わが心のソールフード「釜石らーめん」

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懐かしご当地ラーメンの味

電話帳に登録されているラーメン店は全国に約32,000軒あり、中華料理店やファミレスも含めると20万軒にもなるという。「都道府県別統計とランキングで見る県民性(http://todo-ran.com/t/kijis/11806)」というサイトでラーメン店の多い都道府県を詳しく見ると、上位から順に、東京都(3,296軒)、北海道(1,999軒)、福岡県(1,507軒)、神奈川県(1,493軒)、愛知県(1,476軒)、千葉県(1,380軒)、埼玉県(1,209軒)、大阪府(1,204軒)、新潟県(1,010軒)、以下静岡、栃木、茨城、広島、長野、山形、福島……と続く。東京が一番多いのは人口もさることながら、全国から諸々のご当地ラーメンが集結しているからで、北海道のさっぽろラーメン系、福岡の博多ラーメン系、神奈川の家系(横浜ラーメン)などがすぐに思い浮かぶだろう。
カレー同様に国民食といわれているラーメンが日本全国に広がったのは、戦後といわれている。中国からの引揚者が各地で中華料理店を開業し、日本人にあうラーメンが発達した。子どもの頃は釜石市内にも百貨店があり、その食堂で家族で外食する時、父親は必ずラーメンしか頼まなかった。


今、思えば亡父も10代で中国大陸に渡り,現地で兵役につき戦後になって南京から引き上げてきたことを考えれば、ラーメンにちょっと違うかもしれないが郷愁を感じていたのではなかったのではないか。1951年に、仙台にあった店が釜石に移転して『新華園』という中華店が開店した。その当時釜石市は、戦争中の艦砲射撃で壊滅したが、戦後の復興で前年度に富士製鐵株式會社釜石製鐵所が正式にスタートして市内は好景気にわいていた。『新華園』は瞬く間に人気店として高い評価を得て、小学校時代に同級生から、昨日『新華園』に家族と行ったと聞くと、凄くうらやましく思ったものだ。大人になって故郷を離れても、帰郷するたびにまず、なにをおいても、『新華園』のラーメンを食べに行った。東京で暮らしていても、故郷のラーメンに近い支那そばのようなあっさりとした縮み麺を好んで食べていたのである。1984年に福島の喜多方市が町おこしの一環として「喜多方ラーメン」を発信し、一説によればこれが日本でのご当地ラーメンの最初だといわれている。その前にも札幌の味噌ラーメンや博多の豚骨ラーメンはあったが、これらはすでに全国区のラーメンであり、ご当地ラーメンとは違うのだ。

わが心のソールフード「釜石らーめん」

全国各地にそれこそ数えきれないほどのご当地ラーメンが誕生して興隆を誇るようになり、どんどんラーメンは進化していくのである。
さて、話は釜石に戻そう、2011年に東日本大震災で前出の『新華園』も1階の天井まで海水が届く津波の被害にあった。同年に復活して、同時に市内で被災した中華・ラーメン店がご当地「釜石ラーメン」を出す店として互いに協力し合っていたのだ。今回、紹介する「釜石醤油らーめん」は釜石の第三セクター釜石振興開発が企画して出来たそうで、企画者の下河原氏に取材をしてみた。

わが心のソールフード「釜石らーめん」

釜石ラーメンの麺は、「極細の縮れ麺」で、この麺は程よいコシがあり、スープとよく絡むという特徴がある。そして、釜石ラーメンのスープは、「琥珀色に透き通った醤油味」が主流で、あっさりとしたその味わいはどこか懐かしさを感じられるやさしさがある。この「極細縮れ麺」と「琥珀色の透き通ったスープ」の組み合わせによって生み出される釜石ラーメンをイメージしながら作り上げたそうだ。前出の『新華園』は釜石ラーメンのルーツだが、この「釜石醤油味ラーメン」は誰もが思うソウルフードとしてのラーメンに仕立て上げたかったらしい。

わが心のソールフード「釜石らーめん」

極細の縮れ麺だが、『新華園』の豚骨と鶏を主体に、少々の和風ダシを加えた清湯(ちんたん)スープよりも,魚介のコクが強く感じる。醤油は地元の『藤勇醸造』のもので、ここの醤油は少し甘めなのである。藤勇の初代が醸造業をはじめたきっかけは、釜石製鉄所の初代所長が九州の出身で、甘めの醤油の製造を勧めたと聞いている。さらに、『新華園』の初代は台湾出身で、福建料理の影響があるのでは無いかと私は以前から思っている。まぁ、そんなことを考えながらご当地ラーメンのルーツを想像するのも楽しみのひとつなのだ。

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釜石振興開発

※掲載情報は 2018/05/11 時点のものとなります。

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後藤晴彦(お手伝いハルコ)

アートディレクター・食文化研究家

後藤晴彦(お手伝いハルコ)

後藤晴彦は、ある時に料理に目覚め、料理の修業をはじめたのである。妻のことを“オクサマ”とお呼びし、自身はお手伝いハルコと自称して、毎日料理作りに励んでいる。
本業は出版関連の雑誌・ムック・書籍の企画編集デザイン制作のアート・ディレクションから、企業のコンサルタントとして、商品開発からマーケティング、販促までプロデュースを手がける。お手伝いハルコのキャラクタ-で『料理王国』『日経おとなのOFF』で連載をし、『包丁の使い方とカッティング』、『街場の料理の鉄人』、『一流料理人に学ぶ懐かしごはん』などを著す。電子書籍『お手伝いハルコの料理修行』がBookLiveから配信。
調理器具から食品開発のアドバイザーや岩手県の産業創造アドバイザーに就任し、岩手県の食を中心とした復興支援のお手伝いもしている。

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