ハプスブルク家ゆかりのデメルのソリッドチョコ、そして「猫」にまつわる話

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30年も前の話です。近所にケガをした迷い猫がいました。病院へ連れて行くと横隔膜が破れて内臓が入れ替わるくらいの大ケガで,直に手術をしないと助からないと。うむ、どうしたものかと思いましたが、手術をお願いしたのです。数週間して、病院から元気でエサを食べているので、引き取りにくるようにと連絡がありました。手術代を見るとびっくりするくらい高額で、こりゃ、まいったなぁと、思いましたが、猫好きの友人達からカンパをいただきこの迷い猫を飼うことになったのです。拾った時の推定年齢は、獣医さんが4歳くらいと見当つけたのですが、まさか、その後19年も長生きするとは夢想だにしませんでした。猫には興味も愛着も無かったのですが、段々と猫の可愛さに惹かれてしまい、気が付いたら猫関係のグッズを収集するようになったのでした。海外に出かける度に、猫の置物を必ず1個は購入してさらに猫を意匠したお菓子まで集めはじめました。その中で出会ったのが、ウィーンのデメルのソリッドチョコ 猫ラベルだったのです。箱の表は猫が舌を出している絵柄で、チョコレートも通称「ラング・ド・シャ(猫の舌)」と呼ばれる伝統的なシェイプです(フランス語でLANGUES:ラングは「舌」、CHAT:シャは「猫」)。もう、たまらなく可愛いのです。猫好きの友人へのプレゼントなどに、デパ地下などで度々購入していたのですが、今回その箱をまじまじ見ると「LES LANGUES DORÉES」とあるではありませんか。日本での商品名は「金の舌」?! ウィ—ンの知人にメールで確認したらデメル本店で売っているパッケージのロゴは「ラング・ド・シャ」で、猫の舌の色は“赤”でした。日本ではこの絵の猫の舌もご丁寧に “金色”になっていました。どうも国内の商標登録問題で色々あるらしく同じ内容の商品でも名乗れないようなのです。海外では普通名詞であるものを、商標登録をする人がいるのですね。

ハプスブルク家ゆかりのデメルのソリッドチョコ、そして「猫」にまつわる話
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しかし、実際の猫の舌はとげとげザラザラして顔や手を舐められると痛いですね。このデメルのソリッドチョコは、スウィート、ミルク、ヘーゼルナッツの3種類があり、個人的な感想ですが、猫の舌というよりは、アイスクリームの匙に一番近いかなぁ。ソリッドチョコは、簡単に言うと板チョコのことですが、デメルの「LES LANGUES DORÉES 」は何だか1枚1枚楽しんで食べるようなイメージで、特に猫好きな人にはたまらんのですよ。

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さて、話は変わりこのデメルの本拠地ウィーンへ。ヨーロッパで一番出かけた都市は圧倒的にパリが多いのですが、結構な回数でウィーンにも出かけているのです。毎年新年にウィーンでウィーンフィルのニューイヤー・コンサートがありますが、一度は聴きに行きたいと思っていたのですが、高額なチケットには手も出ません。しかし、このニューイヤー・コンサートは、元旦ばかりではないのです。12月30日のニューイヤー・プレビュー・コンサート、12月31日のニューイヤー・イヴ・コンサート、そして、1月1日のニューイヤー・コンサートと三回行われ。コンサートは本番と同じ演目で多少安価で観ることが出来るのです。さらに、新年ウィーンの市庁舎前の広場には巨大スクリーンが設置されて、ライブ・ビューイングを同時に楽しめるのです。このスクリーンを大音量で観ながら温かいホットワインを飲むのがウィーン子の流儀なのです。

ハプスブルク家ゆかりのデメルのソリッドチョコ、そして「猫」にまつわる話

ウィーンの市内はコンパクトでハプスブルク家が造り上げた街で、デメルもハプスブルクが関係しているのです。1786年に王宮劇場の舞台入口に興したロココ様式の店がデメルの原型で、1874年に宮廷御用商人の称号を得たのです。そして、ヨーロッパに君臨したハプスブルク家の紋章を今もブランドマークとしていただいて、デメルの歴史はまさにウィーンの歴史、ハプスブルク家の歴史とともにあるのです。1888年、店舗は王宮劇場の移転に伴い、現在の場所であるホーフブルク宮殿近くのコールマルト14番地に引越しましたが、今もウィーンを訪れる人々は、王宮のミヒャエル門を出たところに店を構えるデメルを訪れます。お土産では、この店を愛したハプスブルク家の王妃シシィが愛した「菫の花の砂糖漬け」が人気なのです。


ショー・ウィンドーがいつも愛らしいデメル本店にはコーヒーを飲みに入り、ウィーンを代表するスイーツ“ザッハトルテ”をいただきました。このザッハトルテはいささか面倒な謂われがあるのです。ウィーンにホテル・ザッハーという名門ホテルがあり、経営的にきびしくなった時に、このホテルをデメルが援助したことがあります。その援助の見返りとして、ザッハトルテのレシピと「本物」を冠したザッハトルテを売り出す権利を買い取ったのです。ところがこの秘密とされたザッハトルテのレシピが料理書に掲載される事件が起きてしまったのでした。デメルは「本物」の名を冠したザッハトルテの商標権を巡ってホテル・ザッハーと法廷で争い、「甘い七年戦争」と呼ばれる7年以上にわたる法廷闘争になってしまったのです。まぁ、日本でも本家、元祖の争いは多々ありますね。そして、裁判所は、1962年にデメルにもホテル・ザッハーにも双方に「ザッハトルテ」を売り出す権利を認める判決が下されたのです。デメルのものは「デメルのザッハトルテ」、ホテル・ザッハーのものは「オリジナルザッハトルテ」とすることとなったのです。どことは言えませんが、東京でも創業110年以上も続く老舗の洋食屋さんが兄弟で別々の店を経営し、同じレシピで有名なクッキーを売り出しているのですが、双方自分の所が本家で旨いと譲らないようです。食べて比べてみましたが、食材がちょっと違うようですね。ザッハトルテ、今度、ウィーンに行く機会があったら食べ比べしてみたいなぁ。

※掲載情報は 2017/08/25 時点のものとなります。

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キュレーター情報

後藤晴彦(お手伝いハルコ)

アートディレクター・食文化研究家

後藤晴彦(お手伝いハルコ)

後藤晴彦は、ある時に料理に目覚め、料理の修業をはじめたのである。妻のことを“オクサマ”とお呼びし、自身はお手伝いハルコと自称して、毎日料理作りに励んでいる。
本業は出版関連の雑誌・ムック・書籍の企画編集デザイン制作のアート・ディレクションから、企業のコンサルタントとして、商品開発からマーケティング、販促までプロデュースを手がける。お手伝いハルコのキャラクタ-で『料理王国』『日経おとなのOFF』で連載をし、『包丁の使い方とカッティング』、『街場の料理の鉄人』、『一流料理人に学ぶ懐かしごはん』などを著す。電子書籍『お手伝いハルコの料理修行』がBookLiveから配信。
調理器具から食品開発のアドバイザーや岩手県の産業創造アドバイザーに就任し、岩手県の食を中心とした復興支援のお手伝いもしている。

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