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江戸時代から代々伝わる「目出度くてウメー食べもん」
先日、作曲家/ピアニスト・中島ノブユキさんの新作アルバム『散りゆく花』の先行販売と演奏会を兼ねたイベントが開催された。私は演奏曲の合間に、楽曲解説的なことを中島さんと話す、という役回りだったのだが、室内楽アンサンブルによる演奏も素晴らしい、実に楽しい会であった。会場は「フクモリ」の神田万世橋店。フクモリは、山形の旅館3軒によるカフェ兼定食屋で、山形の食材を使った、素朴さと洗練が共存した料理をいただける。この5月で6周年を迎える馬喰町店と、万世橋駅の遺構を利用した商業施設「マーチエキュート神田万世橋」の中にある神田万世橋店の2店舗があり、私はどちらもいろいろとお世話になっているのである。
イベントを終えてひと段落した店内で、気になるものを見つけた(フクモリでは食事や飲み物を提供するほか、食品、雑貨なども販売しているのだ)。小体なガラス瓶の上部には紙が被せてあって、「あけがらし」と書かれている。「明烏」なら知っているがあけがらしとは初耳だ。瓶に巻かれた説明書きを読んでみると、
【お召し上がり方一例】
・温かいご飯にのせて
・納豆に入れて
・季節の野菜、山菜に
・豆腐料理に
などと書かれている。最初の2例が朱で書かれているところをみると、これが推奨ということなのだろう。瓶の中には茶色い醪(もろみ)のようなものが入っている。
ところで私は、おかずをごはんの上に置いて食べるというのがさっぱり分からない。おかずはおかずとして、ごはんはごはんとして食べたいのだ。ごはんの上におかずを置くと、ごはんとおかずが同化してしまうのが、なんだか申し訳ない気持ちになる。それだから、例えば麻婆豆腐なんかもごはんにかけて食べることは絶対にやらない。だったら丼ものを注文すればよろしい。しかし、ごはんの上に置かれるべきものーーふりかけ、納豆、岩海苔の佃煮、生たまごなどーーは大歓迎。先だっても、椎名誠の『玉ねぎフライパン作戦』の最後の回、「わが人生で一番うまかったもの」に「納豆に(芥子たっぷし!)」とあったので、思わずそのようにして食べてしまった。
そんなわけで、フクモリで見つけたあけがらしも迷わず買い求めた。何せ「温かいご飯にのせて」をお勧めしているのだから。
あけがらしは、寛政元年(1789年)創業という山形県の「山一醤油」の製品。原材料は米麹、芥子、麻の実、生絞り醤油、三温糖というもので、製法は創業家にのみ代々受け継がれているという。元々は名称もなく、一族の婚姻などのめでたいときに身内用に仕込むものだったそうで、山一醤油のホームページに拠れば、これは一族本家の跡取り息子の結婚式初夜のときに作る、という意味であり、つまりあけがらしはある種の強壮剤として伝えられてきたものなのである。
名前もなかったこの芥子糀に名がついたのは大正の頃だそう。山一醤油の七代目が学生時代、東京の寄宿舎で同部屋だった谷川徹三(作家、哲学者で谷川俊太郎の父)と、部屋で田舎から送ってきた芥子糀をつまみに酒盛りをしていたとき、谷川が「落語にも『あけがらす』てぇ話があるし、祝言の時だけの目出度くてウメー食べもんだから、メデテー芥子ってことで【あけ(明と開をかけて)がらし(芥子)】ってなぁどうだ?」(製品付属の説明書より)と言ったことから「あけがらし」となったという。名称を見て「明烏」を思い浮かべたのはあながち間違いではなかったのだ。
さて、お勧めされている通り、ごはんにのせて食べてみた。甘さと辛さが混ざり合った味わいで、どちらかというと味噌に近い。カリッとした歯ごたえのある麻の実が食感にメリハリをつけていていい。手作りのものなので、おそらくは味に個体差があるのだろうが、ごはんの上にのせていただくものとしては実に私好みであった。
落語「明烏」は、21歳にもなるというのに本ばかり読んでいる堅物の息子を案じた父親が、遊び人の2人に頼んで息子を「浅草の観音さまのうしろの方角にあるお稲荷さまにお籠りをする」と騙して吉原に連れて行ってもらうという話である。途中で種明かしがされ、若旦那は嫌がるが、最終的には吉原きっての美人花魁と一夜を共にする。遊び人2人は成果なしで朝を迎え、さぁ帰ろうと若旦那を起こしに行くと花魁も「若旦那、みなさんがああおっしゃるんですから、お起きなさいましな」と言う。ところが若旦那「えっへっへっ、花魁は口では起きろと言ってますけど、布団のなかでは、あたくしの手をぐーっと抑えて……」。
谷川徹三は、つまんでいた芥子糀が強壮剤でもあるということを聞かされていたのだろう。そうでなければ、「明烏」の話は思い浮かぶはずもない。あけがらしの原材料を見ても、取り立てて強壮作用を期待出来そうなものは含まれていないので、いわゆるプラシーボ効果というところが大きいのだろうが、そこは鰯の頭も信心から、である。
これから暑くなれば、よく冷やした野菜につけてガブリとやるのもいい。あるいは冷奴に大葉とあけがらし。ビールにも合いそうだ。
※掲載情報は 2015/05/20 時点のものとなります。
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キュレーター情報
BEAMSクリエイティブディレクター
青野賢一
セレクトショップBEAMSの社長直轄部署「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターも務める。執筆、編集、選曲、展示やイベントの企画運営、大学講師など、個人のソフト力を主にクライアントワークに活かし、ファッション、音楽、アート、文学をつなぐ活動を行っている。『ミセス』(文化出版局)、『OCEANS』(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)、『IN THE CITY』(サンクチュアリ出版)、ウェブマガジン『TV & smile』、『Sound & Recording Magazine』ウェブなどでコラムやエッセイを連載中。