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喉ごしスルスル「ふのりそば」
昔から単一の食材を、粉末あるいは液状にしてまとめる方法が工夫されてきた。特に穀物由来の粉状をひとつにまとめるには幾多の方法があるが、今回はそばの話。いちばん簡単な方法は、湯で練ってそば粉を糊化(こか/のり状にすること)することだが、なかなかそばはまとまり難い。そこで、小麦粉のグルテンが糊化に適していることから、そば粉に小麦粉を混ぜて打つという方法がとられた。しかし、昔は小麦粉はの入手が難しく高価ゆえに、多くの「つなぎ」が編み出された。ヤマイモやヤマゴボウ、大豆などが使われ、海藻でつないだそばがあるのだ。
新潟の中でも豪雪地帯といわれる魚沼地方の小千谷市や十日町は、昔から織物が盛んで、小千谷縮や十日町御召しの産地として有名なのであるが、この織物で使われる糊が、そばのつなぎになったのである。食品に糊というと、「うえっ」と思われるかもしれないが、子どものころ年末の障子の張り替えは、米から粥を炊いて糊状にして、刷毛で桟に塗り障子紙を貼ったものだ(遠い目)。糊は着物の洗い張りなどに欠かせないもので、ご存じの方も多いと思うが、この糊は「ふのり(布海苔)」と呼ばれ、海藻から作られたものなのである。この織物の緯糸(よこいと)をピンと張るためにふのりをよく使っていたので、小麦粉よりも入手しやすい。このふのりの煮汁を、そばのつなぎに使えないかと考えた人がいたのだ。大正11年に小林重太郎がふのりでつないだそばを作り、『小嶋屋』を創業して、このふのりそばが現在まで広がっている。なお、今まで「ふのりそば」という名称で書いてきたが、一般的には「へぎそば」といわれている。
今から30数年前に新潟をはじめて訪れて、新潟駅の近くの『小嶋屋』(支店がたくさんある)でへぎそばを食べたのが出会いだった。「へぎ」とは 剥ぐ=はぐ=へぐ のなまりだそうで、木を剥いだ板を折敷にしたもののことであり、「へぎ」という器に盛られたそばのことをへぎそばと呼ぶ。一番最初は大きな長方形のへぎを注文したのだが、これは別名「一升そば」ともいう。一升は1500g。そばの1人前を150gとすると10人前はある量なのだが、地元の人に言わせると、一升ぺろりと食べられるくらい喉ごしがよくツルツルと胃に入っていくのがへぎそばらしい。確かに、一人で5合ほど(750g)食べた記憶があり、以来新潟に行く度に、最初にへぎそばを食べる習わしとなった。だんだん美味しいと評判のへぎそばを、新潟市以外に長岡市や小千谷市、十日町へと食べに行くようになり、その頃になると東京でもぽちぽちへぎそばを食べさせる店もできてきたのだった。
さて、そんなへぎそば好きな私だが、家で簡単に美味しいへぎそばが食べることができると教わり、取り寄せたのが今回ご紹介する十日町にある『玉垣製麺所』の「妻有そば」である。
妻有というのは新潟と長野の県境近くにある、やはり豪雪地帯である。沸騰した湯で約5分茹でて冷水でよくもみ洗いし、水をよく切ってからそばつゆで手繰る。昔はからしで食べていたそうだが(わさびがとれなくて)、もちろんわさびで薬味は刻みネギのみ。ひと袋200gだが、あっという間にするすると入っていく、最近は、そばにオリーブオイルをかけて食べるのもお薦めである。
※掲載情報は 2017/12/01 時点のものとなります。
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キュレーター情報
アートディレクター・食文化研究家
後藤晴彦(お手伝いハルコ)
後藤晴彦は、ある時に料理に目覚め、料理の修業をはじめたのである。妻のことを“オクサマ”とお呼びし、自身はお手伝いハルコと自称して、毎日料理作りに励んでいる。
本業は出版関連の雑誌・ムック・書籍の企画編集デザイン制作のアート・ディレクションから、企業のコンサルタントとして、商品開発からマーケティング、販促までプロデュースを手がける。お手伝いハルコのキャラクタ-で『料理王国』『日経おとなのOFF』で連載をし、『包丁の使い方とカッティング』、『街場の料理の鉄人』、『一流料理人に学ぶ懐かしごはん』などを著す。電子書籍『お手伝いハルコの料理修行』がBookLiveから配信。
調理器具から食品開発のアドバイザーや岩手県の産業創造アドバイザーに就任し、岩手県の食を中心とした復興支援のお手伝いもしている。