雨にも負けず、冷害にも負けず、白く輝く岩手の「銀河のしずく」

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雨にも負けず、冷害にも負けず、白く輝く岩手の「銀河のしずく」

こんな質問をされます。「人生最後の日に食べたいものは何ですか?」と。迷わず答えます。「塩むすび」と。三度の飯より「米」が好き(?)思っているのですが、きょうびの米はずいぶん美味しくなりましたね。子どもの頃は精米技術があまり良くないせいか、米に小さな石がよく混じっていたものです。ご飯を食べている時に、よく、がりっと石を噛むので食べる時には注意が必要でした。これが、東洋ライス(現)が米の中に石が混じらない、無石米精米機を発明してからは全国に普及して安心してご飯を食べられる様になったのです。はっきり言って子ども心にそんなに美味しいとは思いませんでした。両親が「○○さんちでは、闇米を食べているのよ」と、話していて、その当時は、米は政府管轄の統制米で(食糧管理法)、米を買うのには「米穀配給通帳」という物が必要だったのです。

雨にも負けず、冷害にも負けず、白く輝く岩手の「銀河のしずく」

米を買う際に必要だった「米穀配給通帳」は、食べ物や物資が不足していた戦時体制下に考案され、指定された配給日に通帳を持って配給所へ行くと、通帳に印鑑を押してもらうのと引き換えに、その世帯の1日の配給量に配給日数をかけた量のお米を購入することができるシステムなのです。やがて、1969年から自主流通米制度が発足し、配給も登録業者以外からも受けられるようになり、1972年に米穀が物価統制令の除外項目となり、実質的に日本ではお米を自由に売買出来るようになったのです。でも、この頃から消費者の米離れが進み、米食自体が減ってきたのです。以前、女子栄養大学の『栄養と料理』の創刊50周年記念号の食生活50年年表の編集制作をしていた際に、米と総物性食品の1日当たりの摂取量のデータを調べていて、どこで、動物性食品が米より食べられてきたかを調べた結果1971〜72年だったのです。減反政策で農家保護しながら、日本の米は色々な方向へ進みはじめ、それまで、無かったブランド米が食卓に出回りました。コシヒカリやササニシキが人気となりましたが、ササニシキは病気に弱く段々生産量が減少してきました。

 

米は天候に左右されますが、これまでには何度も、冷害等で米の生産が減った時期がありました。昔から米の作況指数には関心があります。作況指数とは、10アールあたりの平年収量を100として、その年の収量を表す数字のことです。100以上になれば豊作で、100以下で数字が低いほど凶作になります。記憶にあるのは1976年は大変な異常低温の冷夏で、岩手県の山間部では降雪もあり、収穫期まで長雨にも祟られました。この年に祖父から聞いた話では、昭和東北大飢饉の時には、竹に白い花が咲き、娘の身売りや間引き、そして、その貧しさが延引となり二二六事件の背景となった歴史があります。1980年と1993年の冷害もひどく、93年の東北全体の作況指数は56で、岩手に限って見ると30という低さだったのです。93年の冷害は、夏の気温が例年より2~3度も低くなり、米屋の店頭から米が消えて、「平成の米騒動」とまでいわれて、タイから緊急のタイ米の輸入をする状態でした。その頃野菜の月刊誌の細作をしており、「タイ米の美味しい食べ方」というようなページを作った記憶があります。大分長い前振りですが、病気や冷害に強く、さらに美味しい米を作るというのは東北では重要なことなのです。

雨にも負けず、冷害にも負けず、白く輝く岩手の「銀河のしずく」

今回ご紹介する米は岩手の『銀河のしずく』というブランド米で、2006年に耐寒性や耐病性に強い「奥羽400号」とコシヒカリと同等の食味を持つ「北陸208号」を交配し、2008年には、2,000を超える個体から有望なものを選抜し2010年から13個体に絞って食味試験を開始し、味が良く、さらに、病気に強く、割籾が少ない系統を育成して作り上げたのです。『銀河のしずく』は、『あきたこまち』と比べて稲丈が短く倒れにくく、冷害やいもち病にも強いのが特徴で、粒が大きく、粘りが程よくかろやかな食感です。昨年盛岡の『銀河食堂』という岩手の米を専門に提供する店舗で食べた時には、「岩手でも美味しい米が作れるのだ」と思った次第です。まだ、作付面積は少ないのですが、平成27年、28年産米は、日本穀物検定協会の食味ランキングで、参考品種ながら県独自品種として初めて最高評価「特A」を獲得したのです。ブランド米としては、まだ認知度が低いのですが、これから岩手を代表する米に育っていくと確信しています。ご飯のままで食べても美味しいのですが、塩結びにすると、冷めてもさらに美味しく感じます。

※掲載情報は 2017/06/30 時点のものとなります。

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キュレーター情報

後藤晴彦(お手伝いハルコ)

アートディレクター・食文化研究家

後藤晴彦(お手伝いハルコ)

後藤晴彦は、ある時に料理に目覚め、料理の修業をはじめたのである。妻のことを“オクサマ”とお呼びし、自身はお手伝いハルコと自称して、毎日料理作りに励んでいる。
本業は出版関連の雑誌・ムック・書籍の企画編集デザイン制作のアート・ディレクションから、企業のコンサルタントとして、商品開発からマーケティング、販促までプロデュースを手がける。お手伝いハルコのキャラクタ-で『料理王国』『日経おとなのOFF』で連載をし、『包丁の使い方とカッティング』、『街場の料理の鉄人』、『一流料理人に学ぶ懐かしごはん』などを著す。電子書籍『お手伝いハルコの料理修行』がBookLiveから配信。
調理器具から食品開発のアドバイザーや岩手県の産業創造アドバイザーに就任し、岩手県の食を中心とした復興支援のお手伝いもしている。

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