東北限定!ブランド牛“前沢牛”と三陸の秋刀魚節を使ったらーめん

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麺王国のらーめん

東北限定!ブランド牛“前沢牛”と三陸の秋刀魚節を使ったらーめん

先日盛岡へ出張しました。仕事の合間に当然美味しいものを食べる目的もありますが、盛岡の食文化は多彩なのです。その中でも全国的に一番有名なものは「盛岡三大麺」と呼ばれる麺なのです。「盛岡三大麺」というのは、わんこそば、盛岡冷麺、じゃじゃ麺の3つです。滞在日数によって違いますが、どこかで必ず麺はいただいているのです。ある時に1日で、ホテルの朝食でわんこそば、昼に盛岡冷麺、夜の夜食にじゃじゃ麺と全制覇(本人談)したこともあります。ただ、わんこそばは基本的に観光的な要素が強いのでそうは食べませんが、わんこそばの一番の老舗「東屋本店」ではそば付きのカツ丼を良く食べに行っているのです。地元の方々は、ここのカツ丼をこよなく愛しているのです。

 

少し盛岡三大麺の解説をしてみます。まず、わんこそばですが、おわんに小分けしたそばを次から次へ入れてもらいながら何杯もお代わりして食べます。「わんこ」とは方言で、浅い平碗のことをいいます。そのわんこに、1玉の3分の1から5分の1くらいのそばをかわるがわる盛り、好みの薬味で何杯も食べます。元々岩手は、寒冷地のため米や麦よりそばやひえが常食だったため、宴会の最後にそばを振る舞う「お立ちそば」という風習が昔からあったそうです。その時代はそばをふるまうことは最大のもてなしだったのです。冠婚葬祭でもそばは振る舞われ大勢の場合、一度に人数分のそばを煮上げることはできないため、10人分を百の碗に盛り分けて、皆が食べている間にもう10人分茹でて、どんどんお代わりして食べてもらう風習が生まれました。このそば振る舞いがわんこそばの起源とされています。その発祥地については盛岡、花巻の2説があります。店として最初にわんこそばを始めたのは、今は廃業してもうありませんが盛岡市の中津川にかかる与の字橋のたもとにあった「わんこや」でした。そこで給仕の方法や薬味、器などを改良したとされます。それが市内のそば屋に広がったのが始まりです。

 

次に盛岡冷麺は、およそ半世紀ほどさかのぼります。盛岡の名店「食道園」の先代店主、青木輝人さんが、故郷の朝鮮半島の味を再現したのが始まりとされています。東京の名店で修行した青木さんは戦後、盛岡に移り、冷麺を提供していたのです。本場の冷麺は、そば粉、でんぷん、小麦粉を練り合わせて麺を作るのに対し、盛岡冷麺は、でんぷんと小麦粉がべースで、最初は、そば粉だけを使った麺を出していたそうですが、あまり評判が良くなく、だいぶ苦労されて、工夫と改良を重ね、現在の味にたどり着いたといいます。高度成長とともに、岩手県内にも焼き肉店が増え始め、食道園をまねて冷麺を出す店が増え始めだんだん盛岡で広がったのです。そして、1986年と1996年に盛岡市で全国麺サミットが開かれ、冷麺の認知度は飛躍的に向上し、2000年に公正取引委員会から盛岡冷麺の生麺に対して、「本場」、「名産」などの表示が認められ、名実ともに盛岡名物となったのです。

 

最後にじゃじゃ麺ですが、盛岡市民は酒を飲んだ後の〆は、じゃじゃ麺か納豆巻なのです。納豆巻は盛岡市内の「三寿司」という店が発祥で、この納豆巻きで財を成したそうで、市内に三寿司の店舗は沢山あります。(個人的にはこの納豆巻もご紹介したい味です)じゃじゃ麺はわんこそばや盛岡冷麺ほど知名度はありませんが、ゆでた平うどんに「じゃじゃみそ」という特製の肉みそやキュウリ、おろしショウガ、それにお好みで酢やラー油などをからめて食べる独特の麺です。麺を食べたあとの器に生卵をとき、麺のゆで汁を注いでもらい、塩やコショウなどで適当に味を調えると「鶏蛋湯(チータンタン=略称チータン)」というたまごスープが出来上がります。夜にお酒を飲んで〆にこれを飲むとほっとするのです。じゃじゃ麺の歴史は約半世紀前に、元祖は盛岡市内丸(うちまる)の桜山神社そばに本店を構える「白龍(パイロン)」の創業者である高階貫勝さんが、第二次大戦前に中国東北部(旧満州)から奥さんの出身地盛岡に引き揚げ、最初は手作り餃子の屋台をやっていて、中国で食べた「ジャージャー麺」の味が忘れられなかったのか、餃子の皮を麺にして、みそを工夫して出していたのでそうです。じゃじゃ麺を漢字で書くと「炒醤麺」。「炒醤」は「みそをいためる」という意味です。ちなみに「炸醤麺」という字をあてる場合もあります。じゃじゃ麺の専門店も多く増えてこの3つが盛岡三大麺と確立し、盛岡は「麺王国」となったのです。

東北限定!ブランド牛“前沢牛”と三陸の秋刀魚節を使ったらーめん
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そんな、盛岡ばかりではなく、岩手全体も麺が好まれる県民性があるのです。盛岡市から南へ行く位置に奥州市があります。2006年に水沢市・江刺市、胆沢郡前沢町・胆沢町・衣川村が合併し、奥州市として誕生し、岩手で第3の人口の都市になったのです。この地区は昔から澄んだ空気と清らかな水に恵まれた奥州・胆沢の里で麺作りも盛んな所です。今回はこの奥州市の小山製麺で新しく開発された東北限定の“らーめん”2種のご紹介です。奥州市の前沢徳のブランド牛「前沢牛」と、三陸の秋刀魚節と塩を使ったそれぞれ濃厚な味わいのオリジナル醤油スープに、2日かけてじっくりと仕上げたコシの強いちじれ中華麺です。前沢牛のスープは,牛の肉質の甘さがたっぷりと出ていて、秋刀魚のスープは秋刀魚節の燻された燻製臭が程よくアクセントになりうま味がたっぷりでした。とても、高級な中華スープではないのですが、今度は具材に,前沢牛ラーメンには牛肉の大和煮を、秋刀魚ラーメンには秋刀魚の蒲焼きのトッピングしてみたいと思うのでした。これは、東北のみでの販売なので、ご興味の有る方はネツトから探してみてください。

東北限定!ブランド牛“前沢牛”と三陸の秋刀魚節を使ったらーめん
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※掲載情報は 2017/03/24 時点のものとなります。

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後藤晴彦(お手伝いハルコ)

アートディレクター・食文化研究家

後藤晴彦(お手伝いハルコ)

後藤晴彦は、ある時に料理に目覚め、料理の修業をはじめたのである。妻のことを“オクサマ”とお呼びし、自身はお手伝いハルコと自称して、毎日料理作りに励んでいる。
本業は出版関連の雑誌・ムック・書籍の企画編集デザイン制作のアート・ディレクションから、企業のコンサルタントとして、商品開発からマーケティング、販促までプロデュースを手がける。お手伝いハルコのキャラクタ-で『料理王国』『日経おとなのOFF』で連載をし、『包丁の使い方とカッティング』、『街場の料理の鉄人』、『一流料理人に学ぶ懐かしごはん』などを著す。電子書籍『お手伝いハルコの料理修行』がBookLiveから配信。
調理器具から食品開発のアドバイザーや岩手県の産業創造アドバイザーに就任し、岩手県の食を中心とした復興支援のお手伝いもしている。

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