江戸の旅人が愛した「駿河三大名物 うさぎ餅」

江戸の旅人が愛した「駿河三大名物 うさぎ餅」

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300年の時を超えて復活した「うさぎ餅」とは?

「あれは何?」

 

国道一号線沿いに置かれた藁ぶき屋根風のミニチュア、その上には駿河三大名物「兎餅」跡地と書かれた看板が!

 

私もずっと気になっていた「駿河三大名物」と「兎餅」、この機会にちょっとご紹介したいと思います。

 

この看板があるのは、古庄交差点(静岡市葵区)。ここは旧東海道。府中(静岡)生まれの十返舎一九が書いた「東海道中膝栗毛」の弥次さん・喜多さんでも有名です。

江戸の旅人が愛した「駿河三大名物 うさぎ餅」

旧東海道沿い、古庄(静岡市葵区)に建てたれた「うさぎ餅」の記念碑

 

私も初めて知ったのですが、江戸時代に駿河には三大名物があったそうです。「安倍川餅」「追分羊かん」、そしてこの「うさぎ餅」。名前の由来は、店先にうさぎが飼われていたからとのこと。

 

江戸幕府の役人でありながら狂歌師や戯作者、学者として大活躍した、蜀山人(しょくさんじん)の名前でも知られる大田南畝(おおたなんぽ)がこんな歌を詠んでいます。

 

「耳長ふ聞き伝えきし兎餅 月もよいから あがれ名物」(餅の“つき”が良いから召し上がれ、という意。)

蜀山人は、日本で最初にコーヒーを飲んだともいわれるいわば食通。江戸のマルチな文化人ともいえる彼が詠んだことで「うさぎ餅」の評判はさらに広まったようです。

 

その後、作り手が時代とともに変わり、しばらくの間姿を消してしまいます。これを憂慮した静岡伊勢丹が平成6年に「古庄うさぎ餅」の商標登録を得て、松木屋に製造を託されて、うさぎ餅が復活することになったそうです。

 

今から300年前から1964年までこの「うさぎ餅」が作られていた場所に建てられたのがあの看板だったのです。「駿河の三大名物の一つを絶やさぬように」という地元の多くの人々の思いが込められていたのですね。

江戸の旅人が愛した「駿河三大名物 うさぎ餅」

看板裏にはぺったん月夜のおもちつき、うさぎの絵が。「包装の竹皮に添えられた印紙」とあります。


「うさぎ餅」は、満月をモチーフにした焼き印と白い部分がうさぎに見立てられた素朴でかわいい和菓子です。薄皮の餅に小豆飴がに包まれた、こしあんたっぷりの柔らかい大福といった感じ。キメ細やかな飴に焦がした薄皮の香ばしさが絶妙です!

 

焼きゴテで一つずつ押された印が全て違うのも昔もまま。風流を好む江戸の人々は、その印に何を想像したのでしょうか?

 

東海道を歩いてきた江戸の旅人たちは、この柔らかい「うさぎ餅」の甘さに長旅の疲れを癒したのでしょう。「うさぎ餅」をいただきながら、そんな昔に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

 

静岡伊勢丹本館地下1F  おいしいふるさと村 (毎週木曜日入荷)
Tel:054-251-2211

 

松木屋
住所:静岡市駿河区西脇1058-1
TEL:054-284-2955

うさぎ餅

松木屋 住所:静岡市駿河区西脇1058-1 Tel:054-284-2955

※掲載情報は 2017/02/04 時点のものとなります。

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キュレーター情報

大森久美

学芸員/栄養士

大森久美

栄養学を学んだ後、武蔵野美術大学卒業。芸術学士、学芸員資格を取得。2006年特定非営利活動法人ヘキサプロジェクトを設立。2010年より現地法人ヘキサプロジェクト・ロンドン・リミテッドディレクター。美術館のキュレーションを行うかたわら、アート/デザインのワークショップなどの教育普及や、地方で伝統の技を守り続ける職人達との商品開発にも精力的に取り組む。日本文化の奥深さを伝えることをミッションに、食とアートのスペシャリストとして日本の美意識を国内外に発信中。

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