家庭料理がディープなエスニックになる秘密兵器

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NYのディーン・アンド・デルーカで見つけた赤い瓶

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20年くらい前、6年ほどおもにNY(ニューヨーク)で暮らしていた。おのずと思い出される料理はと言えば、お洒落なカフェのタルトや、エレガントなリストランテのリゾット……では、決してない。たとえば場末の雰囲気を漂わせたインド料理屋のカレー、あるいは韓国人街の死ぬほど辛い鍋、そして「中華街のフォー専門店」だ。

東京には世界中のレストランが集まっていると言われ、確かにそうなのだが、ことベトナム料理を代表する麺料理「フォー」に関して、私はいまだに納得のいく店を見つけられずにいる。それゆえNYに行く機会があれば、寸暇を惜しんで中華街へ足を運び、フォー専門店に飛び込む始末となる。

中華街のフォー専門店のしつらえは庶民的というのも憚れるほど殺風景である。その卓上には決まって赤いボトルと茶色いボトルが並べられている。茶色いボトルは恐らく甘口の甜麺醤で、赤いボトルは辛口チリソース。そして湯気立つフォーが運ばれてくれば、客はそれぞれのソースを汁の中で溶いたり、あるいは麺や具(牛肉)につけたりして食べる。私のお気に入りはチリソース。妙に怪しい中毒性を帯びていて、一週間も食べないと無性に恋しくなったものである。

今年の初めにNYのディーン・アンド・デルーカに立ち寄った折、このチリソースが奥の棚にひっそりと並べられていたので、喜び勇んで買って帰った。家でいろいろな食べものにつけて食べてみたが、出色は冷やししゃぶしゃぶ。薄切りの牛肉につけて食べれば、心はたちまち中華街の、あの雑然とした界隈へと飛んでしまう。

ベトナム難民が遂げたアメリカンドリームの味

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あらためてネットで調べて、このチリソースはデイヴィット・トランというアメリカ在住のベトナム人が考案し、広く販売している商品だと分かった。もともとベトナム戦争の難民としてカリフォルニアに流れ着いた人物。糊口を凌ぐ手段としてチリペーストを売りだしたところ、まずはロサンジェルスの中華街で人気に火がついた。今やその雇用力と納税額のため、地元の自治体から「よそに引っ越さないでね」と請われるまでになった。

このチリソースの味わいは、私にマーラーの交響曲を思い起こさせる。ひとつにはNYの中華街を舞台にした映画「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」で、マーラーの交響曲がBGMで印象的に使われていたせいである。そして、その人なつっこくて、刺激的なテイストが、とってもマーラーっぽいと思う。

どうせなら、アメリカ人の指揮したアメリカのオーケストラの演奏がいい。たとえば、ロサンジェルス生まれのレナード・ストラッキンがセントルイス交響楽団を指揮した「第1交響曲“巨人”」。チリソースのように鮮烈で、目の覚めるような熱演、好録音である。

※掲載情報は 2015/05/16 時点のものとなります。

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キュレーター情報

横川潤

エッセイスト 文教大学 准教授

横川潤

飲食チェーンを営む家に生まれ(正確には当時、乾物屋でしたが)、業界の表と裏を見て育ちました。バブル期の6年はおもにNYで暮らし、あらためて飲食の面白さに目覚めました。1994年に帰国して以来、いわゆるグルメ評論を続けてきましたが、平知盛(「見るべきほどのものは見つ)にならっていえば、食べるべきほどのものは食べたかなあ…とも思うこの頃です。今は文教大学国際学部国際観光学科で、食と観光、マーケティングを教えています。学生目線で企業とコラボ商品を開発したりして、けっこう面白いです。どうしても「食」は仕事になってしまうので、「趣味」はアナログレコード鑑賞です。いちおう主著は 「レストランで覗いた ニューヨーク万華鏡(柴田書店)」「美味しくって、ブラボーッ!(新潮社)」「アメリカかぶれの日本コンビニグルメ論(講談社)」「東京イタリアン誘惑50店(講談社)」「〈錯覚〉の外食産業(商業社)」「神話と象徴のマーケティングーー顕示的商品としてのレコード(創成社)」あたりです。ぴあの「東京最高のレストラン」という座談会スタイルのガイド本は、創刊から関わって今年で15年目を迎えます。こちらもどうぞよろしく。

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