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エスニックな七味唐辛子
調べものをする時に幾冊のも食関係の辞書・事典を参考にしている。ネットもチェックするが根拠や出典が曖昧だと困ってしまう。じゃ、原典に当たれば良いかというと残念ながらそこまでの解読力は無い!(キッパリ)日本食関係で一番信頼して参考にしているのが『味覚辞典・日本料理』(東京堂出版)で編者は奥山益朗さんだ。実はこの奥山さんとはフリーになった頃何度かお会いしていた。奥山さんは1919年(大正7年)生まれなので58.9歳の頃で週刊誌の副編集長や出版局次長を経て日本ペンクラブの理事などを歴任していて、駆け出しの私にとっては、いつもニコニコしているやさしいオジさんという認識だった。
確か『日本料理』の豪華本を作るお手伝いにいき、奥山さんから編集内容の他に日本料理の蘊蓄を聞いていた。今,思えばもっとこの博学の大家に真摯に教わればと(2006年87歳で没)。今回、「七味唐辛子」を調べようとしてこの奥山さんの『味覚辞典』を引くと流石に簡潔に書いてあった・「唐辛子・蕃椒(唐辛子の別名)、〜日本では桃山時代から栽培されており、薬用として持ち入れていた」『物類呼称』によると「蕃椒(たうがらし)○京にて、かうらいごせうと云。太閤秀吉公朝鮮を伐ち給ふ時種(たね)を取り来る」”かうらいごせう”とは高麗胡椒という意味で、おや、通説では唐辛子は日本から朝鮮半島へ伝わったのではなかったのか?どうも、この唐辛子の伝来は日本と朝鮮半島での記述で諸説あり過ぎるのだ。『韓国食生活史』(姜仁姫著・玄順忠訳/藤原書店)だと「南蛮椒(ナムマンフチュ)は強い毒をもっていて倭国から入って来たので俗に「倭芥子(ウェケジャン)」という。この説だと唐辛子は日本から朝鮮半島で、以下に別の諸説で「和人達は蕃椒(ボンチョ)」といい、我国(朝鮮)では「和椒(ウェチョ)」と呼んでいる。
どうも、はっきりしていないが、大航海時代にポルトガル経由というのだけは確かである。また、奥山さんの記述で『守貞漫稿』では、「蕃椒粉売 七味蕃椒と号して、陳皮、山椒、肉桂、黒胡麻、麻仁‥‥等を竹筒に納れ〜諸食にかけて食ふ人多し」とある。関東では「七色唐辛子」、関西では「七味唐辛子」と呼ぶが、発祥の地は、医者や薬問屋が多くあった日本橋薬研掘で、からしや徳右衛門こと中島徳右衛門が、漢方の生薬(唐辛子、焼唐辛子、黒胡麻、山椒、陳皮、けしの実、麻の実)を組み合わせて「七色唐辛子)として売リ出して広まったが、この時代は「七色(なないろ)」の名称がいつのまにか「七味」に変わってしまった。そして、関西、京都では京都・清水「七味家本舗」の「唐辛子、山椒、麻の実、白胡麻、黒胡麻、青のり、青紫蘇」と唐辛子以外は香りの強いものを生み出してた。
信州・善光寺「八幡屋礒五郎(やわたやいそごろう)」は、辛味を出すための唐辛子、辛味と香りを併せ持つ山椒・生姜、そして、風味と香りの麻種・胡麻・陳皮・紫蘇の7つ。辛味と香りの調和のとれた「七味唐辛子」を売リ出して、この三つが日本の三大七味唐辛子と称されている。ちなみにわが家は長年、赤地に唐辛子と善光寺が描かれたブリキ缶の七味「八幡屋礒五郎」の七味唐辛子を愛用していたのである。「八幡屋礒五郎」は元文元年(1736年)初代の勘右衛門より約270年以上続く老舗の七味唐辛子屋さんだが、その「八幡屋礒五郎」からなんとエスニックなミックススパイスが出ていたではないか。
その名は「七味ガラム・マサラ」!七味ガラム・マサラ」は、本店に併設された「横町カフェ」でもともとカレーの後かけスパイスとして提供されていたもので、これが評判を呼び商品化されたそうだ。中身は、唐辛子、クミン、コリアンダー、ブラックペッパー、クローブ、シナモン、陳皮の7種類をブレンドしたもので、従来の七味を辛さよりも香高く、カレーのちょい足しに良いのだ。
七味唐辛子も進化を続けている。
※掲載情報は 2019/03/23 時点のものとなります。
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キュレーター情報
アートディレクター・食文化研究家
後藤晴彦(お手伝いハルコ)
後藤晴彦は、ある時に料理に目覚め、料理の修業をはじめたのである。妻のことを“オクサマ”とお呼びし、自身はお手伝いハルコと自称して、毎日料理作りに励んでいる。
本業は出版関連の雑誌・ムック・書籍の企画編集デザイン制作のアート・ディレクションから、企業のコンサルタントとして、商品開発からマーケティング、販促までプロデュースを手がける。お手伝いハルコのキャラクタ-で『料理王国』『日経おとなのOFF』で連載をし、『包丁の使い方とカッティング』、『街場の料理の鉄人』、『一流料理人に学ぶ懐かしごはん』などを著す。電子書籍『お手伝いハルコの料理修行』がBookLiveから配信。
調理器具から食品開発のアドバイザーや岩手県の産業創造アドバイザーに就任し、岩手県の食を中心とした復興支援のお手伝いもしている。