次ぎ、とんでもなく反応が良かったのです。アメリカ人が酒の味を知らないなんて嘘だとわかりました。

 

まもなく現地の和食店に入れてもらう契約も決まり、輸出がスタートしました。やはり、輸出のメインは現地の飲食店で提供してもらうためのものです。家に帰って日本酒を味わうというところまではまだ至っていないのが現状ですね。当初は現地の日本人に飲んでもらうことを想定していましたが、3〜4年はそれほど成果がありませんでした。地酒の大手酒造メーカーの銘柄ならともかく、日本人だからこそ「南部美人?何だそれ?」という感じで、知らない地酒にわざわざ手を伸ばしてくれなかったんですね。そこで、いわゆるファインジャパニーズと呼ばれるような、現地のサービススタイルで和食を提供する、日本人以外の現地のアメリカ人たちに好まれるお店へ、お酒を入れて行くようにとシフトチェンジを計りました。これが成功したわけです。先入観なく日本酒を試し、支持してくれたのは現地のアメリカ人でした。

 

Q:海外で特に反応が良かったのはどの国ですか?

 

久慈さん:ヨーロッパではロンドンが一番日本酒の売れている都市ですね。イギリスはもともとワインを良く飲む国。そしてパブの文化があるように、アルコールに対して寛容なところがあります。それに加えて他国の料理がすごくおいしいという特徴もあります。ロンドンのインド料理店はレベルが高いですよ。中華料理の新ジャンル・ファインチャイニーズもあります。当然、日本食の超ハイレベルなレストランも早くから存在していて、そのような店で地酒がたちまち人気になりました。最近ではパリの3ツ星レストランの中にも、日本酒を入れているお店があります。でもパリでは輸出に漕ぎ着けるまで足掛け10年かかりました。

 

現在、日本全体で日本酒の海外輸出の年間売上は110億円に上っています。アメリカ、香港、シンガポール、韓国、中国、台湾の6カ国が8割で、そのうち4割をアメリカで占めています。特にニューヨークは競争が激しく、700〜800銘柄の日本酒が集まっている状況です。私にはまだまだ知らない国があって、そこには開拓の余地があると思っています。今注目している国はイスラエル、モンゴル、南アフリカをはじめとするアフリカ諸国、ロシアにもポテンシャルを感じているし、デンマークやスウェーデンなど北欧にも行ってみたいですね。ペルーやメキシコなどの南米にも力を入れています。誰もチャレンジしていないからこそ、誰かが最初の一歩を踏み出さなければ、その後ろに道はできません。細い獣道ではありますが、それを作るのは自分の役目だと思っています。

 

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Q:2013年にユダヤ教の食事規定である「コーシャ」の認定を取得した経緯を教えてください。

 

久慈さん:海外進出の10年先、20年先を見据えた時に、必ず打ち当たるのが「宗教の壁」だと思っていました。そしてそれを越える時が絶対に来るだろうとも思っていたんです。マレーシアへの日本酒輸出で動いていた時に、イスラム教の「ハラル」という食事規定と向き合う機会がありました。ハラルでは醗酵食品がNGとされていましたが、日本の「酢」が初めてハラルの認定を取得したことによって、日本食が一気に広まりました。結果的にハラルがアルコールを可とすることはなく、日本酒は認められませんでしたが、山口の旭酒造(「獺祭」の蔵元)がユダヤ教の「コーシャ」を取得したと聞き、すぐに「南部美人」も申請しました。日本人にはユダヤ教と言ってもなじみがないかも知れませんが、ユダヤ教徒は海外にはたくさんいます。コーシャは4000年以上の歴史をもつ食事規定です。「コーシャワイン」だけで100種類以上あることを知り、取得しない手はないと考えたんです。日本酒で使用する「乳酸」は、コーシャでは規定が厳しく、通常使っている乳酸ではなく、許可された乳酸を代用するなど、製法を変える必要はありましたが、無事認定を取得することができました。

 

Q:最後に、久慈さんが酒造りで一番大切にしていることを教えてください。

 

久慈さん:志のない酒は造ってはいけない、ということです。会社の規模は問題ではありません。人様の口に入るものですから、常に志をしっかり持って造るべき。酒は同じものを二度と作ることができない作品です。これから酒造りに携わりたいと思っている若者たちには、それを一番伝えたいですね。

あと「和醸良酒」。どんなに良い技や原材料をもちいても、人の和で醸す酒の方が素晴らしい物が出来ます。チーム南部美人として、これからも人の和で酒を醸して行きたいと思います。

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【プロフィール】

株式会社南部美人 代表取締役社長。東京農業大学客員教授。岩手県にある1902年創業の地酒「南部美人」の五代目蔵元として、1990年代からいち早く日本酒の海外輸出に取り組む。一方で、砂糖などの甘味原料を一切使わない「糖類無添加梅酒」で特許を取得するなど、様々な糖類無添加リキュールも開発。日本国内の鑑評会をはじめ、世界における酒類コンクールなどで多数の金賞受賞暦をもつ。「笑顔あふれる明るい酒」を目標に、究極の日本酒造りを目指して奮闘中。人生をかけて追い求める夢は「世界中で、日本酒で乾杯!」。

※掲載情報は 2015/06/23 時点のものとなります。

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